第28話 晩餐会からの帰り道
最高級ホテル・レガーレ・アステリアの巨大な門をくぐり抜け、ようやく喧騒から解放される。
深夜の王都は、先ほどまでの煌びやかな晩餐会場が嘘のように静まり返っている。冷たい夜風が、高揚した肌を心地よく撫でた。
僕とエマは、並んで家路についていた。
僕はミッドナイト・ネイビーの礼装のまま、エマは白銀のドレスの上に、僕が貸した上着を羽織っている。ヒールの音が石畳に規則正しく響き、街灯の灯が二人の長い影を前方に伸ばしていた。
しばらくの間、僕たちの間に言葉はなかった。
大公の謝罪、ダンスでの勝利、毒矢による暗殺未遂、そして王族ロザリアからの依頼。一晩で起きた出来事の重さが、じわじわと体に染み込んでくる。
不意に、エマが足を止めた。
街灯の淡いオレンジ色の光に照らされた彼女の横顔は、どこか沈んで見えた。
「……ねえ、ミト」
その声は、いつもより少し低く、震えていた。
エマは、ドレスの裾をぎゅっと握りしめ、僕の方を振り返らずに言った。
「どうして、ロザリア様の頼みを聞いたの?あんなに簡単に、引き受けちゃうなんて・・・・・・私、やっぱり納得いかない」
僕は少し驚いて、彼女の背中を見つめた。エマはゆっくりと、胸に溜まっていた熱を吐き出すように言葉を続ける。
「この国は・・・・・・この王国は、いままで散々ノルディアス家を、あなたを虐げてきたのよ。あなたを不浄だゴミ箱だって蔑んで・・・・・・そうやって吸い取ったあなたの命で、連中はのうのうと贅沢をしてきたの」
エマの声が、次第に熱を帯びていく。それは僕を大切に思うがゆえの、激しい憤りだった。
「そんな王国、一度滅んでしまえばいいじゃない。内紛だろうが何だろうが、自業自得よ。ロザリア様だって、結局は王族の一人だわ。今まで黙って恩恵を受けてきた側の人よ」
エマが僕の方を向く。その碧い瞳には、うっすらと涙が浮かんでいた。
「ねえ、ミト。逃げたって良かったのよ。ノルディアス家とスプレンディアス家、みんなでどこか遠い国に引っ越して、誰も私たちのことを知らない場所で・・・・・・そこで私はミトと、新しい家庭を築くのよ。普通の男の子と女の子として、笑って暮らす。そんな未来だって、あったはずなのに」
彼女の言葉に、胸が締め付けられた。
「家庭を築く」という言葉の響きが、甘美で、夢のように僕の心に染み渡ってくる。
毒を吸い続けるだけだった頃の僕に、そんな贅沢な未来を望む権利なんてないと思っていた。けれど今は、その権利が、可能性が目の前にある。エマとなら、本当にそんな生活が送れるかもしれない。
「どうして・・・・・・どうして、また苦労する道を選んじゃうの?」
僕は静かに、エマの前に歩み寄った。
彼女の肩を優しく抱き寄せる。エマの瞳から一筋の涙がこぼれ、僕の上着に小さな染みを作った。
「正直に言うよ、エマ。その提案、すごく魅力的だと思った。一瞬、本当に全部放り出して、君とどこか遠くへ行けたらどれほど幸せだろうって・・・・・・考えたよ」
僕は夜空を見上げた。
「今までのことを考えたら、この国がどうなろうと知ったことか、っていう気持ちも、全くないわけじゃない。僕に石を投げてきた連中が、苦しんでのたうち回る姿を想像して、溜飲を下げる自分も・・・・・・たしかに、いる」
僕は一度言葉を切り、それからロザリアの顔を思い浮かべた。
