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第196話 獅子たちの宴

 無敵を誇り恐れられた異端審問官ギースが、すべての抗う力を手放し、まるで糸の切れた操り人形のようにその場へ静かに崩れ落ちて、深い眠りへとついた。


 最強の盾を失ったという信じられない光景に、大司教が腰を抜かして黄金の馬車にへたり込む。


 それを契機として、聖教国の軍勢はもはや完全に戦意を喪失していた。


 白装束の軍勢が、地平線の向こうへと雪崩を打って逃げるように撤退していく。


「勝った……! 俺たちの、勝ちだァァァッ!!」


 誰かのその叫びを皮切りに、獣王国の荒野に地鳴りのような歓声が沸き起こった。


 痛みを忘れ、武器を掲げ、種族を超えて抱き合う戦士たち。


「ガハハハハ! 相変わらずデタラメな強さだな、小さいの!」


 私の肩を、丸太のような腕が豪快に叩いた。


 獣王レオニダスだ。


 彼は全身に無数の傷を負いながらも、その瞳には王としての圧倒的な生命力をみなぎらせている。


「痛いですわ、獣王様! ですが、ご無事で何よりです」


「おう! お前たちが来なけりゃ、どうなっていたか分からん。礼を言うぞ」


 獣王の背後から、近衛隊長のゼガさんと筆頭シャーマンのレンさんも歩み寄ってきた。


 二人の視線は、私ではなく、私の両脇に立つカイルとセリナに向けられている。


「……へっ。あの狂信者の化け物を相手によく立ち回ったな、チビ。少しは見れる動きになったじゃねえか」


 ゼガが口の端を歪めて笑うと、カイルは顔を真っ赤にして照れ隠しに鼻をこすった。


「だ、誰がチビだ! あれからだいぶ身長伸びたんだぜっ!俺はあんたの活法術を超えてみせるからな!」


「セリナ殿の雷の精霊魔術も実に見事でしたよぉ。あの頃から随分精進されたようすねぇ」


 レンが煙管を揺らしながら褒めると、セリナは「と、とんでもございません!」と恐縮して深く頭を下げた。


 かつて一時的に共闘した二人からの、この賞賛は何よりの報酬だろう。


 そこへ、後方で避難民の保護と拠点設営を行っていた裏方組が合流してきた。


「お嬢様、ご無事で! 受け入れの準備は完了いたしました」


 土汚れ一つない執事服姿のリディアンに続き、怪我人の治療にあたっていたクラウス先生が額の汗を拭いながら歩み寄る。


「パスティエール様、相変わらず無茶をしますね貴方は」


「カァ……。空から見てたが、お嬢の大声えげつねぇな。」


 上空の警戒を終えたクロウさんも、黒い翼を畳んで私たちの元へ降り立った。


「皆も無事でよかっ――」


 私が彼らを労おうとした、その時だった。


「クラウス先生……! それにカイルくん、セリナさんも!」


 聞き覚えのある、透き通った声。


 声のする方を振り向くと、そこには泥だらけの修道服を纏ったマリアさんと、ハンス司祭の姿があった。


 私は嬉しくなって駆け寄り、マリアさんの手を強く握りしめた。


「マリアさん! ハンス司祭! ご無事だったのですね!」

「えっ……? あ、あの、貴女様は……?」


 マリアさんが目を丸くして戸惑っている。無理もない。


 彼女が聖都で出会った私は、茶色い短髪の少年『テオ』なのだから。パステルピンクの髪をした令嬢の姿では、ピンとこないのだろう。


「ふふっ。お久しぶりです、マリアさん。……『テオ』ですわ」


「えっ……テ、テオ君!? でも、女の子……それに、そのお姿は……」


「事情があって男装していたのです。改めまして、ゼノン辺境伯家長女、パスティエール・ゼノンと申しますわ。あの時は助けていただいてありがとうございました」


「辺境伯のご令嬢……! それに、もしかして、先ほどのメロディア様とも……?」


 ハンス司祭も驚愕に目を見開いている。


「まあ、色々とありまして。でも、貴女たちの無事を確認できて、胸を撫で下ろしましたわ……! 後方で傷ついた獣人たちの命を繋ぎ止めていたのは、マリアさんたちの『祈り』だったのですね」


「はい……。クラウス先生からいただいた知識と、祈祷術で、一人でも多くの命を救いたくて」


 マリアは驚きながらも、私の手を握り返し、安堵の涙をこぼした。


 異端とされながらも、彼女たちの温かい祈りが、確かにこの地で希望となっていたのだ。


 だが、歓喜に沸く宴の準備が進む中、私たちの表情を曇らせる報告がもたらされた。


 焚き火を囲んだ陣幕の中で、クロウが声を潜めて切り出した。


「喜んでるトコ悪いが、状況は手放しで喜べるもんじゃねえ。上空から偵察したが、聖教国の連中は完全に撤退したわけじゃない。国境付近で陣形を整え直してやがる」


「……私も、それを懸念していました」


 マリアが、重々しい口調で告げた。


「ギース様は恐るべき異端審問官ですが、彼と同等、あるいはそれ以上の力を持つ審問官は教会にまだ複数存在します。そして何より……教会の主力である『聖騎士団』が、本国で動員を始めたという噂があります」


