第57話 感謝、そして嫉妬
ノルディアス商会のテントに押し寄せていた人波は、ようやく落ち着きを見せていた。
父様と母様は、シエラが差し入れてくれた「新開発の栄養満点・味は強烈な特製ドリンク」を飲んで、一息ついている。クレアは午後からの動線確保について的確な指示を出している。
「ミト、時間が空いたから、また少し学院祭を回ってきなさい・・・・・・エマ、護衛は任せたわよ。変な虫がつかないように、物理的にも情緒的にもね」
クレアの含みのある言葉に送り出され、僕とエマは学院祭のメインストリートへと足を踏み出した。
石畳の両脇には、趣向を凝らした屋台が立ち並んでいる。
浮遊魔石で空中を漂うキャンディショップ、火属性の魔法を応用した超高温の串焼き、氷属性の魔法で冷やした宝石のようなシャーベット。
見渡す限りの笑顔と、魔法が生み出す光の粒子。魔毒喰らいの僕にとって、この光景は今でも時折、夢ではないかと頬を抓りたくなるほどに輝かしい。
「すごいわね、ミト。去年よりずっと活気がある気がするわ」
エマが少し弾んだ声で言い、僕の袖を軽く引いた。彼女はさきほど、いつもの騎士服から、学院の制服に動きやすいマントを羽織った恰好に着替えていた。その凛とした佇まいは、祭りの喧騒の中でも一際目を引いていた。
「・・・・・・そうだね、エマ。みんな、本当に楽しそう。・・・・・・あ、あそこ見て」
僕たちが足を止めたのは、魔導工学研究会による魔力射的のブースだった。
魔力を込めた矢で、空中を不規則に飛び回る幻影の的を射抜くという趣向だ。
「ミト、やってみる?」
「いや、僕はこういうの苦手だよ。エマこそ、やってみたら? 騎士団の腕前を見せてよ」
「ふふ、いいわよ。見てなさい」
エマが弓を手に取る。彼女が魔力を込めた瞬間、木製の弓が青白い光を帯びた。
シュンッ――!
放たれた矢は一点の曇りもなく、一番難易度の高い、最奥の金色の的を正面から貫いた。
「「おおおっ!」」
周囲から歓声が上がる。エマは少し照れくさそうに笑いながら、景品として贈られた小さなブローチを僕の襟元につけてくれた。
「これ、今日のミトにぴったりよ」
その温かい言葉と、エマの柔らかな指先。僕の胸の奥で、マナとは違う何かがトクンと跳ねた。
賑やかな露店街を抜け、少し落ち着いた雰囲気の漂う、庭園エリアへと歩みを進めたときだった。
噴水のほとりで、一人の少女がこちらを見つめているのに気づいた。
透き通るような白い肌、太陽の光を浴びてプラチナブロンドに輝く髪。そして何より、生命力に満ち溢れた力強い瞳。
その少女は、僕たちと目が合うと、弾けるような笑顔で駆け寄ってきた。
「――ミト様! エマ様!」
「・・・・・・あ、あなたは、カトレアさん?」
僕は思わず声を上げた。
カトレア・ローゼンベルク。
王国有数の名門貴族の令嬢であり、難病で、余命幾ばくもないと言われていたところを、僕らが救った少女。
あのとき彼女は、顔色は土色に沈み、細くなった腕でベッドから起き上がることさえままならなかった。だけれど、いまはどこからどう見ても、健康そのものだ。
「カトレアさん、すっかり元気になったんだね。・・・・・・顔色がすごくいいよ」
「はい! ミト様にあの時、身体の中の悪いものを全部取り除いていただいてから・・・・・・信じられないほど体が軽いんです! 今ではこうして、毎日学院へ通えるまでになりました!」
カトレアさんは、くるりとその場で一回転して見せた。
彼女の全身からは、もう淀んだ気配は微塵も感じられない。むしろ、純粋で澄み切った魔力が、春の芽吹きのように溢れ出していた。
「本当によかったわ、カトレア様・・・・・・あの時は私たちも必死だったけれど、こうして元気な姿を見られるのが、何よりの報酬だわ」
エマも、純粋に慈愛に満ちた表情で彼女を見つめている。
「ミト様・・・・・・。改めて、お礼を言わせてください」
カトレアさんは、人混みの中であることを気に留める風もなく、僕の前で深々とカーテシーをした。
