第198話 雷の精霊王の試練
セリナの双剣が描き出す青白い軌跡を道標に、私たちは絶え間なく降り注ぐ雷の豪雨を潜り抜けていった。
過酷な登山の末、荒々しい岩肌が途切れ、ふっと視界が開ける。
私たちはついに、雷鳴の山の頂――巨大なすり鉢状のカルデラへと辿り着いた。
そこは、これまでの過酷な山道が可愛く思えるほどの、異質で狂気的な空間だった。
見上げる空は、分厚くどす黒い雷雲が渦を巻き、まるで巨大な竜巻のようにカルデラの中心へと収束している。
大気は極限まで帯電し、呼吸をするだけで肺がピリピリと痺れる。
無数の紫電が網の目のように空間を走り、静寂と轟音が奇妙に入り交じる、まさに『神域』と呼ぶにふさわしい場所だった。
「ここが、山頂……」
私が息を呑んで周囲を見渡した、その時だった。
バリィィィィィィンッ!!
空間そのものがガラスのように割れる轟音と共に、カルデラの中央に、天と地を繋ぐほどの極太の雷柱が突き刺さった。
「な、なんだ!?」
「パスティエール様、お下がりください!」
眩い閃光に私たちが目を細めると、雷柱の中から、巨大な武神の幻影が姿を現した。
青白い雷の闘気を身に纏い、その威容は山のように大きく、そして恐ろしいほどの威圧感を放っている。
彼こそが、この雷獣族の聖地を守護し、眠り続けていた存在。
雷の精霊王。
『――弱き人の子よ』
頭の中に直接、雷鳴のように重く、威厳に満ちた声が響き渡った。
『何故、神の領域を侵す。己の身を焦がしてまで求める『力』の理由を、我が雷霆の前に示せ』
問答無用だった。
精霊王がその巨大な腕を天に掲げた瞬間、頭上の雷雲から、これまでとは次元の違う、理不尽なまでの「雷の豪雨」が私たちに向かって降り注いだ。
「――っ、俺が斬る!!」
精霊王の圧倒的な暴力に対し、真っ先に動いたのはカイルだった。
彼は腰の剣を引き抜き、全身の魔力を限界まで引き上げて身体強化を施し、一直線に雷の雨へと飛び込んでいく。
「ダメよ、カイル! 戻って!」
私の制止も聞かず、カイルは降り注ぐ雷撃めがけて渾身の斬撃を放った。
ガガァァァンッ!!
「ぐあぁぁぁっ!?」
だが、精霊王の雷は、剣で斬れるような代物ではなかった。
雷に触れた瞬間、カイルの身体は凄まじい衝撃波によってあっけなく吹き飛ばされ、ボロ雑巾のように地面を転がった。
「カイル!」
「お退きなさい!」
上空から私たちをまとめて粉砕せんと、さらに太い雷撃が迫る。
私がポルカと共鳴しようとした瞬間、クラウス先生が素早く私の前に立ち塞がった。
『――《堅牢氷壁》!!』
先生の流れるような詠唱と共に、周囲の空気が急速に冷却され、幾重にも重なった分厚い氷の防壁が展開される。
ドゴォォォォン!!
雷撃が氷壁に激突し、凄まじい熱と衝撃が辺りを包む。
氷壁は激しく白煙のような蒸気を吹き上げながらも、ギリギリのところで雷を防ぎきり、私を守り抜いた。
「パスティエール様、ご無事ですか!」
「ええ! 先生、助かりましたわ!」
私が安堵の声を上げると、地面に這いつくばっていたカイルが、ギリッと血が滲むほど悔しげに唇を噛みしめるのが見えた。
「クソッ……! また、俺は……!」
剣を振るうことすらできず弾き飛ばされた彼と、スマートに私を守り抜いたクラウス先生。
私の『瞳』には、カイルの己の無力さへの苛立ちと、どうしようもないジェラシーのようなものが渦巻いているように見えた。
『――防ぐだけで精一杯か。ならば、その殻ごと消し飛ぶが良い』
精霊王の思念が再び腕を振るう。
今度は、先ほどの数倍の密度と威力を持った雷の奔流が、クラウス先生の氷壁に殺到し始めた。
ガリガリガリッ!と、分厚い氷の壁にひびが入り始める。
「くっ……! なんという理不尽な威力……! このままでは、数秒と持ちません!」
激しい熱波に当てられ、先生の額から大粒の汗が流れ落ちる。
「こうなったら! 地の精霊王様の加護を借りて『大地の壁』を展開するわっ!いくよポルカ」
『うん! いいよパスティ!――響鳴拡声!!』
「――母なる大……(ゴロゴロゴロ……バリリリィィィィィィンッ!!!!)……!」
「――大地を褒……(バリリリィィィィィィィィィィィィィィィィンッ!!!!)……!」
ゴロバリバリロゴロ!!!!
バリリィィィィィィ!!!!
