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第190話 ベリーベリースイートベリー

 勝利の喝采がライムスの街を揺らす中、私の意識は急激に色褪せていった。


 地の精霊王の加護を、触媒なしで引き出した反動。


 全身の血管に冷たい砂が流れているような、ひどい倦怠感が襲う。


「……あ、これ、まず……い……」


 変身が解け、五線譜の翼が光の粒子となって霧散する。


 がくりと膝から崩れ落ちそうになった瞬間、鼻を掠めたのは、私の大好きなインクの匂い。


「――全く。どこまで無茶をすれば気が済むんですか」


 厳しい、けれど震えるほどに優しい声。


 視界が回る中、私は私を抱きとめたクラウス先生のローブを、ぎゅっと握りしめた。




 ライムス司令部の一室。


 石造りの冷たい部屋も、春のように温かい。


 なぜなら私は今、先生の膝の上に頭を乗せているからだ。


 いわゆる、膝枕というやつだ。


「……先生。わたくし、頑張りましたわ」


「ええ、見ていました。……しかし、精霊王の加護を借りただけでこの消耗具合。精霊王との同調は絶対に避けてください。」


 先生はいつものように眼鏡を指で押し上げ、厳しい表情を作っている。


 でも、私を支える腿のあたりが、微かに震えているのがわかった。


 先生にはお見通しのようだ、実際今も私の心臓は早鐘のように体の異常を訴えている。


「……なでなで、してください」


「なっ……!? な、何を言っているんですか。貴女は貴族令嬢……そう簡単に男性と接するべきではっ」


「頑張ったご褒美ですわ。先生、わたくしのこと、大事じゃないんですの……?」


 潤んだ瞳で上目遣いに見つめると、先生は「くっ……」と呻いて視線を逸らした。耳の先まで真っ赤だ。


 けれど、やがて大きな手が、おずおずと私の頭に乗せられた。


「……一度だけですよ。……頑張りましたねパスティエール様。貴女は、最高の生徒です」


 不器用な手つきで、何度も、何度も。


 先生の温もりが、冷え切っていた私の身体にじわりと溶け込んでいく。


 その心地よさに、私はしばし、戦場の血生臭さを忘れて目を閉じた。


「……なぁ、俺たち何を見せられてるんだ?」

「しっ!お嬢様のこんな(とろ)けた顔、普段は見れません。堪能しなくてはっ」

「……パスティッ!お前の兄の胸も空いているぞっ!」

「お姉様っ!私というものがあるというのにっ!」


 せっかくのいい雰囲気が台無しである。好き勝手に騒ぐカイルにセリナ、ギル兄様、そしてマリアベル。


「うっさいですわっ!せっかくクラウス先生のなでなでを堪能しているというのにっ!」


 私は、部屋の中でこちらをニヤニヤと囲んでいる「外野」たちに全力でブーイングを飛ばした。




 部屋の隅では、領主代理であるレオ兄様が、設置されたばかりの通信機に向き合っていた。


 無骨なレバーを叩く、規則的な打鍵音――「トン、ツー、トン」という乾いた音が室内に響く。


「……父上の代理として、陛下へ直接報告を入れる」


 王都エレメンシアとのリアルタイム通信。


 レオ兄様が正確な手つきで打ち込む信号は、魔力波となって王都へと瞬時に飛んでいく。


 最小限の単語の羅列。


『ライムス、ショウリ』

『シンショクシャ、ジョウカ』

『テイコク、ホリョ、カクホ』


 数分後、王都側からも打鍵音が返ってきた。


『シンジガタシ』

『キセキ、カンシャ』

『ホリョ、ショウチ、マズハ、ソチラデ、カンリ』


「……陛下は相当お喜びのようだな。捕虜はひとまずこちらで管理しないとだな」


 レオ兄様が短く息を吐き、こちらを振り返る。


「あの人数を捕虜として管理するとなると、それ相応の場所の確保と、物資が必要だ。」


 そこにそれまで口を開かなかった天象卿シエル様が口を開いた。


「……地の精霊魔術で仮の捕虜収監所を作らせよう、物資については引き続きクリストン子爵に頼らざるをえまい。あとは尋問だな、それはこちらで受け持とう」


 最初は気難しいエルフのおじさんかと思っていたけれど、今の魔導卿は驚くほど協力的だ。感謝しなくては。


 その後行われた尋問により、確保した高官が帝国宰相「オクタヴィア」であること。


 そして彼女がバトラコスに操られていた際に目撃した「始まりの侵蝕者・モルス」がすべての黒幕であるという確証が得られた。


 さらに、通信網が繋がったことで、各地の「最悪」もまた、文字として記録されていく。


 侵蝕者の混乱に乗じた『聖教国』と『獣王国』の全面衝突。


 未開の地における瘴気による被害と思わしき複数の報告。


 平和はまだ、遠い。


 けれど、このライムスの勝利が、絶望に風穴を開けたのは確かだった。


 数時間後。


 先生の「なでなで」で少しだけ体力と魔力を回復させた私と、レオ兄様、ギル兄様は、一人の青年と対峙していた。


「お初にお目に掛かります、ゼノン辺境伯代理、レオナルド様。ファルコーネ子爵家が嫡男、ライト・ファルコーネと申します。」


 王都から陛下が差し向けた、魔導国でも珍しい飛翔の血統魔法を操る魔術師。


「陛下は魔導国の翼である私に、ゼノン領の偵察を命じられました。手足としてお使いください。」


 彼は不敵に微笑む。


「陥落した街の現状、帝国の動向……上空から、すべてを暴いて差し上げます」


「……貴公には『北の遺跡の街ケルド』、そして陥落したと思われる『森の扉の街シルヴァ』の調査を頼みたい。戻り次第報告を頼む」


 レオ兄様がそう言うと、彼は傅き、そして空を見上げた。


「魔導国の翼、ファルコーネ家に伝わる血統魔法をお見せします、――『翔空の風翼(エアリアル・ウィング)』」


 瞬間、彼は空の彼方へと消えていった。


「……さて、港町サザンの調査はクロウ殿にお願いするとして、領都の調査はパスティ、ギルバート、おまえ達に頼む。ただし無理はするな」


 そう言うレオ兄様の目は、母上父上、お爺様の安否を気にかけるいつもの優しいレオ兄様の目に戻っていた。


「大丈夫さレオ兄!父上たちは俺たちより強いんだ、どこかで反撃の機を伺って身を隠しているさ。ヘクターとヒルダも付いてるはずだしな」


「そうですわ!それに私の逃げ足はこの魔導国一をズレ自負しておりましてよ!」


 ギル兄様と私は努めて明るい言葉でレオ兄を自分を奮い立たせる。


「……そうだな、ありがとう二人とも。やることは山積みだが、この三人なら出来る、そう信じよう。」


 夕焼けに染まるライムスの空の下。


 私たち三人の兄妹は、誰からともなく腕を回し、力強く抱擁を交わした。


 その温もりが、明日へと向かう確かな糧になることを信じて。

■Tips


ファルコーネ子爵家


魔導王直轄の貴族家であり、代々『翔空の風翼(エアリアル・ウィング)』と呼ばれる飛行の血統魔法を継承する。


パスティエールの『ゼノン式魔導信号』が普及するまでは、彼ら一族が空を駆けることが、この広大な魔導国における唯一の超高速通信手段であった。


現在は、子爵本人と三人の息子たちが、帝国の侵攻および聖教国・獣王国の衝突という未曾有の事態に対し、不眠不休で「世界の境界線」を飛び続けている。

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