第55話 変わる空気
王立学院の朝は、かつてないほどの熱気に包まれていた。
空は雲一つない快晴。学院の尖塔からは色とりどりの魔法の紙吹雪が舞い、正門の前には開場を待つ王都の人々が長蛇の列を作っている。
「ミト、ぼーっとしないで! ここの魔導共鳴板の数値を、君の黄金のマナで最終調整してちょうだい!」
研究室の主、リサの声が響く。彼女は徹夜明けとは思えないほど血走った瞳を輝かせ、巨大な投影魔法陣を操作していた。
僕――ミト・ノルディアスは、言われるがままに装置に手を触れる。
「リサ、あまりミトをこき使わないで。彼はこれからノルディアス商会の顔として店頭にも立つのよ」
エマが隣で鋭い視線をリサに向ける。彼女は朝から僕の護衛兼、身の回りの世話(主に服の乱れを直したり、寄ってくる女子を牽制したり)で大忙しだ。
「分かっているわよ、エマ。でも、この解析データは今日、世界を変えるの。見てなさい、ミトが供給するエネルギーの波形を!」
そう言うとリサは、何やらよく分からない数式と解説を空中に投影する。
「・・・・・・よし、これで完璧。さあ、ミト、あなたは商会の方へ行きなさい。クレアが首を長くして待っているわよ」
リサに送り出され、僕とエマは中庭の特設エリアへと急いだ。
中庭の一等地に構えられたノルディアス商会のテントでは、僕の父様と母様が緊張した面持ちで開店の準備をしていた。
そして、その傍らで何やら身振り手振りで熱弁を振るっているのは、白衣を翻したシエラだ。
「いいですか、ガルマさん! 商品名は『解毒薬』みたいなシンプルなものじゃダメなんです! 『聖域の滴――王国の救世主・ミトが認めた黄金の奇跡』! これくらい煽らないと、今の王都の消費者は振り向きません!」
「し、シエラさん・・・・・・。それは少し、大げさすぎはしないだろうか・・・・・・」
「いいえ! それから、このポーションを飲むときは、少しだけ空中にマナの光が舞うように細工しておきました。こうすれば、注目を引くこと間違いなしです!」
・・・・・・シエラのアドバイスは、相変わらず商売というよりは、普段の暴走気味の実験に近い。けれど、その隣で冷徹に帳簿をチェックながら、クレアが短く言葉を添える。
「シエラの演出は過剰だけれど、宣伝効果としては合理的よ。でも、薬の名前はもうちょっとシンプルな方がいいわね・・・・・・ガルマさん、あなたは自信を持って立っていればいいわ。今日は私たちが裏で全てをコントロールしますから」
「・・・・・・おお、ミトにエマちゃん。二人とも、準備はいいか?」
僕たちに気付いた父様の問いに、僕は力強く頷いた。
かつて地下室で震えていた家族が、今、光の祭典で輝こうとしている。その事実に、胸の奥が熱くなった。
そして、ついに学院祭開幕だ。
正門が開かれると、堰を切ったように流れ込んでくる群衆。色鮮やかな衣装に身を包んだ貴族、好奇心旺盛な学生、その他大勢の様々な階級の人々。
僕は商品の運搬を手伝うため、人混みの中を縫うように歩いていた。その時だった。
「おっと・・・・・・」
向こうから歩いてきた華やかな装いの男女と、肩がぶつかってしまった。
「失礼しました。お怪我はありませんか?」
僕は反射的に謝罪し、手を差し出した。
相手は五十代後半と思わしき、厳格そうな顔立ちの貴族の夫婦だった。男は僕の顔を見るなり、あからさまに不快そうな表情を浮かべ、僕の手を払いのけた。
「・・・・・・っ。なんだ、貴様は。この神聖な学院の祭りに、なぜこのような不浄なゴミ箱が紛れ込んでいるのだ」
男の言葉に、周囲の空気が一瞬で凍りついた。
彼の胸元には、由緒正しい伯爵家の紋章。
やれやれ、と僕は肩をすくめる。未だに僕への偏見を持っている人たちが一定数いることは頭では理解しているけれど、いざこうしてその差別感情を露骨にぶつけられると、やっぱり少しは傷付く。
「あなた、やめてちょうだい。触れるだけで呪いが移りそうだわ。ほら、行きましょう。あんなゴミ箱に関わってはいけません」
夫人の冷ややかな視線が、僕を突き刺す。
ここはスルーするに限る。僕はただ頭を下げて、彼らが通り過ぎるのを待とうとする。
けれど、隣にいたエマが剣の柄に手をかけ、一歩前に出ようとした。その瞳には、かつてないほどの怒りが宿っている。
「・・・・・・ミト、下がってて。この無礼な連中に、今この国で誰が一番尊いのかを教えてあげるわ」
