第51話 学院祭の説明をするわよ
放課後の喧騒が遠くに聞こえる中、僕はエマと共に、いつものようにリサの特別研究室へと足を運んでいた。
窓から差し込む夕日は、棚に並んだ無数のフラスコや魔導書を琥珀色に照らし、部屋の中には乾燥した薬草と古い紙、そして微かなオゾンの香りが混ざり合っている。
奥のデスクで複雑な魔方陣の演算をしていたリサが、顔を上げて柔らかく微笑んだ。
その隣では、白衣の袖をまくり上げ、怪しげな紫色の液体を煮詰めていたシエラさんが、僕たちを見るなり「待ってました!」と言わんばかりに跳ね起きた。
「ミト君! ちょうどいいところに! この『黄金のマナを触媒にした新種ポーション』の安定性について、君で実験して――」
「シエラ、まずは今日呼んだ本題を話しなさい。研究はその後よ」
リサの冷静な制止に、シエラさんは「ちぇー」と口を尖らせながらも、僕たちの正面に座り直した。
「・・・・・・リサ、今日の話というのは?」
僕の隣で、エマが少し身を乗り出す。リサもシエラも、僕らに対して悪意が一切ないことはエマは百も承知なのだが、変人の極まったこの二人を前にすると、やはりどうしても護衛としての警戒を怠らない。
「ええ。そろそろ準備を始めないといけない時期だと思ってね・・・・・・来月行われる、我が学院最大の行事・聖魔導学院祭についてよ」
「学院祭・・・・・・」
僕はその響きを口の中で転がしてみた。地下室で毒を飲み続けていた僕にとって、お祭りなんて別世界の話だ。
「そうよ、ミト君! 学院祭は、日頃の魔導研究の成果を国民に披露する場であると同時に、全学生がその知恵と魔力を振り絞って最高にぶっ飛んだことをする一週間なの!」
シエラさんが目を輝かせて説明を始めた。けれど、それを聞くエマの表情がみるみるうちに曇っていく。
「・・・・・・シエラさん。去年、あなたがやったことをもう忘れたんですか?」
「去年? 何かあったの、エマ?」
僕が尋ねると、エマは遠い目をして溜息をついた。
「去年、魔導薬学科の代表だったシエラさんは、『夢を叶える芳香剤』と称して、広域散布型の幻覚性アロマを噴水に仕込んだのよ」
「……あ、あはは。あれは単に、みんなが心の奥底で求めている『幸せな光景』が見えるように計算しただけで……」
「結果、学院中の生徒が一日中踊り狂って、先生たちはカラフルな幽霊が見えるって叫びながら走り回るわ、食堂の噴水からは炭酸ジュースが溢れ出すわ・・・・・・。騎士団が鎮圧に出動する寸前までいったんだから!」
エマの告発に、僕は戦慄する。シエラさんが無茶苦茶なのは知っていたつもりだが、どうやらそのスケールは、僕の想像を遥かに超えているようだ。
「・・・・・・おかげで、学院祭の終了後丸三日は、全校生徒が重度の脱力感で登校拒否になったわ。シエラさんは一週間の禁止処分。……それを踏まえて、今年はどうするつもり?」
エマの厳しい視線に、シエラさんは一瞬だけ縮こまったけれど、すぐに復活して僕の方を指差した。
「だからこそ、今年はミト君が必要なの! ミト君による絶対的な浄化と解析能力があれば、私が今開発中の『限界突破ポーション』も、安全性を100パーセント保ったまま提供できる!」
「・・・・・・やっぱり、無茶な薬を売るつもりなんですね」
僕は呆れ半分、感心半分でシエラさんを見る。ノルディアス商会では、さすがに少しは自制して、まともな薬を調合してくれているし、それは感謝しているけれど、この学院では、やりたい放題だ。
「シエラはああ言っているけれど、私としてはね、ミト君。君たちのノルディアス商会の名前を、この機会に国中に広めるいいチャンスじゃないかしら? 学院祭には、王都の貴族だけでなく、他国の賓客も大勢やってくるわ。そこで、君のことをもっとアピールして、ついでにノルディアス商会の宣伝もすれば、ノルディアスの汚名は完全に払拭されるかもよ」
リサの言葉に、僕は背筋が伸びる思いがした。
自分たちの店を構え、父様と共に歩み始めた今、この学院祭は「ノルディアス」という名前が、本当の意味で人々に受け入れられるための試練になるのかもしれない
「分かった。リサ、そのことは一度父様に相談してみるよ。それから、学院祭の手伝いも、僕にできることなら何でもやります。シエラさんの暴走の・・・・・・いえ、薬の開発のサポートも」
「やったー! 決まりね! ミト君、今日から毎日私の家で徹夜よ!」
「それは私が許しません、シエラさん」
エマがすかさずシエラの襟首を掴んで引き戻した。その光景を見て、リサがクスクスと笑った。
研究室での話し合いが終わり、夕闇に包まれた廊下を、僕とエマは並んで歩いていた。
窓の外を見下ろすと、中庭ではすでに学院祭の準備を始めている生徒たちの姿もちらほら見える。巨大な魔導モニュメントを組み立てる者、空中に魔法で看板の試し書きをする者。
「・・・・・・ミト。シエラさんはああ言うけれど、無理はしないでね。学院祭は、楽しむためのものなんだから」
エマが少し心配そうに僕を覗き込む。
「ありがとう、エマ・・・・・・でもね、なんだか不思議なんだ。シエラの話を聞いて、あんなにカオスなことがあったって聞いたのに、全然嫌な感じがしないんだよ」
「・・・・・・ミト?」
「だって、みんなが自分の魔法や知識を、薬師ギルド連合みたいに私利私欲に走るんじゃなく、誰かを笑顔にするために披露しようとしている。たとえそれが少し暴走していても、全力で人のためになろうとしている。それって、すごく素敵なことだと思うから・・・・・・」
「もう、ミトったら・・・・・・本当、あなたはどこまでも人の善意にばかり、目を向けるのね」
エマは呆れたように肩をすくめたけれど、その表情はどこか柔らかかった。
毒を飲み干すだけだった僕の人生に、今、こんなにも騒がしくて、温かくて、予測不能なお祭りが舞い込もうとしている。
「・・・・・・楽しみだな。学院祭」
僕は夜空を見上げ、独り言を呟いた。
ワクワクとした高揚感に応えるように、僕の体内が穏やかに、けれど力強く脈打っていた。。
僕たちの学院祭は、かつてないほどの最高の混沌になるかもしれない。でも、それも楽しもう。
僕は自然と足取りが軽くなるのを感じていた。




