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第191話 灰の中の祈り

 碧い光を纏い、メロディアへと変身を遂げた私は、ギル兄様をその腕に抱きかかえ、ライムスの空を蹴った。


 目指すは、私たちの誇り高き故郷――ゼノン辺境伯領の領都、アイアン・フォルト。


 けれど、高度を下げ、かつての砦都市を視界に捉えた瞬間、私の喉は凍りついたような沈黙に支配された。


「……あ、あいつら……ッ!!」


私の腕の中で、ギル兄様の強靭な体が、怒りで爆発せんばかりに震えている。


 そこにあったのは、私たちが愛した無骨ながらも美しい街並みではなかった。


 視界を埋め尽くすのは、帝国の火砲によって無残に抉られ、黒く焼け焦げた骸のような石壁。


 粉々に砕け散り、誰の足跡も途絶えた不毛な街路。


 深淵の森の魔獣を防ぐため、何世紀もの間、ゼノン家が守り抜いてきた難攻不落の誇り。


 その堅牢な外壁は今や、虫に食われた残骸のように、醜悪な風穴を幾つも晒している。


 ギル兄様の、奥歯を噛み締める音。


 握りしめられた拳から伝わってくる、あまりの憤怒に流れる涙さえも蒸発させるような凄まじい熱量。それが私の腕へと痛いほどに伝わってくる。


「……ひどい」


 こぼれ落ちたのは、乾いた独り言。


 かつての領都に、生き残りの領民など一人もいなかった。


 広場を埋め尽くしているのは、瘴気に当てられ、理性を失ったかのようにうろつく帝国兵の成れの果て。


 そして、その足元――あちらこちらで、力尽きた領民たちの死骸を無慈悲に漁る魔獣たちの姿だ。


 かつて魔獣を拒んでいた壁の内側が、今や奴らの「餌場」に成り果てていた。


 広場で漂っていた焼き立てのパンの匂いも、私を「姫様」と呼んで手を振ってくれた子供たちの笑い声も、すべてが泥と瓦礫、そして腐肉の臭いに塗り潰されていた。


 帝国は、この街を統治しようなんて考えてもいない。


 ただ侵蝕者の糧となる「絶望」を搾り取るためだけに、人々が積み上げてきた生活を無残に踏み荒らし、破壊を続けるための「死の装置」に作り替えたのだ。


「……ギル兄様、静かに。奴らに見つかれば、生存者の捜索に支障が出ますわ」


「わかってる……わかってるがよ……! 親父たちが、俺たちが命懸けで守り続けてきたこの街を……ッ! あんな化け物どもが好き勝手に踏みにじってるのが、俺は……許せねえんだ……!!」


 兄の喉の奥から漏れる唸り声は、傷ついた獣の咆哮に似ていた。


 私だって、今すぐこの怒りを歌に乗せて、街中にいや星中に向けて叫びだしたい。


 けれど、ここで呑まれたら侵蝕者の思うツボだ。私は唇を噛み、かつての「家」であった砦城へと静かに降下した。


 城の上層――かつて私の私室があった場所は、爆風で天井が消し飛び、瓦礫の山へと成り果てていた。


 私は『瞳』に意識を集中し、目的の魔力を目印に瓦礫を掻き分ける。


 指先に触れたのは、泥にまみれた硬い感触。


 ……黒曜石のネックレス。


 お爺様に買ってもらった、地の精霊王の加護を宿す触媒だ。


 その隣には、港町サザンで手に入れた真珠の髪飾り。


 あの日、潮風の中で笑い合った安らぎの記憶が、今は薄汚れた地面に無造作に転がっている。


 ふと視線を移せば、クラウス先生に泣きべそをかきながら勉強を教わった、あの思い出の机が、中ほどから無残に砕け散っていた。


「…………」


 悲鳴を上げる代わりに、私は必要なものだけを静かに懐へと収めた。


 悲しみ、怒り、復讐心。どろどろとした負の感情が頭をもたげる。


(呑まれるな、パスティエール。絶望を演出するのはあっちの仕事、それをハッピーエンドに書き換えるのがあなたの役目でしょう……!)


