第204話 空飛ぶ修学旅行
私は今、見渡す限りの大海原の上空を、巨大ゴンドラ『かっとび君2号・海越え仕様』をぶら下げながら、即興の歌を歌いつつ高速で飛行していた。
『――♪ くじらがぴょんとでて おおきいおくちでぱくぱくぱく ――』
『――♪ ぱくぱくぱく! ――』
外から見れば、巨大な魔獣が、碧色の光を放つ有翼の少女に引っ掴まれて空を飛んでいるという、あまりにもシュールな光景だろう。
「……なんだその歌、っておっと!」
隣を飛んでいたクロウさんが、近づいてきた鳥形魔獣を剣で切り払う。
「……しかし、相変わらず飛んでる間は無防備だな。」
「……ですから私たちがお嬢様の護衛をする必要があるのです、しかし羅針盤すら持たずに、一切の迷いなく一直線に進んでいますね」
天窓から身を乗り出したリディアンが感心したように呟いた。
広大な海の上には、目印となるものが何もない。通常であれば、航海士が星や羅針盤を頼りに進むのだが、私にはその必要がなかった。
(雷の精霊王、タケミカヅチ様の加護……本当に便利ですわね)
私の頭の中には、雷の精霊の力の副産物である『磁力感知』によって、極東の方角――すなわち「磁北」が、はっきりとした光の線のように視えていた。
言うなれば、網膜に常にカーナビが表示されているようなものだ。
それに従って飛べば、迷うことなく新天地へとたどり着けるという寸法だ。
とはいえ、私の魔力と体力にも限界はある。
私たちは、海上に点在する岩礁や無人島を見つけては着水し、変身を解除して休憩と魔力回復を挟むという「飛び石航法」で、着実に距離を稼いでいた。
「よし、今日のフライトはここまでですわ! あそこに見える無人島で休憩にしましょう!」
私は高度を下げ、波の穏やかな入江に『かっとび君2号』をゆっくりと着水させた。両側面に取り付けられた海棲魔獣の浮き袋が、見事に機能して機体を海面に浮かせる。
ハッチを開け、砂浜へと降り立つと、秋の冷たい潮風が頬を撫でた。
「ふぅ、お疲れ様ですわ、私」
変身を解いた私が砂浜で大きく伸びをしていると、すぐにセリナが駆け寄ってきた。
「お嬢様、お疲れ様でございます! ささ、こちらへ。潮風で御髪が傷んでしまいますわ」
セリナは手際よく敷物を広げ、私を座らせると、愛用の櫛を取り出した。
私の背後に回り、潮風と牽引の疲労で少し乱れたパステルピンクの髪を、根元から毛先へと、驚くほど優しい手つきで梳いていく。
「……んんっ、気持ちいいですわ、セリナ」
「ふふ、お任せくださいませ」
セリナの指先から伝わる、昔から変わらない温かい主従の時間。
彼女は私の髪を丁寧に梳き終えると、港町サザンで貰った真珠の髪飾りを使って、美しく、そして風で乱れにくいように編み込みながら結い直してくれた。
「完璧ですわ、パスティエール様。世界で一番可愛らしくて、美しいです」
「ありがとう、セリナ」
私は振り返り、ふと周囲を見渡すと、無人島の砂浜は、さながら「修学旅行」のような賑わいを見せていた。
総勢十七名の大所帯。その旅装も実に様々だ。
私はゼノン家の紋章が刺繍された、動きやすくも上品な濃紺の旅装用ドレス。
リディアンは、海の上であろうと無人島であろうと一切の乱れがない、完璧で優雅な執事服姿。
ルナリアやマリアベルをはじめとするメンバーズの少女たちは、長旅に備えた機能性を持ちつつも、フリルや各々のイメージカラーを取り入れた可愛らしい私服姿で、砂浜で綺麗な貝殻を拾ってはしゃいでいる。
そして、ガントやランドルフたち男衆は、無骨な革鎧やラフで動きやすいシャツ姿で、焚き火の準備を進めていた。
「ガント、ランドルフ、レオナ。体調はどうかしら?」
私は、先日の疫病の『ペスティス』の瘴気を食らって倒れていた三人に声をかけた。
「おう、部長! 心配すんな、絶好調だぜ! 歌のおかげで、筋肉の繊維の奥まで若返った気分だ!」
ガントが、丸太を持ち上げながら豪快に笑う。
「……俺は、ずっと寝てたいんだけどね。まあ、体調は悪くないよ」
ランドルフも、アイマスクをおでこに乗せたまま欠伸交じりに答えた。
レオナも「部長のおかげで、いつでも戦えます!」と力強く頷いてくれる。
みんな、すっかり元気を取り戻したようで一安心だ。
そんな中、焚き火の周りでは、別の意味で熱いバトルが勃発していた。