「でもね、ロザリアさんの人柄は、間違いなく善良だった。彼女は、本当に申し訳ないと思っていた・・・・・・分かるんだ。彼女を庇った時、ほんの一瞬だけ、彼女から漏れ出した魔毒の残滓を吸収した。その毒と共に、感情や記憶の破片も伝わってくる。
その時、彼女の心の中にあったのは、恐怖じゃなくて深い後悔だった。自分が恵まれた環境にいることへの罪悪感や、僕らの一族への後ろめたさ・・・・・・彼女に悪意はなかった。ただ、王族である彼女自身でさえ、どうすることもできないほど、僕に魔毒を押しつけて上手く回ってきたこのアルヴェニア王国のシステムは強固過ぎたんだよ。」
僕はエマの頬に手を添え、親指で涙を拭ってあげる。
「それにね、エマ。もし内紛が起きて国が混乱したら、結局いつだって一番に犠牲になるのは誰だと思う? あそこで僕を笑っていた傲慢な貴族たちじゃない。いつだって、真っ先に犠牲となって苦しむのは、罪もないこどもたちや、その日を懸命に生きる善良な民たちだ」
「ゴミ箱」の僕の存在を知らず、無邪気に笑いながら遊んでいたこどもたち。そして、聖女リリアニアを信じていた人々。
彼らには、何の罪もない。
「僕は、彼らが泣く姿を見たくない。僕一人でそれを抑え込めるなら、そうしたい。彼らが笑って過ごせるのなら・・・・・・僕は進んで犠牲にさえなるつもりだよ」
僕の言葉を最後まで静かに聞いていたエマは、しばらくの間、じっと僕の顔を見つめていた。
やがて彼女は「ふぅ・・・・・・」と大きく、長い溜息をついた。
それから、やれやれと肩をすくめ、困ったような、でもどこか愛おしそうな表情になる。
「・・・・・・もう。ミトったら、どこまでもお人よしね」
彼女の頬が、ほんのりと赤く染まる。涙の跡は残っているけれど、その瞳にはいつもの力強い輝きが戻っていた。
「自分の人生を壊してきた国を救うなんて、そんなの、お人よしを通り越して大バカ者よ。・・・・・・でもね、きっと、私はミトのそういうところが、大好きなのよね」
エマは恥ずかしそうに視線を逸らし、小声で付け加えた。
「・・・・・・あなたが、自分の力を使って誰かを助けたいって思うなら、私はそれを全力で支えるだけ。それが私の騎士道だし、何より・・・・・・私の愛よ」
エマは僕の目を見つめ直し、少しだけ躊躇してから、僕の空いている方の手を指先で突っついた。
「・・・・・・ねえ。帰り道、家に着くまででいいから。手を、繋いでくれない?」
僕は笑って、彼女の柔らかい手をそっと包み込んだ。
指と指が絡まり合い、エマの体温がダイレクトに伝わってくる。
「・・・・・・ああ。帰ろう、エマ。僕たちの家に」
「ええ・・・・・・帰りましょう」
見上げれば、冬に近い秋の夜空には、零れんばかりの星が瞬いていた。
かつて宮殿の小さな窓から数えていた、あの遠い星々よりも、今の星はずっと身近に、そして温かく感じられる。
隣には、僕の全てを肯定し、愛してくれる少女がいる。
背負った運命は重く、これから待ち受ける戦いは険しいものになるだろう。ロザリアとの同盟、迫り来る反逆の足音。僕もきっと狙われる。
けれど、繋いだ手の温もりがある限り、僕にはどこまでも歩いていける確信があった。
「ミト、あの星。あれって、スプレンディアス家の守護星だって言われてるのよ。あっちの少し小さいのが、ノルディアスの星だったらいいわね」
「ふふ、そうだね。寄り添うように並んでる」
星空の下、僕たちは静かに、けれど固い誓いと共に家路を急いだ。
その歩みは、かつて絶望に震えていた頃の僕には想像もつかないほど、軽やかで、希望に満ちていた。




