第43話 静殺の霧に、切り込みだ
深夜。
王都の喧騒が消え、冷たい霧が立ち込める中、僕たちは旧地下神殿へと続く秘密の入り口に立っていた。
背後には、スプレンディアス公爵率いる精鋭騎士団が、音も無く、息を潜めて待機している。
「・・・・・・ここから先は、闇の領域ね」
クレアがランタンを掲げ、地下へと続く石段を照らした。
地下深くから、不気味な脈動が伝わってくる。
そしてこの国を蝕もうとするどす黒い欲望と呪い、それらが凝縮されたどろどろとした思念の塊が、不気味なオーラをここまで放っているようだった。
しかし、普通の人なら足が竦むようなその波動さえ、僕にとっては――こういう表現はちょっと過剰かもしれないが――美味しそうなご馳走にしか感じられなかった。
「行こう、二人とも」
僕は先頭に立ち、暗闇の中へと足を踏み入れた。
僕の右腕が、黄金の光を微かに放ち始める。
地下神殿の石段を下りるごとに、気温が肌を刺すように下がっていくのが分かった。
空気は湿り、腐った果実のような、吐き気を催すような臭気が鼻を突く。
僕、ミト・ノルディアスは、右腕に宿る黄金のマナを微かに発光させ、暗闇を照らしながら進んだ。
「・・・・・・来るわよ。第一結界を抜けた瞬間に、敵の防衛網が起動する」
後ろを歩くクレアが、ランタンの明かりの下で瞳を光らせた。
「ミト、無理はしないで。危なくなったらすぐに私が前に出るわ」
エマが腰の白銀の剣を抜き放ち、僕の左側を固める。
だが、僕は静かに首を振った。
「大丈夫だよ、エマ。・・・・・・ここにある全ての悪意と呪いは、僕にとってはただのご馳走でしかないんだから」
エマは呆れたように息を吐く。
「まったく、大した自信ね・・・・・・でも、それでこそ私のミトよ」
「それよりエマとクレアの方こそ気をつけてよね。うっかり呪毒なんて受けたら、それこそ大変だよ」
「肝に銘じておくわ」「了解よ」
石造りの大きな広間に出た瞬間、闇の中から数十もの赤い瞳が浮かび上がった。
「侵入者だ!」「構えろ!」
どす黒い法衣をまとった呪術師たちが、闇の中から姿を現して、一斉に呪文を唱え始める。
「死ね! ――【万呪の毒針】!」
先陣を切った呪術師たちの杖から、紫色の禍々しい光の針が無数に放たれた。触れるだけで肉体を腐らせ、魂を削り取る死の雨だ。
エマが防御姿勢を取ろうとしたが、僕はそれより早く一歩前に出た。
「・・・・・・いただきます」
僕は右手を虚空にかざし、手のひらを開いた。
「――【黄金の捕食:全方位展開】」
僕の体から溢れ出した黄金の波動が、炸裂する。
放たれた数千の毒針は、僕の体に届く直前でピタリと静止し、まるで磁石に吸い寄せられる鉄屑のように、僕の右腕へと収束していった。
「な・・・・・・!? 消えた・・・・・・だと? 我らの真髄である呪術が、吸収されたというのか!?」
吸収した呪いのマナを、僕は即座に純粋なマナへと変換し、全身の回路を強化する。
体が熱い。力が漲る。
十年間、一方的に注ぎ込まれる毒を耐えてきた僕にとって、彼らの放つ程度の呪いは、ぬるま湯のようなものだった。
「お返しだ――【黄金の衝撃波】」
右手に凝縮されたマナを、地面に叩きつける。
黄金の光が放射状に走り、呪術師たちの足元を爆破した。悲鳴を上げる暇もなく、呪術兵たちは衝撃で壁まで吹き飛ばされ、意識を失っていく。