「……ちょっ!歌わせなさいよっ!」
私が歌いだそうとするたび、『雷鳴の轟音』が、カルデラ全体を物理的に揺るがし、ポルカの響鳴さえもかき消してしまう。
(ずるいっ……!)
地の精霊王イワナガヒメ様の時や、これまでの戦いでは、ペトラが作ってくれた巨大なスピーカーや機材があった。
あるいは、メロディア・メンバーズのバックコーラスがあった。
しかし、今は何もない。
音の波が届かなければ、どれほど強い想いを込めても、どれだけポルカと共鳴しても、精霊には届かない。
やはり歌い出しを潰されてしまうと、私の歌は発動させることが難しいのだ。
パリンッ!!
ついに、クラウス先生の氷壁が耐えきれずに砕け散った。
「しまっ……!」
無防備になった私たちに、極大の雷撃が牙を剥く。
全滅の危機が迫る中。
「――お嬢様には、指一本……いや、雷一筋たりとも触れさせません!!」
砕けた氷壁の外へ飛び出した影があった。
セリナだ。
彼女は両手に構えた双剣を頭上で交差させ、私たちを庇うようにして、真正面から雷撃を受け止めた。
ズガァァァァァァンッ!!!
「セリナァァッ!!」
私が悲鳴を上げる。
凄まじい閃光が彼女を包み込む。
自らの体を巨大な『避雷針』とし、神の雷を直接その身に受けるという、あまりにも無謀で決死の防衛手段。
雷の魔力が彼女の体を焼き、煙を上げている。
それでも、彼女は決して膝を突こうとしない。
「ぐぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ……!!」
「ダメよセリナ! 死んでしまうわ!」
「お嬢様……わたくしが、雷を引き受けます……! その間に、どうか……ご準備を……!」
全身を紫電に焼かれながらも、彼女は血を吐くような声で叫んだ。
私を守るため。ただそれだけのために、彼女は己の命を削って時間を稼いでくれているのだ。
(どうする……! 私に何ができる!?)
歌は届かない。先生の障壁は破られた。カイルも倒れている。
「こうなったら! ポルカっ! いくよっ」
『えぇ、また無茶する気でしょっ!?』
私は急いで、胸元に下げていたペンダントを強く握りしめた。
「イワナガヒメ様! どうか、わたくしに力を貸してくださいませ!!」
私は黒曜石に全魔力を込め、魂の底から呼びかけた。
黒曜石のネックレスが、太陽のように眩い黄金の光を放ち始めた。
私はその光を全身で受け止め、高らかに叫んだ。
(『地の精霊王様』『接続』!!)
『……もうっ!パスティの魔力を精霊界へ接続!』
(精霊降、同調!!)
カッ!! 黄金の光の柱が、雷鳴の山の頂を貫いた。
私のパステルピンクの髪が、根本から深い漆黒へと染め上げられ、その毛先はまるで黄金の鉱石のように煌びやかに輝き出す。
風に揺れていた髪は、艶やかで重みのある姫カットのロングストレートへと姿を変え、瑠璃色だった瞳は、力強い大地の意志を宿した黄金色へと染まり上がる。
身に纏うのは、黒曜石の漆黒と、大地の黄金を基調とした、重厚でありながらもどこかキュートな和装風のバトルドレス。
背中には、頑強な岩盤を思わせる幾何学的な光の翼が展開された。
「――『黒曜のメロディア』、お披露目ですわ!」
大地の魔力を極限まで高めた新しい姿。
私は、ボロボロになりながらも立ち続けるセリナの前に、音もなく躍り出た。
「お嬢……様……?」
「よく耐えてくれましたわ、セリナ。あとはわたくしにお任せなさい」
『――ほう。だが、その程度の小細工で、神の雷が防げると思うな!!』
雷の精霊王が激昂し、今までで最大級の、山頂そのものを消し飛ばすほどの極太の雷撃を放った。
それは、避けることすら不可能な死の奔流。
「パスティエール様!!」
クラウス先生の絶叫が響く。
だが、私は避けない。
両足を肩幅に開き、しっかりと大地を踏み締めると、迫り来る極大の雷撃を、真正面から両腕で受け止めた。
ズッガァァァァァァァァァァンッ!!!!
凄まじい閃光が、私を完全に飲み込んだ。
しかし。
『……な、何!?』
雷の精霊王の思念が、初めて驚愕の声を上げた。
閃光が収まった後。
そこには、焦げ跡一つなく、平然と立ち尽くす私の姿があった。
「なっ……雷が、効いていない……!?」
クラウス先生が信じられないというように目を見張る。
「ふふっ。精霊王様とはいえ、随分と勉強不足ですわね」
私は、両手に残った紫電の残滓をパチンと弾き飛ばし、ドヤ顔を決めた。
「覚えておきなさい。……地面タイプに、電気は効果がないんですのよ!!」
私の理不尽極まりない論理と、全くダメージを受けていないその姿に、雷の精霊王はただ沈黙し、驚愕にその巨体を震わせるのだった。
■Tips?
フライゴンが好きです。




