第39話 この王国で、不治の病?
大司教バルナバスのクーデター騒動から、一週間。僕の王立学院での平穏な日常が、ようやく戻りつつあった。
陽光が心地よく降り注ぐ昼休み。僕とエマは、いつものように中庭の隅にある大きな樫の木の木陰に腰を下ろしていた。
「はい、ミト。今日は野菜多めのサンドイッチにしてみたわ」
エマが差し出したバスケットの中には、瑞々しいレタスと厚切りのハム、そして彼女が朝から手作りした特製の卵焼きが挟まれたサンドイッチが並んでいた。
「ありがとう、エマ。エマの料理は、どんな高価な薬よりも僕を元気にしてくれるよ」
「・・・・・・もう、そういうことを平気で言うんだから」
エマは少しだけ頬を染め、恥ずかしそうに視線を逸らした。
こうして二人で静かに食事を摂る時間は、僕にとって何物にも代えがたい尊いものだ。
僕たちが穏やかな食事の時間を続けていると、近くを通りかかった女子生徒たちのひそひそ話がふと耳に入ってくる。
「・・・・・・ねえ、聞いた? ローゼンベルク公爵家のカトレア様のこと」
その名前は、僕でも知っていた。カトレア・ローゼンベルク。この学院でも指折りの資産家の令嬢であり、その美貌と聡明さから「学院の真珠」と称えられるほどの子だ。
「なんでも、ここ一、二週間ほど不治の病で伏せっているんだって」
「最初はただの風邪だって聞いていたけれど、実はもう・・・・・・いよいよ危ないらしいわね」
「そんな・・・・・・王都中の一流の治癒術師や薬師が呼ばれたんでしょう? それでもダメなの?」
「噂では、普通の病気じゃないって。体の中から黒いマナが溢れ出して、触れることもできないくらいだって……。お父様の公爵様も、もう悲しみに打ちひしがれてらしいわ」
女子生徒たちは怯えたような顔で足早に去っていった。
「黒いマナ、ね」
僕の胸に、ひっかかるものがあった。
そもそもここアルヴェニア王国では、大きな病気でも小さな病気でも、すぐに医者や治癒士が回復してくれるはずだ。それはもちろん、僕が魔毒を吸収することによって成り立っているシステムでもあるのだけれど・・・・・・カトレアさんは、確か年齢は僕と同じなはずだ。そんな若い子が、わずかな期間に死に至るような病におかされている・・・・・・どうにも不可解だ。
「ミト、顔色が悪いわよ? 大丈夫?」
「あ、いや・・・・・・エマ、今の話を聞いた? カトレアという人が、死に至る病にかかっている・・・・・・そのことをちょっと考えてしまって」
「そうね・・・・・・このアルヴェニア王国で、そんなに長く続く病気というのも、珍しいわよね」
「でしょ? 何か、不穏なものを感じるんだけれど・・・・・・」
「・・・・・・分かった。ミト、放課後ローゼンベルク邸に行ってみましょ。あそこなら、スブレンディアス家ともそれなりに交流があるから、多分、入れてくれるはず」
「恩に切るよ、エマ」
そういうわけで、その日の放課後。
僕とエマは、並んで学院の正門を後にした。 夕日が王都の街並みをオレンジ色に染め、家路を急ぐ人々の影を長く伸ばしている。
「さ、カトレアさんのところに行きましょうか」
「うん、そうだね」
そうして僕らがローゼンベルク家に向けて、歩道を進もうとしたそのとき。前方の街路樹の陰から、一人の男性が静かに姿を現した。
仕立ての良い黒い燕尾服を纏い、背筋を真っ直ぐに伸ばした初老の男性。その立ち居振る舞いからは、長年高貴な家に仕えてきた者特有の、洗練された品格と威圧感が漂っていた。
「・・・・・・ミト・ノルディアス様。そして、エマ・スプレンディアス様ですね」
男性は深く、そして慇懃に頭を下げた。エマは、その男性を見て、目を丸くする。
「あなたは・・・・・・たしか、ローゼンベルクさのところの執事さんよね」
「左様でございます。私はローゼンベルク公爵家に仕える執事、ゴードンと申します。本日は、我が主君の切なる願いを携えて参りました」
ゴードンの表情は硬く、その瞳には深い悲しみと、一筋の藁にも縋るような必死さが宿っていた。
