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第123話 地獄の補習

 中間試験まで、あと一週間。


 放課後のEクラス教室には、異様な緊張感に包まれていた。


「……では、始めますわよ」


 クラスメイトたちが固唾を呑んで見守る中、私は鞄から恭しく小箱を取り出した。


 中に入っているのは、宝石のように艶やかな一口サイズのボンボン・ショコラ。


 中には極上の赤ワインを煮詰めたシロップが封じ込められている。


 もちろんアルコールは飛ばしてあるけれど……。


(……ヴィオラ先生、アルコールそのものより、『お酒っぽい匂い』を嗅ぐだけで、深層心理のスイッチが入っちゃうのよね)


「先生、どうぞ。脳の栄養補給ですわ」


「あら、ありがとうゼノンさん。ちょうど甘いものが欲しいと思ってたの……パクッ」


 教壇に立つヴィオラ先生が、それを口に放り込んだ。


 一秒、二秒、三秒。


 ――カッ!!


 先生の瞳孔が猫のように細まり、背後からドス黒い影の奔流が噴き出した。


「……あァ!?なんだてめぇら、その弛んだツラは。試験勉強の進捗はどうしたコラァ!!」


 地獄の底から響くような低音。


 教室の窓と扉が、足元から蛇のように伸びた「影」によって瞬時に塞がれ、光の一切を拒絶する漆黒の檻と化した。


「ひぃっ!?な、なんだ!?」


「せ、先生!?キャラが、キャラが崩壊してるわよ!?」


 ガントたちが驚愕して後ずさるが、逃げ場はない。


 影から伸びた無数の触手が、逃げようとした男子生徒の足を絡め取り、天井へと吊り上げた。


「誰が動いていいと言ったァ!貴様らの血肉を知識に変えろォ!今日から試験まで、一分一秒、寝ることも死ぬことも許さんッ!地獄の底まで付き合ってもらうぞ、このウジ虫どもォ!!」


「ぎゃあああ!先生が壊れたぁぁ!!」


 こうして、軍隊映画も真っ青な「Eクラス強化合宿」が幕を開けた。


 まずは地獄の座学。


 ヴィオラ先生は教壇を影でできたムチで叩き、教室を三つの「収容所」に分けた。


 第一グループは、モミジとランドルフ。


 モミジは教科書を前に、「ぬぅ」と呻いたまま石化している。


「……読めぬ。ミミズが踊っているようにしか見えんぞ」


 そこへ、ヴィオラ先生の影のムチが、彼女の机を粉砕した。


「そこォ!言語の壁を言い訳にするな!読めないなら脳に直接刻み込めッ!ランドルフ、貴様の脳味噌を分けてやれ!!」


『……ちっ、うるせーな。……おいモミジ。そこは”魔力循環”だ。お前らの国で言う”気の巡り”を共通言語に変換してるだけだ、理解しろ』


『な、なるほど!概念は同じか!』


 文句を言いつつも、先生の影にケツを叩かれたランドルフが、驚異的な速度で極東語への翻訳を進めていく。この二人は「効率」で突破できそうだ。


 問題は、第二グループ。


 ガントを中心とした平民グループだ。


「くそっ、文法だぁ?詠唱なんて勢いで叫べばいいじゃねぇか!なんでこんな面倒なこと覚えなきゃなんねぇんだよ!」


 そこへ、おずおずとルナが近づく。


「あ、あの……ガント君」


「ああん?なんだよルナリア!」


「ひっ、い、いえ……。文法はね、魔術を動かすための『共通の型』なの。ガント君、この間の授業で『水滴(ウォーター・ドロップ)』の詠唱に失敗していたでしょ?でも、地の精霊魔術は使えているから、実は文法が判っていれば他の属性の詠唱にも応用が効くの。」


「……応用?」


 ガントが眉をひそめる。ルナは勇気を出して教科書を指差した。


「うん。精霊言語の主語と述語の組み合わせには一定のルールがあるの。それを一度覚えてしまえば、新しい属性の詠唱だって、丸暗記しなくても自分の言葉として『理解』して放てるようになるんだよ」


