第24話 ゴミ箱、晩餐会に行く。冷たい空気にさらされる。
王都の象徴とも言える最高級ホテル『レガーレ・アステリア』。その最上階に位置する大晩餐会場の入り口で、僕は自分の心臓の鼓動がかつてないほど速まっているのを感じていた。
豪華なシャンデリアから降り注ぐ光。磨き上げられた大理石の床。そして、会場から漏れ聞こえるオーケストラの調べ。かつて「ゴミ箱」の身分だった僕にとって、ここは別の惑星の光景のようにさえ思えた。
「大丈夫よ、ミト。胸を張って」
隣から、鈴の音のような柔らかな声が聞こえる。
僕は思わず息を呑む。隣に立つエマは、いつもの騎士団の制服や学院の制服ではない。夜空に輝く月光を糸にして織り上げたような、眩いばかりの白銀のドレスを纏っていた。
細い首筋を飾るパールのネックレス。露わになった肩のラインは、日々鍛えられているからこそのしなやかな美しさを放っている。
そして何より、普段のサバサバとした、どちらかといえば男勝りな彼女の動作からは想像もできないほど、その身のこなしが洗練されていた。
エマが僕の腕に自分の腕を絡め、エスコートしてくれる。その一連の動作には淀みがなく、貴族の令嬢として完璧な所作だった。
エマは、本当に貴族なんだな。
剣を振るっているときも素敵だけれど、こうしてドレスに身を包んだ彼女を間近で見ると、どうしても意識してしまう。触れている腕の柔らかさや、微かに漂う香水の香りに、僕はドギマギして言葉を失ってしまった。
「・・・・・・ミト?顔が赤いわよ。もしかして、緊張しすぎて熱が出ちゃった?」
「あ、いや・・・・・・エマがあまりにも綺麗だから・・・・・・その、緊張してしまって」
僕が正直に白状すると、エマは一瞬目を見開き、それから悪戯っぽく微笑んだ。
「ふふ、嬉しいわね・・・・・・でも、今日私を一番綺麗に見せてくれているのは、このエマ・シアン・スプレンディアスの婚約者として堂々と立っているミト、あなたよ。さあ、行きましょう」
扉が開かれ、僕たちが会場に足を踏み入れた瞬間、会場内の喧騒が潮が引くように止まった。
深いネイビーの礼装に身を包んだ僕と、白銀に輝くエマ。そう悪くないコントラストをなした二人だと思う。
だけれど、会場の空気はとことん冷たかった。というか、僕たちが入った途端、温室から極寒の大地にまで一気に変化したみたいに、冷え切った。
僕とエマ――というより僕――に向けられる視線は、露骨な拒絶や嫌悪に満ちていた。
「・・・・・・見て、あれが例の『ゴミ箱』よ」
「スプレンディアス家の令嬢も正気の沙汰ではないな。よりによって、ノルディアスの薄汚い家系の男を連れてくるなんて」
周囲からヒソヒソと、毒を含んだ囁き声が聞こえてくる。
「噂では、リリアニア様を脅迫して、無理矢理自分の力を認めさせたとか」
「まあ、恐ろしい。不浄な血筋の者が、そんな下劣な真似を・・・・・・」
「触れるだけで穢れが移りそうだわ。なぜあんな者が、この神聖な場に招かれているの?」
あることないこと、いや、ないことばかりが真実のように囁かれる。
彼らは、自分たちが魔法を使うたびに出している魔毒を、僕がどれほど苦しんで処理してきたかなど、微塵も知らない。というより、あえて知らないようにしているのだろう。そして僕を蔑むことで、自分たちの「清潔さ」を確認し合っているかのようだった。
想定していたことだけど、これはけっこう堪えるな・・・・・・。
これまでの一ヶ月、学院や街で少しずつ認められてきた自信が、伝統的な社交界という分厚い壁に跳ね返されたような気がした。
僕は無意識に拳を握りしめた。
そのとき、僕と腕を組んだエマの手に、力がこもった。
彼女は顔を伏せることなく、会場の貴族たち一人一人を射抜くような鋭い視線で睨み返した。そして、僕にだけ聞こえる小さな、けれど力強い声で囁いた。