「・・・・・・ふん、雑魚どもが。やはりあの小僧、ただの『ゴミ箱』ではないようだな」
広間の奥、さらに深くへと続く巨大な石扉の前で、三人の男たちが立ちはだかった。
彼らが放つ空気は、先ほどの呪術師たちとは一線を画している。
「紹介するわ。呪術組織・静殺の霧の中堅幹部たちよ」
クレアが素早く鑑定を完了させ、情報を伝える。
「左の痩せた男は『影縫いのジギル』。影を介してすべてに呪いをかける。中央の巨漢は『腐骨のゴラム』。触れるもの全てを腐らせる腐敗呪術師。右の女は『千の舌のサロメ』。幻覚と精神汚染のスペシャリスト」
「・・・・・・豪華な顔ぶれだね。でも、やることは変わらない」
僕は足を止めず、真っ直ぐに彼らへと歩み寄った。
「舐めるなよ、小僧! ――【影葬十字】!」
ジギルが指を動かすと、彼の影が生き物のように蠢き、鋭い棘となって僕の足元から心臓を貫こうと突き上げた。
「……遅いよ。いただきます」
影の棘が触れると同時に、その味を瞬時に理解する。
足元に黄金のマナを流し込み、その影そのものを捕食する。
「え・・・・・・!? 俺の影が、吸い込まれて・・・・・・ぎあああああっ!」
ジギルが操っていた影の呪いは、僕の影を通じて逆に彼の魔力回路ごと、僕のエサとなった。
「次は俺だ! 死ねえええ!」
巨漢のゴラムが、腐敗の霧をまとった拳を振り下ろす。
「エマ!」
「分かっているわ!」
僕は瞬時にゴラムの放つ腐敗の霧を吸収して無力化する。ほぼ同時にエマが電光石火の速さで踏み込んだ。
「――スプレンディアス流、三連突!」
黄金のマナで強化された彼女の剣が、ゴラムの巨体を三度貫き、打ち倒す。
最後に残ったサロメが、狂ったように笑いながら両手を広げた。
「あはは! 面白いわね! でも、私の精神呪術からは逃げられないわ! ――【絶望の揺り籠】!」
甘い香りと共に、周囲の景色が歪み始める。
僕の脳裏に、かつて地下室で一人泣いていた幼い頃の記憶が蘇る――はずだった。
「・・・・・・サロメさん。残念だけど、僕の心はもう、君が見せようとするどんな偽物の絶望よりも、本物の地獄を知っているんだ」
僕は幻覚の霧を、大きく息を吸い込むようにして全て体内に引きずり込んだ。
毒を食らい、呪いを食らい、絶望さえも糧にする。
それが、僕という「ゴミ箱」の、真の姿だ。
「ヒッ・・・・・・化け物・・・・・・! 貴様、本当に人間か!?」
腰を抜かしたサロメに向けて、僕は静かに右手をかざした。
「――おやすみ。もう誰も、呪わなくて済むように」
黄金の閃光が彼女を包み込み、その意識を深い眠りへと落とした。
広間に立っていた三十人以上の呪術師と、三人の幹部。
彼らは全員、僕たちが傷を負うこともなく、わずかな時間で無力化された。
「……圧倒的ね。ミト、あなたの吸収効率、シエラさんの薬のおかげか、それともあなたの怒りのせいか、以前の倍以上に跳ね上がっているわ」
クレアが驚愕と感心の入り混じった声を上げる。
「ミト、大丈夫? 無理して飲み込みすぎてない?」
エマが心配そうに僕の顔を覗き込む。
「大丈夫だよ、エマ。……まだ、お腹いっぱいには程遠いから」
僕は目の前の巨大な石扉を見据えた。
この奥にある、さらに深い階層。そこに、この「呪毒の連鎖」の総帥と、カトレア様を苦しめた呪いの大元がある。
「行こう。……今夜で、この国の闇を一つ、完全に消し去るんだ」
僕は扉に手をかけ、一気に押し開けた。




