第56話 カオスの極まった学院祭
ノルディアス商会のテントがひと段落し、僕とエマ、そしてクレアの三人は、学院祭の他の学科の出し物を見て回ることにした。
だが、学院の北側に位置する魔導薬学科のエリアに近づくにつれ、空気の質が明らかに変わっていくのを感じた。
「・・・・・・ねえ、ミト。あの紫色の煙、何かしら? 普通のお祭りで上がるようなものじゃないわよね」
エマが警戒の色を強める。
前方の校舎からは、七色の火花と共に、甘ったるい綿菓子のような香りと、鼻を突くツンとした刺激臭が交互に漂ってきている。
「あれはただの煙じゃないわね。魔力的に励起された蒸散薬かしら・・・・・・おそらく、吸い込むだけで特定の感情を増幅させる類のものよ。エマ、あまり深呼吸しないように」
クレアは扇子で冷静に口元を覆った。彼女の予測通り、薬学科の校門をくぐった瞬間、僕たちの目に飛び込んできたのは、まさに「変人の巣窟」と表現する以外にない光景だった。
そこには、屋台の前に巨大な蒸留器が並び、学生たちが白衣を翻しながら、走り回っていた。
「飲むだけで三時間だけ分身できるポーション(※ただし意志は共有されない)」
「感情を雷に変えて放電する感電体験ブース」
「食べると数秒後に体が爆発四散した幻覚を見る激辛カレー」。
「・・・・・・ミト、ここって本当に学院の一部なんだよね? 闇市の間違いじゃなくて?」
「あはは・・・・・・シエラが『あそこは私の魂の故郷よ』って言っていた意味が、今なんとなく分かった気がするよ」
ここにある致死的なものではないことは分かるけれど、人間の精神を根底から揺さぶるような、悪意と知的好奇心が混ざり合った混沌の波動をひしひしと感じた。
校舎の中央広場に出ると、そこにはひときわ巨大な釜が据え付けられていた。
その上に立ち、巨大な攪拌棒を振り回しているシエラがいた。
「さあさあ! 寄ってらっしゃい見てらっしゃい! 魔導薬学科が贈る今年のメインイベント『共感覚増幅ポーション:シンクロニシティ』の完成!」
彼女が釜の中に怪しげな錠剤を投入すると、釜から巨大な虹色の泡が噴き出した。
「これを一舐めするだけで、隣にいる人の思考が色として見え、感情が音として聞こえるようになるわ! 人類が真に理解し合える新時代の幕開けよ!」
僕は驚いて、声をあげる。
「シエラ!? どうしてここに・・・・・・学院祭への出店は禁止されたはずじゃ・・・・・・てか、ノルディアス商会の手伝いはどうしたんだよ?」
「いま一段落したから、ミト君のお父様から『学院祭でも巡ってきなさい』って、休憩時間に入ったのよ!」
シエラが大声でそう言い返す。
「でも君は、出店を禁止されているだろう?」
「ええ、そうよ。だからこれは『出店』じゃないわ。ただ、魔導薬学科の手伝いをしているだけよ」
・・・・・・なんともまあ、すごい言い訳だ。そんなに薬をいじりたいのだろうか。
「・・・・・・最悪の予感しかしないわね」
エマが呟いた瞬間、その予感は現実となった。
ポーションを試飲した学生たちが、次々と叫び声を上げ始めたのだ。
「うわあああ! 隣のやつの腹黒い考えが、ドス黒いヘドロ色で見える!」
「君の愛の告白が、不協和音の重低音にしか聞こえないんだ! 耳が腐る!」
「ああっ、教授の頭の中が虹色の雲で埋め尽くされている・・・・・・!」
広場は一瞬にして、狂騒的な状態に陥った。
「ミト! 止めるわよ! これ以上広まったら、去年以上の大惨事よ!!」
エマが釜に向かって駆け出そうとしたが、僕たちに気付いたシエラは叫び返す。
「ダメよエマ! これは成分の自己組織化プロセスに入っているの! 今止めると、この釜に溜まった共感覚エネルギーが爆発して、学院どころか王都全域にまで、影響が出るわよ!!」
「じゃあ、このままこうしてこの学院祭がめちゃくちゃになるのを放っておくわけ!?」
エマが絶叫する横で、僕は苦笑して、一歩前に出る。
この場を収められるのは、やっぱり僕だけだろう。
「ミト、行くの?」
「うん・・・・・・あの中の毒だけを抜き取れば、いいんだろう?」
それは、僕がこれまでずっといつもやってきたことだ。僕は、釜の縁に手をかけた。
シエラが驚いた顔でこちらを見る。
「ミト君!? 危ないわ、これは精神毒の塊よ!」
「大丈夫。シエラが作ったものなら、僕が全部受け止めてあげるよ」
僕は深呼吸をし、釜の中の液体に右手を浸した。
瞬間、もう薬だか毒だか分からなくなっている、混沌とした成分が、流れ込んでくる。
僕の体内が熱くなってきて、釜の中から不気味な虹色の光を吸い取っていく。ドロドロとしていた液体は、僕が触れる端から、澄み切ったクリスタルブルーへと変わっていった。
それだけではない。周囲にした人たちの体内に摂取された、この虹色の怪しい成分を、次々と吸収する。
数分後。
広場を包んでいた狂騒は収まり、釜の中にはただの冷たくて甘い香りのする水が残された。
ポーションの影響を受けていた人たちも、ようやく正気を取り戻し、お互いの顔を見合わせて気まずそうに沈黙している。
「・・・・・・ふぅ。これで、釜の中は、ただの美味しい水になったよ」
僕が手を拭きながら言うと、シエラはがっくりと釜の横に座り込んだ。
「・・・・・・ミト君、私の研究が・・・・・・一瞬でゼロに・・・・・・」
「シエラ。ゼロじゃないわよ。ミトがあなたの失敗を成功に書き換えてくれたのよ・・・・・・これを『浄化ポーション』としてでも売り出せば、ノルディアス商会の利益になるわね」
クレアがちゃっかりと釜の水を瓶に詰めながら、冷徹な評価を下す。もう・・・・・・この子はこの子で、商魂たくましすぎるんじゃないのかな?
その時、周囲の人たちから、小さな、けれど確かな拍手が沸き起こった。
「すげえ・・・・・・あの暴走した釜を、素手で抑え込むなんて」
「さすがノルディアスだ・・・・・・」
「・・・・・・でも、薬学科の連中、やっぱり頭おかしいよな」
最後の一言には、僕も心の底から同意せざるを得なかった。
薬学科の面々は、騒動が収まった途端に「今のデータの欠落は何が原因だ!?」「ミト君の吸収効率を逆算しろ!」と、反省するどころか次の実験に向けて議論を始めている始末だ。
「・・・・・・エマ、行こうか。ここには、僕たちの理解を超えたものが住み着いているみたいだ」
「そうね、ミト・・・・・・シエラさんとは、当分プライベートでは会いたくない気分だわ」
僕たちは、いまだに色とりどりの爆発音が響く校舎を背に、自分たちのテントへと戻っていった。
魔導薬学科――そこは、王国の常識を破壊し、新しい可能性、そして時には絶望を生み出す変人たちの聖域。
でも、あんな風に全力で未知に挑む彼らがいるからこそ、この王国の発展はあるのかもしれない。
夕暮れの空に、薬学科が打ち上げたと思われる笑い声が録音された花火が、炸裂する。
その光景を見ながら、学院祭って、やっぱり楽しいな、と思っている僕も、心の奥底にのどこかに、確かにいた。