「いい、ミト。今、あなたを笑っているあのガキどもの言葉を覚えておきなさい・・・・・・それは、恐怖と無知の裏返しよ。ええ、そうよ。ガキよガキ。いい歳して、現実を直視できないなんて・・・・・・」
「エマ・・・・・・」
「大丈夫。この晩餐会が終わる頃には、みんなすっかり態度が変わるわよ。いいえ、きっと変えさせてみせるわ」
僕は、エマの優しい言葉に、涙が出そうになる。
「ありがとう、エマ。・・・・・・おかげで、自信が湧いてきたよ」
目頭が熱くなっていることを悟られないように、僕は少しだけ彼女から視線を逸らす。
僕は深呼吸をして、姿勢を正した。
周囲の雑音は、かつて吸い取っていた魔毒の澱と同じだ。そんなものに屈せず、己の糧としてみせろ。
「・・・・・・さあ、あんな連中に構うより、美味しいものを食べましょうよ。クレアも言っていたでしょ?『こういう高級な場所の料理は、全部あなたの浄化代だと思って食べなさい』って」
「あはは。クレアらしいな」
僕たちは、周囲の冷たい視線を跳ね返すように堂々と歩き、中央のビュッフェテーブルへと向かった。
最高級の食材を使った料理が並んでいる。フォアグラのムース、トリュフを添えた金目鯛のグリル、そして最高級ランクの王立牛。
貴族たちが僕たちを避けるようにして、テーブルの周りにポッカリと円形の空白ができる。
それを逆手に取り、僕たちは誰にも邪魔されることなく料理を皿に取り分けた。
「見て、ミト。このローストビーフ、凄く美味しそう」
「本当だ・・・・・・いただきます」
一口食べた瞬間、芳醇な肉の旨みが口いっぱいに広がった。それは、これまでの苦難を労ってくれるような、優しくも力強い味だった。
「うん、とっても美味しい」
「でしょ?ミト、もっと食べなさい。あなたが元気になれば、それだけこの国も綺麗になっていくんだからね。これは未来への投資なのよ」
エマはクレアの口調を真似して、僕の皿に次々と料理を盛り付けた。
周囲では相変わらず、僕たちのことを指差して囁き合う貴族たちが絶えなかったが、隣にエマがいるおかげで、今の僕には蚊が鳴くほどにも感じられなかった。
周囲の悪意を全く気にせず、優雅に食事を楽しむ僕たちの姿は、異様な威圧感を与えたのだろうか。嘲笑っていた者たちの声が、少しずつ、困惑したものへと変わっていく。
「あいつ、ゴミ箱のくせにどうしてあんなに堂々としているんだ?」
「スプレンディアス家の令嬢があんなに尽くしているなんて・・・・・・」
空気が、すこしだけ変わり始めていた。
これから始まるメインイベントの前に、僕たちは静かに、でも着実に、その支配権を握りつつあった。
エマもまた会場の冷ややかな視線を浴びながらも、全く動じる様子がなかった。それどころか、彼女はまるで周囲に見せつけるように僕の腕をさらに強く引き寄せると、当てつけのように声を弾ませた。
「ねえ、ミト。この白銀鶏のテリーヌ、とっても美味しいわよ。はい、あーん」
「えっ・・・・・・エマ、ここで、それを!?・・・・・・」
フォークを差し出すエマの顔は、天使のような微笑みを浮かべているが、その背後には、一切の拒否は許さないという強い意思が垣間見えた。周囲の貴族たちが絶句し、中には扇子を落とす令嬢までいる中で、僕はぎこちなく口を開けた。
「・・・・・・あ、あーん」
口の中に広がる上品な味。けれど、それ以上にエマの積極的なアピールに、僕の顔は今度こそ火が出るほど熱くなった。周囲からは「なんて破廉恥な……」「公衆の面前でゴミ箱に餌をやるなんて」といった毒気のある声が漏れるが、エマはそれを楽しむように、僕の口元を指先で優しく拭ってくれる。
「さ、ミト。もっといっぱい食べましょ」
「う、うん・・・・・・」
昔から変わらない、エマの強さ。それにどれほど救われてきたか。そしてこれからも救われ続けるのだろう。そんなことを、強く実感させられた。




