第26話 ミトの大活躍
晩餐会の空気は、完全に僕たちのものになっていた。
僕のダンスによって、会場の空気は「拒絶」から「畏怖」へと変わっていた。それでもなお、貴族たちの心理的な壁は厚い。僕たちの周りには、目に見えない結界があるかのようだった。
エマは時折、遠巻きに僕たちを見つめる貴族を睨みつけていたが、僕はむしろこの静寂を利用して、周囲の人々を観察していた。
そうして十分ほど人間観察をしたとき、視界の隅っこに僅かな違和感を感じた。 会場の中央辺りでシャンパングラスを片付けている給仕の男。その動きに無駄はないが、なにか獲物を狙う猟犬のような鋭い殺気が、その男から立ち上っていた。
「エマ、警戒して。何か来る」
「えっ・・・・・・?」
エマが飲んでいたジュースのグラスを慌ててテーブルの上に置く。
その時、会場の灯がゆっくりと絞られ、室内が幻想的な薄暗がりに包まれた。 壇上に今回の晩餐会の主催者であるグラナート大公が立ち、短めの挨拶をして、王国への忠誠を誓う乾杯の音頭を取ろうとした、その瞬間だった。
先ほどの男が懐から一本の細い筒を取り出した。
吹き矢だ。僕は直感的にそう判断した。
標的は大公・・・・・・ではない。その少し後ろ、一段高い席に座っている、最高位の賓客である女性。
男が構えた筒から、黒い針が放たれた。暗闇の中、それは一切の音をたてることなく、標的へと突き進む。
僕は考えるよりも先に体が動いていた。
エマの制止する声も届かないほどの速さで、僕は床を蹴った。これまで吸収してきた一流の騎士や戦士たちの技術の記憶が、僕の脚に爆発的な推進力を与える。
「危ない!」
標的となった女性の目の前に、僕は割り込んだ。
チクリ、と首筋に鋭い衝撃が走る。
「・・・・・・っ!」
会場に悲鳴が響き渡った。
突然飛び出した僕の姿に、近衛兵たちが一斉に動き出す。吹き矢の男は逃げようとしたが、即座にエマが放った一撃により吹っ飛ばされて、兵たちに取り押さえられた。
「ミト!ミト、大丈夫なの!?」
エマが真っ青な顔で僕に駆け寄る。僕の首筋には、放たれた黒い針が深々と刺さっているようだ。
取り押さえられた男は、縛り上げられながらも、僕の姿を見て勝ち誇ったように叫んだ。
「ははは! 無駄だ! その吹き矢には、一滴で象をも即死させる『邪眼草の毒』を濃縮して塗ってある! 聖女の浄化さえ間に合わない、死の毒だ! 身代わりになった愚か者と共に、その女も地獄へ――」
会場の貴族たちが不愉快そうに顔をしかめる。即死級の毒による暗殺。清浄な晩餐会で、死人が発生することは、彼らにとって何よりも忌むべき事態だろう。
だが。
「……ふぅ。驚いたな」
僕は、震えるエマの手を優しく制し、自分の首筋に刺さった針を指で挟んだ。そして、顔色一つ変えずに、それをゆっくりと引き抜いた。
刺客の男の顔が、驚愕で歪む。
「な、なぜだ……!?なぜ立っていられる! なぜ絶命しない! 即死級の毒なんだぞ! その量は致死量の百倍はあるんだぞ!!!」
男が、信じられないものを見たという風に絶叫する。
僕は引き抜いた針を目の前に掲げ、じっと見つめた。僕の体内では、今まさに侵入してきたこの黒い針の毒が一瞬で分解され、ただの栄養へと変換されていくのが分かった。
「毎日毎日、物心ついてから十年以上。僕は、あなたたちが『汚らわしい』と捨ててきた毒を、食事同然に喰らわされてきましたからね」
僕の声は、静かだが会場の隅々まで響き渡った。
「今更、この程度の毒・・・・・・どうってことありませんよ。むしろ、少し甘いくらいだ」
僕が針を床に捨てると、これまでのどんな称賛よりも深い、言葉にならない衝撃が会場内に無音で広まるのが、感じられた。
彼らが贅沢の陰で排出し、僕に押し付け続けてきた毒。それを耐え抜き、力に変えてきた少年が、今、死の毒を物ともせずに立っている。
その事実が、貴族たちの胸に重く、鋭く突き刺さったのだろう。
「そなた、名を何と申す?」
僕の後ろから、震えながらも気品を失わない声がした。
振り返ると、そこにいたのは、白銀の髪と深い紫の瞳を持つ美しい女性だった。
彼女は僕の顔をじっと見つめ、その瞳に驚きと、そして深い悔恨の色を浮かべていた。
「私はロザリア・フォーレス。国王陛下のいとこにあたる。名前くらいは知っていたかしら・・・・・・私は今、貴殿に命を救われた」
「ロザリア殿下・・・・・・。僕は、ただ自分の役目を果たしただけです」
僕が跪こうとすると、王女はそれを手で制した。
「いいえ。頭を垂れるのは、むしろ我らの方だ・・・・・・グラナート大公、この刺客を徹底的に調べよ。そして――」
ロザリア王女殿下は、会場に集まった貴族たちを見渡した。
「本日この場にいた全員に命ずる。ミト・ノルディアス殿を侮辱することは、この私、ロザリアへの反逆と見なす。彼はもはや『ゴミ箱』ではない。この王国を守る、真の『盾』である!」
王女の堂々とした宣言に、会場はしばし静寂に包まれた。だが、それから少しずつ、拍手がまばらに起こり始めた。それはやがて割れんばかりの盛大なものへと変化していった。 もはや、僕を「ゴミ箱」と呼ぶ者は一人もいなかった。
エマが僕の腕をぎゅっと抱きしめる。彼女の瞳には涙が溜まっていたが、その顔は最高に誇らしげだった。
「ね? 言ったでしょ、ミト。みんな、態度を変えるしかないって」
「ああ・・・・・・でも、やっぱりちょっとだけ疲れたな、エマ」
「ふふ、お疲れ様。帰ったら、私がいっぱい甘やかしてあげるからね」
エマは僕にウインクをして、柔らかく微笑んだ。