「ローゼンベルク公爵家を代表して・・・・・・いいえ、一人の女の子として。あなたは私の命を救ってくれただけでなく、私の止まっていた時間を動かしてくれました。今の私がこうして空を仰ぎ、友達と笑い合えるのは、全てミト様のおかげです」
彼女の瞳には、感動の涙が少し浮かんでいた。
周囲の学生たちが「あれ、ローゼンベルク家の令嬢じゃないか?」「あのローゼンベルク様が頭を下げてる相手・・・・・・やっぱり、ノルディアスのミト様だ!」と、ざわめき始める。
「そんな、カトレアさん、頭を上げてください。僕はただ、自分の能力を使っただけで・・・・・・」
「いいえ、それは違います。あんな恐ろしい毒を、誰かのために自分の身に引き受けるなんて、普通の人にはできません。ミト様は・・・・・・あなたは、本当の英雄様です」
カトレアさんは僕の手をそっと取り、両手で包み込んだ。
彼女の手は温かかった。もうどこにも、あのおぞましい毒の気配はなく、生命のぬくもりが、そこにはあった。
「・・・・・・ミト。カトレア様が言う通りよ。あんたがしてきたことは、ちゃんとこうして実を結んでいるのよ」
エマが僕の肩に手を置き、優しく微笑む。
「ゴミ箱」だと言われ続けてきた僕にとって、この温かな手の感触と、カトレアさんの笑顔は、何よりも強い肯定だった。
しばらくの間、僕たちはカトレアさんの最近の学院生活や、新しく始めた趣味の話に花を咲かせた。
彼女は今、魔導芸術のクラスに通っているらしい。自分が生きている喜びを、光と色の魔法で表現したいのだと、楽しそうに語ってくれた。
やがて、彼女を呼ぶ友人の声が聞こえてくると、カトレアさんは名残惜しそうに僕の手を離した。
「ミト様。・・・・・・もしよろしければ、今度、改めて私とお茶をしていただけませんか?」
「えっ? お茶?」
「はい。公爵家の領地から、素晴らしい香りの新作茶葉が届く予定なんです。・・・・・・それから、お礼として私が描いた絵も見ていただきたくて。エマ様も、ぜひご一緒に」
カトレアさんの誘いは、社交辞令ではない、ひたむきな熱を帯びていた。
「・・・・・・あ、あはは。そうだね、時間が合えば・・・・・・」
「絶対ですよ! 私、待っていますから!」
彼女はもう一度、眩しい笑顔を僕に投げかけると、軽やかな足取りで友人たちの元へと走っていった。
カトレアさんの後ろ姿が見えなくなると、僕の隣でエマが「はぁ・・・・・・」と深いため息をついた。
「・・・・・・ミト。あんた、本当に自覚がないわね」
「え? 何が?」
「あのカトレア様の目。あれは、ただ命の恩人を慕っているだけの目じゃないわ。・・・・・・完全に『一人の男』として、あんたを誘ってたのよ」
エマのジト目が、僕の横顔を射抜く。
「え、ええ!? そんな、公爵家のお嬢様が、僕みたいなノルディアスの・・・・・・てか、そもそもエマも誘っていたし・・・・・・」
「そりゃあ、あんまし私を無視はできないでしょうし・・・・・・いい、ミト。今のあんたは、カトレア様だけじゃなくて、この学院中の女子にとっての光なの・・・・・・理解者が増えるのは嬉しいけど、あんまりこう、あちこちで、浮ついた種を蒔かないでほしいわ」
エマは不機嫌そうに口を尖らせながらも、僕の手をぎゅっと握り直した。その強さは、離したくないという彼女なりの決意の表れのように感じられた。
「・・・・・・ごめん、エマ。でも、僕はカトレアさんが元気になって、あんな風に笑えるようになったのが、本当に嬉しいんだ」
「・・・・・・それは分かってるわよ。そういう、お人好しなところがミトのいいところだってことも、私が一番よく知ってるんだから」
エマの表情が、ようやくふわりと和らぐ。
賑やかな祭りの音色が、再び僕たちの周りを包み込む。
僕が毒を飲むたびに、誰かの時間が動き出し、誰かの笑顔が戻る。よく考えたら、やっていることは、かつてとそう変わらない。だけれど、みんなからそのことを感謝されるという状況が、この世界を黄金色に染め上げてくれる。
「さあ、ミト。もうちょっと見てまわりましょ」
「うん。行こう、エマ」
僕たちは、繋いだ手を離さないままも学院祭の喧騒へと戻っていった。