 聖騎士団。


 狂信的な祈祷術で身体を強化された、聖教国最強の武力集団。


 それが本格的に侵攻してくれば、いかに獣王国といえども防ぎきれるものではない。


「この絶望的な状況を打開するには、私たちの『歌』を届けるためのインフラが不可欠ですわ」


 私は立ち上がり、獣王レオニダスに真っ直ぐに向き直った。


「獣王様。王都からこの獣王国まで、一瞬で情報を……そしてわたくしたちの『歌』を届けるための『電波塔』の建設に、ご協力をいただけないでしょうか!」


 王都から張り巡らせた魔導通信網を、この獣王国まで繋ぐ。


 それができれば、広範囲の浄化と支援が可能になる。


 獣王は腕を組み、ニヤリと豪快に笑った。


「ガハハ! よく分からんが、お前のその『歌』が世界を救う鍵になるなら、断る理由などない! この獣王国には腕の立つドワーフも獣人も大勢いる。俺たちも総出で手を貸そう!」


「ありがとうございます、獣王様!」


「それから、もう一つ。反撃への手立てがありますわ」


 私は、胸元のペンダントを握りしめながら、夢の中で星の精霊様と対話した際に見せられた光景を語り始めた。


「あの時、黒い瘴気の中で、懸命に抗う小さな光がいくつも視えましたの。あれはきっと、精霊王様たちの光。そしてその一つは……この獣王国のどこかにあると、あたりをつけていましたわ」


 その言葉に、クラウス先生がハッと息を呑む。


「獣王国に眠る精霊王……」


「……心当たりが、あるぞ」


 重々しい声で応じたのは、獣王レオニダスだった。


 彼は、遠く広がる荒野を見つめ、悔しげに目を細めた。


「今回の戦いで、俺を庇って命を落とした雷獣族の長・ライガ。奴らの部族が代々守り続けてきた聖地『雷鳴の山』……あそこには古くから、巨大な雷の神が眠ると言い伝えられている」


 雷の精霊王。


 その名を聞いた瞬間、隣に座っていたセリナの瞳に、強い決意の光が宿ったのが見えた。


「よし、方針は決まったな! まずは今夜は英気を養え! 宴だ!」


 獣王の号令で、陣幕の外では大宴会が始まっていた。


 獣人たちと仲間たちが酒を組み交わし、笑顔で未来を語り合っている。


 私も皆の輪に入り、笑顔で肉を頬張っていたが……不意に、胸の奥で鋭い痛みが走った。


「……少し、夜風に当たってきますわ」


 私は誰にも気づかれないよう、そっと宴の席を外した。


 喧騒から離れた、誰もいない暗いテントの裏。


 そこへ辿り着いた瞬間、私の両足から力が抜け、地面に膝をついた。


「ゴホッ、ゲホッ……!!」


 口を塞いだ掌の隙間から、ドロリとした生温かいものが溢れ出す。


 べっとりと張り付いた赤黒い血。


「はぁ……はぁっ……」


 地の精霊王の加護を触媒なしで使い、さらにギースとの極限の肉弾戦で『超・回復』を強引に回し続けた代償。


 全身の骨が軋み、立っているのもやっとの状態だった。


『パスティ……! ダメだよ、もう限界だ! クラウス先生かマリアさんに診てもらわないと……!』


 ポルカが、涙声で必死に訴えかけてくる。


 だが、私は血に染まった口元を袖で乱暴に拭い、ポルカに向かって「シーッ」と人差し指を立てた。


「ダメよ、ポルカ。……みんなには絶対内緒。ここでわたくしが倒れたら、せっかく皆の心に灯った希望の火が消えてしまうわ」


『でも……!』


「心配しないで。一晩ぐっすり眠れば、マシになるはずだから。……本当は今すぐ、温かいお風呂に浸かって溶けたいところだけどね」


 私は震える足に力を込め、ゆっくりと立ち上がった。


 痛みを気力でねじ伏せ、深呼吸をして、鏡もない暗闇の中で完璧な『アイドルスマイル』を作り直す。


「さあ、みんなの元へ戻りましょう。」


 血の味を飲み込み、私は再び、明るい光と笑い声が溢れる宴の中へと、軽やかな足取りで戻っていった。

■Tips


『七転八起の加護』


グラント山の秘湯にて、伝説の「温泉五大精霊」とのリサイタルを経て獲得した特別な加護。


驚異的なリカバリー能力を誇り、どれほど肉体的・精神的なダメージを受けても、一晩休む(特にお風呂にゆっくり浸かる)ことで「体力・魔力が120%回復」し、肌ツヤまで完璧な状態にリセットされる。


さらに、どんな逆境でも決して挫けず、笑顔で立ち上がる「メンタルの強さ」も強力に補正されるという、今のパスティエールにとってこの上なくありがたい恩恵である。

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