第203話 決意の朝
獣王国の朝は早い。
荒野の地平線から昇る太陽が、赤茶けた大地を力強く照らし出し、冷え切っていた空気を急速に温めていく。
野戦病院と電波塔の建設予定地が併設された麓の陣地は、今日、私たちを極東へと送り出すための慌ただしい喧騒に包まれていた。
「さあ、急いで! 食料と水は底の方にバランスよく積むのよ!」
ペトラの威勢の良い声が響く。
彼女の指示のもと、ドワーフの職人たちや獣人の戦士たちが、次々と巨大な荷物を運び込んでいく。
その行き先は、広場の中央に鎮座する異形の乗り物――海越え仕様に魔改造された三十人乗りの巨大ゴンドラ、『かっとび君2号・海越え仕様』だ。
機体の両側面には巨大な海棲魔獣の浮き袋が頑丈な鎖で括り付けられ、外装は「魔獣の皮」と「魔獣の骨」を組み合わせた積層装甲で分厚く補強されている。
パノラマ天窓も分厚い魔獣の鱗に換装されており、もはや空飛ぶ箱というより、巨大で不格好な魔獣の剥製か何かにしか見えない。
「……無骨ですわっ」
「……かわいくないね」
「……魔獣と間違われて撃ち落されないかのう」
「……お姉さまがいればすべて可憐になりますわ」
私と、ルナ、モミジ、マリアベルが圧倒されていると、ふと、セリナが血相を変えて駆け寄ってきた。
「パスティエール様! 大変です、カイルの姿がどこにもありません!」
「え? カイルが?」
出発の時刻が迫っているというのに、あの負けず嫌いで生真面目なカイルが寝坊などするはずがない。
「荷物もなくなっておりました。ただ、彼の部屋にこれが……」
セリナが震える手で差し出したのは、一枚の羊皮紙だった。
そこには、見慣れた乱暴な字で、ただ一文だけが記されていた。
『必ず強くなって、お前の剣として戻る。先に行け』
その短い言葉を目にした瞬間、私の胸の奥が、鋭い針で刺されたように痛んだ。
彼がなぜ、手紙を残して姿を消したのか。その理由は痛いほどにわかった。
雷鳴の山での戦い。
そこで私は、精霊王と向き合うことに必死で、カイルを見ていなかった。
私が彼を庇い、クラウス先生の魔術で守られ、セリナが私の盾となっていた時、彼がどれほどの無力感に苛まれていたのか。
かつて「お前の剣になる」と誓ってくれた彼の騎士としての誇りを、私自身が、どれほど傷つけていたのか。
(……ごめんなさい、カイル)
私は手紙を両手でぎゅっと握りしめた。
彼が自らの意志で強くなるため「私から離れること」を選んだ。
でも、だからこそ。私は彼を信じなければならない。
私は顔を上げ、涙をこらえて不敵に笑ってみせた。
「待っていますわ。貴方が世界で一番強くて、最高にカッコいい男になって戻ってくるのを。……だから、心置きなく修行してきなさいな!」
太陽が完全に昇りきった頃、ついに出発の準備が整った。
「案ずるな、パスティエール!」
見送りに来てくれた獣王レオニダス様が、豪快に笑って私の背中を叩いた。
「聖教国の連中がまだウロウロしているが、傷ついていた他の十王たちも続々と前線に戻りつつある。ここは俺たちが死守してやる! お前たちは安心して極東へ行ってこい!」
「頼りにしていますわ、獣王様。……それから、マリアさん、ハンス司祭」
私は、陣地に残る二人に向き直った。
「あとの電波塔の建築は、職人さんたちと共によろしく頼みますわね。わたくしたちの歌を大陸全土へ届ける、希望の光ですわ。……はるか遠く、ライムスで徹夜しているであろうペトラの中継網と、必ず繋ぎ合わせてみせますわ」
「はい。私たちも、ここで出来ることを精一杯やります。……どうか、お気をつけて」
マリアさんが優しく微笑み、ハンス司祭が深く頷く。
私は二人と固く握手を交わし、そして『かっとび君2号』へと向き直った。
いよいよ、出発の時だ。
同行するのは私、セリナ、クラウス先生、クロウさん、リディアン、そしてルナリア、モミジ、マリアベルをはじめとするメロディア・メンバーズ全員。
残る者たちから想いを託された、総勢十七名の大所帯である。
皆が機体に乗り込んだのを確認し、私は深呼吸をした。
「ポルカ。……いきますわよ!」
『ピィッ! 任せて、パスティ!』
「精霊降、同調!!」
眩い碧い光が溢れ出し、私は『メロディア』へと姿を変える。
五線譜の翼を広げ、私は機体の上部へと舞い上がった。
私は、『かっとび君2号・海越え仕様』のグリップを両手でガシッと鷲掴みにした。
「……んんっ、せぇぇぇぇえええいッ!!」
私の魔力量にあかせた『身体強化』。
筋肉が軋み、魔力が爆発する。
私は十七人が乗る巨大で重厚な箱を、己の底知れぬ腕力で、力任せに強引に持ち上げた。
メキメキと音を立てながら、『かっとび君2号』がゆっくりと荒野の土から離れ、宙に浮く。
「うおぉぉっ!? 本当に持ち上がったぞ!」
「すげぇ力だ……!」
見守っていた獣人たちから驚愕のどよめきが上がる。
メロディアが巨大な箱を鷲掴みにして飛ぶという、なんともシュールで豪快な光景。
だが、それが私たちの冒険の幕開けにふさわしい。
機体が空へと浮かび上がると同時。
ゴンドラの窓が一斉に開き、ルナリア、マリアベル、モミジをはじめとするメンバーズの全員が顔を出した。
『――♪ ありがとう また会う日まで――』
彼女たちの声が重なり、ポルカの響鳴拡声に乗って、美しい「感謝と別れの歌」の大合唱となって荒野に響き渡る。
『――♪ 希望の空へ 翼を広げて――』
ドタバタな出で立ちと、それに相反するような美しいハーモニー。
そのギャップに、見上げていた獣王やマリアたちも、やがて満面の笑顔になり、空に向かって大きく手を振り返してくれた。
「さあ、行きますわよ! 目指すは新天地、極東の島国!!」
私はさらに高度を上げ、雲を突き抜ける。
大陸暦690年、紅葉の月。
冬の朝日に照らされた眼下には、見渡す限りの広大な海が広がっていた。
■Tips
カイルの離脱
出発の朝に判明したカイルの離脱は、メロディア・メンバーズに大きな衝撃と不安を与えた。
しかし、当のパスティエールが彼の意志を汲み取り、「大丈夫」と一点の曇りもない笑顔で言い切ったことで、その場の空気は一変した。
誰よりも彼を必要としているはずのパスティエールが、再会を確信し、彼の修行を「必要」として肯定したため、他のメンバーもそれ以上の心配を言葉にすることはなかった。
この「断言」が、一行が後ろ髪を引かれることなく、前向きに海を越えるための決定的な精神的支柱となったのである。