ゴードンは再び深く頭を下げた。
「お嬢様・・・・・・カトレア様の命は、今や風前の灯火。もはや通常の医術や神聖魔法では、太刀打ちできませぬ。・・・・・・ミト様、これまで貴方様があらゆる魔毒を浄化してきた、真の英雄であるとの噂で、最近王都内はもちきりでございます。ロザリア様を救い、毒専門の暗殺者集団相手に一人で立ち向かい、その毒を平らげたとか・・・・・・ミト様。もう我々には、あなた様しか頼る者がいないのです。お嬢様を・・・・・・カトレア様を救っていただきたいのです。この通りです」
公爵家の執事ともあろう人物が、公道で若者に対して膝をつこうとする。僕は慌ててその腕を支えた。
「ゴードンさん、やめてください。実は、僕たちもカトレアさんのことを耳にして、丁度いまあなたたちのお宅に伺おうとしていたところなんです。詳しい話を聞かせていただけますか?」
僕の言葉に、ゴードンは顔を上げ、震える声で語り始めた。
カトレアの症状は、単なる衰弱ではなかった。彼女の体内からは、黒いマナが絶え間なく湧き出し、彼女の体内をむしばんでいるのだという。
「・・・・・・分かりました。僕にできることがあれば、協力したいと思います」
「ミト! あなたって人は・・・・・・いい? いつも言っているでしょ? 結局、ローゼンベルク公爵だって、これまであなたに魔毒を押しつけて見て見ぬ振りをしてきた貴族たちの一人よ? そんな家を助ける必要ある?」
「エマ、そういう言い方はよくないよ」
僕はぴしゃりと言う。
「確かに、僕は虐げられてきた・・・・・・これまで十年間、ずっと。僕をいいように扱ってきた貴族たちに対する怒りがないといえば、嘘になる。でもさ、誰もがスプレンディアス家みたいに、僕たちの味方を出来なかった。そのことは、エマ自身が誰よりも理解しているよね?」
「うっ・・・・・・それはそうだけれど」
エマは小さくなる。
「いま、僕の体内に蓄積されたローゼンベルク公爵の魔毒に含まれていた記憶を読んだよ。決して、僕のことをゴミ箱と蔑む気持ちはどこにも見当たらなかった。むしろ、公爵はいつも僕という存在に対して、後ろめたさを感じていた。だけれど、その立場ゆえに、正面切って聖女リリアニアたちに異を唱えることは難しかった。下手に逆らえば、ローゼンベルク家をまるごと取り潰される可能性すらあった。スプレンディアス家が長年、僕ら家族の味方でいれたのは、ひとつには聖女様や大司教でさえ潰すことの出来ない確かな力を持っていたから、というのもあるよね」
「それは・・・・・・そうだけれど」
エマはごにょごにょと口ごもる。
「エマ、ありがとう。いつも僕のことを考えてくれて、僕のために怒ってくれて・・・・・・でもさ、やっぱり放っておけないんだよ」
「もう・・・・・・ミトはどこまでもお人好しね」
エマは困ったように笑う。でも、その表情からは、彼女が納得してくれたことが分かった。
僕はゴードンさんに向き直る。
「ゴードンさん。そのお話、引き受けました。すぐにでもお嬢様の元へ伺いましょう」
「ねえ、ミト。その前にリサも連れていったらどうかな? 彼女の解析能力が、必要になるかも」
エマの提案に、僕はうなずき、ゴードンさんを見る。
「リサというのは僕たちの仲間です。彼女が解析すれば、僕はより効率的にその毒を吸い出すことが出来るかもしれません」
「もちろんでございます! リサ様のご同行、是非ともお願いしたく存じます。公爵も、貴方様方の身の安全に関しては、全霊を賭してお守りすると誓っております」
「・・・・・・決まりね。じゃあ、まずは一旦学院に戻ってリサ、を呼んでくるわ。多分、いつも通りまだ研究室にいるでしょうし」
エマはやれやれと肩をすくめながら、学院の方に戻る。
「ありがとうございます、ありがとうございます・・・・・・!」
ゴードンさんは三度深く頭を下げる。
カトレアさんをむしばんでいるという謎の病。だけれどきっと、僕たちに解決できるはず。長きにわたり魔毒を喰らい続けてきた僕には、そういう確信があった。