「……嘆かわしいですね。お嬢様のティータイムに、そのような雑な沸かし方でお湯を用意するとは。温度管理が甘すぎでは?」
「なっ……!? 貴方こそ! 野外であることを言い訳にして、茶葉の香りを十分に引き出せていないじゃありませんか!」
セリナとリディアンが、互いにティーポットと茶葉を構えてバチバチと火花を散らしている。
最近なにかとこの二人がいがみ合うことが多いので、雇い主としては胃が痛いのである。
「さあ、お嬢様。至高の一杯、ご賞味あれ」
「お嬢様! わたくしの究極の愛がこもった紅茶をぜひ!」
二人が同時に、私の前にティーカップを差し出す。
ルナやマリアベルが、クスクスと笑いながら見守る中、私は両方のカップを受け取り、順番に口をつけた。
「……んんっ!」
私は満面の笑みを浮かべ、二人に向かって告げた。
「セリナの紅茶は愛情で体がぽかぽか温まりますし、リディアンの紅茶は香りが深くて心が落ち着きますわ。……ええ、どちらも最高に美味しいですわ!」
私の判定に、二人は「ふんっ」と互いにそっぽを向きながらも、どこか嬉しそうにまんざらでもない表情を浮かべていた。
和やかなお茶会が進む中、極東特有の着物風の戦闘着をまとったモミジが、焚き火の前に進み出た。
「皆の衆。極東の島国『ヤマト』が近づいてきたゆえ、少しばかり拙者の故郷について語っておこうと思う」
案内役であるモミジの言葉に、皆が興味津々で耳を傾ける。
「ヤマトは、大陸とは全く異なる理で動いておる。大陸のように精霊を魔術の『力』として使役するのではなく、万物に宿る精霊を『カミ』や『アヤカシ』として崇拝し、恐れ敬うのじゃ」
「カミ、ですか……」ルナが不思議そうに呟く。
「うむ。そして、魔術の代わりに、自然との調和を図る独自の『符術』や『神楽』が発達しておる。大陸のような石造りの街並みではなく、木と紙でできた美しい家屋が立ち並び……拙者のような鬼人族や、狐の獣人など、多様な亜人が人間と共に暮らしている国なのじゃ」
モミジは、誇らしげに、そして少しだけ懐かしそうに目を細めて語った。
「モミジの故郷……! なんだかワクワクしてきますわね!」
マリアベルが目を輝かせ、メンバーズの少女たちも未知の世界への期待に胸を膨らませている。
それから数日。
私たちは無人島での休息と飛行を繰り返し、順調に海を渡っていた。
そして、その日の夕暮れ時。
「お嬢! 見えたぞ!」
上空を警戒のために飛行していたクロウさんが声を上げた。
「本当ですか!?」
私が遠くへ目を凝らすと、水平線の向こうに、厚い雲を突き抜けるようにそびえ立つ、青々とした山々の稜線が視えた。
「あれが……ヤマト……! 拙者の故郷……!」
モミジが天窓から顔を出し、感極まった声を漏らす。
モミジが語った通りの、神秘的で美しい島影がついに姿を現したのだ。
「ついに着きましたわね! いざ、極東の島国へ!」
私の歓声に合わせ、一行は期待に胸を膨らませて歓声を上げた。
これまでの過酷な戦いを忘れさせるような、希望に満ちた新天地への上陸。
……しかし、この時の私たちはまだ知らなかった。
その美しい島国が、すでに「恐怖」によって蝕まれていることなど。
■Tips
セリナとリディアンの「犬猿の仲」について
パスティエールの専属侍女であるセリナと、ダークエルフの執事リディアン。
二人の関係性は、一言で表すなら「水と油」である。
セリナは武闘派・直感型であり、「いかなる脅威からも、絶対にお嬢様をお守りする」という実用性と護衛能力に重きを置いている。
対するリディアンは芸術派・理論型であり、「至高の歌姫にふさわしい、完璧で優雅な舞台と日常を提供する」という美意識と演出に重きを置いている。
二人が顔を合わせるたびにいがみ合う最大の理由は、「どちらがよりパスティエール(メロディア)にとって役に立つ、最高の従者であるか」という、忠誠心のベクトルの違いと激しい同族嫌悪によるものである。
セリナはリディアンを「気取った陰湿執事」「優雅さばかり気にするキザ男」と罵り、リディアンはセリナを「野蛮な筋肉メイド」「およそ美意識のかけらもない」と皮肉るのが日常茶飯事となっている。
しかし、「パスティエールこそが世界で最も尊く、守るべき存在である」という根本の思想だけは完全に一致している。