 私はあえて冷徹な思考に切り替え、ギル兄様と共に、城外へと続く地下の隠し通路へ足を踏み入れた。



 帝国兵の見回りを警戒したが、奴らの士気は驚くほど低かった。


 瘴気に当てられた彼らは、もはや勝利の喜びに酔うことすら忘れた人形のように、虚ろな目で瓦礫の中を彷徨っている。


 隠し通路の壁際。


 そこで私は、見慣れた――けれど、これ以上なく力強く刻まれた「ゼノン家」の紋章を見つけた。


 そこには、殴り書きのメッセージが残されていた。


『ライナス、エリアーナ、無事。北へ脱出せよ』


 その文字を目にした瞬間、ギル兄様の張り詰めていた肩の力が、一気に抜けたのがわかった。


「……親父も、お袋も無事だ! パスティ!」


「……ええ。良かったですわ、本当に」


 父上たちは、この地獄の中でも互いを見失わず、活路を開いていた。


 生きてさえいれば、いくらでもやり直せる。


 お爺様の安否はいまだ不明だけれど、灰燼に帰した故郷の底で、一筋の確かな「希望」を掴み取った瞬間だった。


 私たちは、さらに帝国の真の狙いを探るべく、領都の西を縦断する山脈地帯へと向かった。


 本来、この険しい断崖は、魔導国を帝国の魔手から守る「鉄壁の防障」であったはずだ。


 だが、現地に到着した私たちの目に飛び込んできたのは、自然の理を根本から否定するような異様な光景だった。


「なに……あれは……」


 雲を突くような絶壁の腹に、ぽっかりと巨大な「穴」が口を開けていた。


 火薬の爆破などでは到底不可能な、あまりにも精密で巨大なトンネル。


 そこには鈍く光る鋼のレールが敷かれ、深淵の森の奥深くまで延々と伸びている。


 ゴゴゴ、と地響きを立て、不気味な黒煙を吐き出す鋼鉄の運搬車両が、兵員と物資を満載して続々と森の深淵へと吸い込まれていく。


「帝国の技術がこんなに……? どうやってこの山を貫いたんだ……!?」


 ギル兄様が愕然と呟く。


 違う。いくら帝国といえど、これほどの短期間に物理的な力だけで巨山を穿つことはできない。


 あの不自然なトンネルの奥を見つめたとき、私はその『瞳』に瘴気の残滓を見た。


 このトンネルもきっと侵蝕者によるものなのだろう。


 バトラコスを倒したところで、この戦争は終わらない。


 侵蝕者の目的は、単なる国盗りなどではないのだ。


 奴らは、この星の根幹に関わる何かを、取り返しのつかない形で蹂躙しようとしている。


「……行きましょう、ギル兄様。父上たちの行方を追いたいですが、まずは陛下へこの事実を報告しなければ」


夕日に染まる、魔獣の咆哮が木霊する廃墟と化した故郷を背に、私は碧い光を一段と強く放ち、北の空へと舞い上がった。

■Tips


領都アイアン・フォルト


ゼノン辺境伯領の政治・軍事の中心地であった砦都市。


深淵の森から溢れ出す魔獣を阻止するために築かれた強固な城壁を誇っていたが、帝国の「重火砲」と、瘴気に汚染された魔獣の群れに抗えず陥落。


現在は、魔獣を拒んでいた壁の内側が逆に奴らの「餌場」と化しており、無残に放置された遺骸を魔獣が漁る地獄のような光景が広がっている。


また、侵蝕者がばら撒く瘴気によって、人間が住める環境ではなくなりつつあり、この街は侵蝕者が「絶望」を抽出するための広大な実験場へと変貌した。


領都陥落時、領民たちの運命は大きく三つに分かれた。


避難民: ゼノン辺境伯ライナス、そして辺境伯夫人であり元魔導卿『紅蓮』のエリアーナの獅子奮迅の抵抗により、街から外へ脱出できた者たち。彼らが辺境伯領の再起を支える希望の火種となっている。


初期犠牲者: 帝国の無差別砲撃や、侵入した魔獣の群れに襲われ命を落とした者たち。現在、放置された彼らの遺骸が魔獣を引き寄せる要因となっている。


捕虜: 逃げ遅れ、帝国軍に囚われた者たち。侵蝕者にとって「絶望」は熟成させるべき食糧であり、彼らは殺されることすら許されず、故郷が蹂躙される様を見せつけられながら、負の感情を搾り取られ続けている。


また、その一部は山脈を穿つトンネルの過酷な土木作業に、強制労働者として駆り出されていると考えられている。

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