 ルナの実家は「言霊魔術」の名門。


 彼女の説明は、逆に感覚派のガント君たちには分かりやすかったらしい。


「……マジか。そいつを知ってりゃ、いちいち丸暗記しなくて済むってことか?」


「そ、そう……!判れば、もっと上達するよ」


「へっ、お前……教えるの上手いな。ちょっと面白くなってきたぜ」


「えへへ……。よ、よかったぁ……」


 ルナが頬を染めて笑う。彼女がクラスメイトと笑い合っている姿を、私は初めて見た気がする。


 ちなみに第三グループは、ヴィオラ先生による強制暗記部屋。


 影の中に沈められた生徒たちは、外部からの刺激を一切遮断され、ヴィオラ先生の朗読が脳内に直接響き渡る。


 ……あれ、普通に拷問だわ。



 続いて、恐怖の実技演習。


 屋内演習場にて、鬼教官ヴィオラ先生が影で作った「人食い(まと)」を解き放つ。


「ヒャッハー!この的に噛み殺されたくなければ、魔術を叩き込め!外した奴は、影の中で腕立て百回だァ!!」


「殺す気かよ!!」


 ガントが必死に構えを取り、地属性魔術を放とうとするが、的の動きに翻弄されている。「くそっ、当てらんねぇ!」


 私は『瞳』でガントの魔力回路を透視し、アドバイスを飛ばした。


「ガント君!詠唱に力が入りすぎていますわ!さっきのルナの言葉を思い出して!詠唱は頭の一部で『法則』を流しながら、体は魔力をスムーズに導くための『器』になりなさい!」


「……文法の法則……体の脱力……よしッ!『――岩石弾(ロック・バレット)』!」


 ドォン!


 放たれた岩石弾は、無駄な予備動作を排し、鋭い弾道で的の核を貫いた。


「よっしゃあ!できた!前より速ぇぞ!見たかオラァ!」


 次々と的を破壊していくクラスメイトたち。


 その熱量に当てられ、ルナも一歩前に出た。


「わ、私も……!」


 彼女は両手を組み、印を結ぼうとする。


 知識も、イメージも、ルナの中に完璧に揃っている。


 けれど。


「…………っ」


 ガタガタと、指先が震えだす。


 喉が引きつり、詠唱の言葉が出てこない。


 その青ざめた表情。焦点の定まらない瞳。


 ――また、思い出しているのだろう。


 先日、彼女が泣きながら話してくれた、兄からの心ない言葉。


 『お前の声は呪われている』という、あの呪縛が、彼女の喉を締め上げているのが私には分かった。


「うぅ……」


 プシュッ。


 結局、彼女の手からは小さな風が漏れただけ。


「……あーあ。お前、教えるのは上手なのに、実技はからっきしだなー」


 ガントが悪気なく笑う。


 ルナは「えへへ……ごめんなさい……」と力なく笑うが、そのスカートの裾を握る手は、白くなるほど強張っていた。



 ――キーンコーンカーンコーン。


 夕食時間のチャイムと共に、ヴィオラ先生が糸が切れたように教壇で沈没した。


 影の檻が解け、夕焼けが教室内を照らし出す。


「し、死ぬかと思った……」


「でもよ……なんか、掴んだ気がしねぇか?」


 生徒たちはボロボロになりながらも、その顔には戦士のような充実感があった。


 寮への戻り支度(したく)をしていると、ガントが私の席にやってきた。


「……よう」


「お疲れ様ですわ、ガント君」


「……へっ。悪くねぇ特訓だったぜ。……頼りにしてるぜ、『委員長』」


「委員長?誰のことですの?」


「テメェだよ。……文句あるか?」


 ガントはぶっきらぼうに手を上げて、仲間たちと去っていった。


 一人残された私は、きょとんとして、それからふふっと笑った。


「委員長……。悪くありませんわね」


 バラバラだったEクラスの歯車が、少しずつ、力強く噛み合い始めた音がした。


 ……ただ一人、ルナだけが。


 夕闇の中、自分の震える喉元をそっと押さえていたのが、私の胸に刺さった。

■Tips


 教室から演習場への移動は、ヴィオラ先生が生徒全員を自分の『影』の中に無理やり収納して移動しており、中に入れられた生徒たちは、上下左右も分からない完全な暗黒の中で混乱を味わった。


 たまたま中庭からその場面を目撃してしまったクラウス先生。


 一瞬、教え子であるパスティエールが闇魔術の暴走に巻き込まれたかと顔を青ざめさせ、ヴィオラ先生を止めようとした。


 しかし、影に飲み込まれる寸前のパスティエールが苦笑いし悟りを開いた表情をしていたため、「ああ、また彼女がなにかしたんだな……」と無理やり自分を納得させ、温かく見守ることに決めたのでした。

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