第19話 学院の変人、登場。
三十人抜きという伝説的な決闘から数日。学院内での僕を見る目は、以前の侮蔑的なものから、畏怖を抱えるものへと完全に変わっていた。廊下を歩けば道が開き、遠巻きに囁き声が聞こえる。
そんな中、僕はエマと共に、放課後の資料室で自習をしていた。財政コースの講義は高度で、いくら記憶を継承しているとはいえ、基礎知識の補完は欠かせない。
「……ミト、本当にすごいわ。この複雑な予算編成の計算、もう終わらせちゃったの?」
エマが隣で感嘆の声を上げる。彼女もまた、僕に置いていかれまいと必死に勉強に励んでいた。そんな穏やかな時間を破るように、資料室の重い扉が勢いよく開いた。
「見つけたわ!あなたが噂のミト・ノルディアスね!」
甲高い、けれど鈴を転がすような透明感のある声が室内に響いた。
現れたのは、エマより少し背の低い、不思議な雰囲気を持つ少女だった。
透き通るような青色の髪を無造作にポニーテールに結び、体に対して少し大きめの、魔導学科特有の黒いローブを纏っている。鼻先には少しずれた丸眼鏡。
「……誰、あなた?」
エマが警戒心を露わにして立ち上がる。その手は無意識に、テーブルに立てかけた剣の柄へ伸びていた。
「失礼ね。私はリサベル・フォークナー。みんなからはリサって呼ばれているわ。魔導学科の特待生にして、王立魔導研究所の最年少客員研究員よ。……挨拶はこれくらいにして。さあ、ミト!あなたのその魔毒耐性を、私に研究させなさい!」
リサベルと名乗った少女は、机を乗り越えて僕の目の前まで顔を近づけてきた。レンズ越しに見える瞳が、未知の宝石を見つけた子供のようにキラキラと輝いている。
「研究……?」
僕が呆気にとられていると、リサは僕の手を掴み、まじまじと観察し始めた。
「そうよ!魔毒は本来、人間の精神と肉体を腐らせるゴミ。それを吸収し、あまつさえ自分の糧にするなんて、既存の魔導理論を大きく逸脱しているのよ。あなたの細胞一つ一つにどんな変異が起きているのか、マナの循環パスはどうなっているのか・・・・・・ああ、気になる!今すぐ解剖――は無理でも、精密検査をさせてちょうだい!」
「ちょっと、離れなさいよこの変人!」
エマがリサの手を強引に引き剥がし、僕を背中に隠した。
「ミトは研究材料じゃないわ!それに、魔毒のことは私がずっと見てきたんだから、部外者は引っ込んでて!」
「あら、剣術科の脳筋さんにはわからないかもしれないけれど、彼の能力は人類の宝なのよ?もしこの耐性を人為的に再現できれば、この世から魔毒の被害を根絶できる。これはもう一個人の問題とか、そういう次元の話じゃない、真理の探求よ!」
「真理だか何だか知らないけれど、ミトにベタベタ触るなと言ってるの!ミトは私の……私の婚約者なんだから!」
資料室に、二人の少女の火花が散る。
リサは「婚約者?それは魔毒に対する解毒に対して、なにか寄与するのかしら?」と首を傾げ、エマは「違うわよ!そういう問題じゃなくて!」と顔を真っ赤にして叫んでいる。
一方、僕はといえば、エマほどに不快な感情を抱かなかった。そりゃあ、エマの気持ちは痛いほど分かる。エマが僕のことが好きなことは分かっているし――こうして言語化すると、随分と気恥ずかしいな――他の女の子が、こう距離を詰めてきたら、僕がエマの立場でも不愉快に感じるだろう。でも、リサからは悪意とか下心を一切感じない。彼女の瞳にあるのは、クレアにも似た純粋な知的好奇心だ。 僕は、リサに語りかける。
「リサさん、だったね。・・・・・・こんな僕の力が、何か世界のお役に立てるのなら、協力していいよ」
「ミト!?」
エマが驚いて僕を振り返る。僕は彼女の手を優しく握った。
「大丈夫だよ、エマ。彼女の知識があれば、吸収した記憶をより効率的に整理できるかもしれないだろう?何より、僕自身の秘められた可能性を、開花させることができるかもしれない。僕自身、まだ知らないことが多いからね」
「う・・・・・・ミトがそう言うなら」
エマはしぶしぶといった様子で、首肯してくれる。だがリサを睨む目はまだ鋭いままだった。