「待って、エマ。・・・・・・僕は大丈夫だから」
僕がエマを止めようとした、その時だった。
「――お父様! お母様! 何てことを言っているの!?」
人混みをかき分けて、一人の女子生徒が飛び出してきた。
彼女はこの学院の制服を着ている。その制服を見るに、魔導学科の二年生だ。彼女は両親である伯爵夫婦の前に立ちはだかり、顔を真っ赤にして叫んだ。
「セシリア? なんだいったい・・・・・・私たちは今、この不浄の――」
「黙って! お父様たちが何も知らないだけじゃない! ミト様をいじめないで! 彼がどれほど、この国のために尽くしてきたか、分かっているの!?」
彼女――セシリアと呼ばれた少女の言葉に、夫婦は呆然とした。
「何を言っている・・・・・・こいつはただの呪われた・・・・・・」
「呪われてなんかないわ! 私たちが、こうして毎日、魔毒の危険に怯えることなく、何不自由なく過ごせているのは誰だと思っているの!? このミト様よ! 彼は自分を犠牲にしてまで、王国の毒をいつも飲み干してくれているのよ!」
セシリアの叫びは、周囲にいた他の生徒たちにも伝播した。
「そうよ! 私たちの王国を、あの忌々しいエリュシオンから救ってくれたのもミト様なんだから!」
「偏見だけで人を判断するなんて、貴族として恥ずかしくないんですか!?」
次々と上がる若者たちの声。
かつては僕を避けていたはずの生徒たちが、今は盾となって僕を守ろうとしている。その光景は、僕にとって、どんな強力な魔法よりも衝撃的だった。
「・・・・・・セ、セシリア・・・・・・。だが、家柄というものが・・・・・・」
「家柄よりも大事なのは、その人が何をしたかでしょう!? 私は、この学院で一番尊敬されているミト様を侮辱するような人、たとえ親でも許さないわ!」
娘の凄まじい剣幕と、周囲の生徒たちの冷ややかな視線に、伯爵夫婦は完全に気圧されていた。
自分たちが信じていた常識が、すでにこの若い世代には通用しないことを、伯爵夫婦ようやく悟ったようだった。
「・・・・・・あ、いや。・・・・・・失礼した。・・・・・・もう行こう」
夫婦は逃げるように、人混みの奥へと消えていった。
嵐が去った後のような静寂の中で、セシリアが僕の方を振り返った。
「ミト様・・・・・・。本当に、申し訳ありませんでした。私の両親があんなに無礼を・・・・・・重ねてお詫び申し上げます」
「・・・・・・いいえ。助けてくれて、ありがとう、セシリアさん」
僕が微笑むと、彼女は顔を赤くして、深々と頭を下げた。
「いいえ! 私は、事実を言ったまでです。・・・・・・それから、今日の商会の商品、絶対買いに行きますから!」
彼女は仲間たちと共に、楽しげに去っていった。
それを見送る僕の隣で、エマがふーっと大きく息を吐き、剣から手を離した。
「・・・・・・全く。あの子が来なかったら、私、今頃あの伯爵の髭を全部剃り落としていたわよ」
「はは・・・・・・。エマ、ありがとう。守ろうとしてくれて」
僕は改めて、周囲を見渡した。
遠くから僕を見て、頬を染めてひそひそ話す女子生徒たち。
「ミト、後でポーションを買いに行くぞ!」と気さくに声をかけてくる男子生徒たち。
最近、段々と空気が変わってきた。
それは単に僕が英雄として祭り上げられているからだけではないのだと、今ようやく理解できた。
これまで僕が毒を吸い、呪いを分解してきた結果が、目に見える成果となして、この新しい世代の人々の心に届き始めているんだ。
「・・・・・・ねえ、ミト。今の女の子、すごく熱烈だったわね」
エマが少し、ジト目で僕を見つめる。
「えっ? ああ、セシリアさんのこと? 立派な人だね」
「・・・・・・ふん。やっぱりミトは分かってないわ。あの子、最後にあんたの手を握ろうとして、寸前で思いとどまってたのよ。・・・・・・理解者が増えるのは嬉しいけど、やっぱりあんまりフラフラしないでよね」
「分かってるよ、エマ。僕にとって一番の理解者は、最初から君だけだって、決まってるんだから」
僕がそう言うと、エマは一瞬だけ驚いたように目を見開き、すぐに真っ赤になってそっぽを向いた。
「・・・・・・もう、バカ。・・・・・・さあ、行きましょう。商会の前は、もう人だかりができてるわよ」
中庭には、楽しげな音楽と笑い声が響いている。
そこにあるのは、希望と活気に満ちた黄金の輝き。
いよいよ、僕たちの本当の学院祭が幕を開ける。