リサはハイテンションに、僕の腕を引っ張る。
「さ、そういうわけで、ミト!これから解析実験に付き合ってもらうわよ!まずは、この新型爆薬にあなたがどこまで耐えられるか・・・・・・」
「ダメーっ!!てかあんた、ミトは超人なんかじゃないのよ!!!」
エマが再び、リサを阻止する。
・・・・・・まあいっか。エマもそのうち、リサのことを認めてくれるだろう。
♢ ♢ ♢
それから数日、放課後の僕たちの輪には、当然のようにリサが加わるようになった。
彼女は僕の魔力測定をしたり、僕が浄化した魔毒の残滓を瓶に詰めて分析したりと、常に忙しなく動き回っていた。
ある日の夕暮れ、エマと二人で中庭を歩いている時、彼女がポツリと漏らした。
「……ねえ、ミト。私、最近ちょっと自分が嫌になっちゃう」
「どうしたの、急に」
「リサのことよ。彼女、本当にすごいのね。ミトが話す難しい魔導理論にもすぐについていけるし、あなたの役に立つ道具を次々に発明して・・・・・・私、ただ横で剣を握ってるだけで、何も分かってあげられない・・・・・・それで、ついキツい言い方をして・・・・・・嫉妬ばかりしてる自分が、すごく子供っぽく思えて」
エマは俯き、自分の拳を握りしめた。
僕は、エマの限りない優しさを実感した。僕のために強くなろうとして、常に努力を怠らないエマ。「ゴミ箱?違うわよ、ミトは宝箱よ!」と言って、僕へのどんな差別や偏見にも、果敢に立ち向かってくれたエマ。
「エマ。君が隣にいてくれるから、僕はここまで自分を保てたんだよ」
僕は足を止めて、その肩に手を置いた。
「リサの知識は確かにすごい。でも、これまでずっと僕の心を救ってくれて、僕の手を引いてくれたのはエマだけだったんだよ。それが、どんな理論よりも僕を強くしてくれた」
「ミト・・・・・・」
「それに、エマ。リサは別に僕を奪おうとしているわけじゃない。それは君も分かっているだろう?彼女はただ、無尽蔵な好奇心に突き動かされて、そして世界をよりよくしたいと願っているだけだ。それって、僕たちと今本的に同じじゃないかな?」
僕は一気に喋る。エマはしばらく僕を見つめていたが、やがて深く、長い息を吐き出した。
「・・・・・・そうね。私も余裕がなかったわね。分かった。私、もう意地を張るのをやめる。リサとも、ちゃんと向き合ってみるわ」
「そうだよ、エマ。それでこそ、エマだよ」
「もう、ミトったら・・・・・・お世辞だけが、上達していない?」
「なに言ってるんだよ。心の底からの本心だよ」
「分かったわよ・・・・・・ありがとね、ミト」
エマは、そう言って、にっこりと微笑む。
♢ ♢ ♢
翌日の放課後。資料室にやってきたリサに、エマが声をかけ、頭を下げた。
「リサ。この間の態度は悪かったわ。謝るわね」
「え?謝罪?」
キョトンとするリサに、エマは苦笑いしながら続ける。
「私はミトの騎士だからね。あなたがミトの研究をして、彼をより強く、安全にしてくれるなら、それは私にとっても心強いことだと思った・・・・・・これからは、仲間としてよろしくね」
エマが差し出した手を、リサは不思議そうに見つめた後、ぱぁっと顔を輝かせた。
「仲間!いい響きね!私も、あなたの戦闘データには興味があったのよ。魔装騎士としてのあなたの成長速度は、ミトのフィードバックによるもの。その相乗効果を解明できれば・・・・・・ええ、よろしく、エマ!」
がっしりと握手を交わす二人。
こうして、僕の周りには新たな、そして確かな絆が生まれた。
エマの圧倒的な武勇。
クレアの鋭い選別眼。
リサの深淵なる魔導知識。
それらが僕という器の中で混ざり合い、大きな力へと変わっていく。
「さあ、ミト!今日は新しい測定器を持ってきたの!まずは服を脱いでマナの循環を――」
「脱がせないでって言ってるでしょーが!!」
賑やかな騒ぎ声が、今日も僕の周囲で響き渡る。
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