第124話 中庭のユニゾン、虹の架け橋
地獄の合宿も、三日目の昼休み。
騒がしい教室を抜け出した私は、姿を消したルナを探して、人気のない中庭の奥へと足を踏み入れていた。
「……あ」
木漏れ日が水面に跳ねる、噴水の縁。
そこに、小さく膝を抱えて座る彼女の姿を見つけて、私は足を止めた。
木々の隙間から差し込む陽光が、彼女の透き通るような金髪のツインテールを照らし、まるで絹糸を紡いだかのような輝きを放っている。
噴水の飛沫を浴びて、抜けるように白いその肌は、陶器のように滑らかで、同時に触れれば壊れてしまいそうなほどに儚い。
膝を抱えてうずくまるその背中は、同年代の私から見ても驚くほど華奢で、名門公爵家の重圧がどれほど彼女をすり減らしてきたかを物語っているようだった。
彼女は独り、小鳥のさえずりよりも儚い声で、何かを口ずさんでいた。
『――ぽつり ぽつり 雨音のステップ――』
『――水たまり 映る 泣き虫な空――』
そのメロディを耳にした瞬間、私の鼓動が跳ねた。
それは、私が泉の精霊様に呼びかけるときに歌う曲『ハッピー・スプラッシュ』。
メロディアとしてレコードを発売し、今や街のあちこちで流れている私の歌だ。
ちなみにこの曲のレコードをかけると雨乞いと同じ効果があるという都市伝説が生まれている。本当かしら。
(ふふ。本当に、メロディアのファンでいてくれたのね……)
自信なさげに震える歌声。
けれど、音程は驚くほど正確で、その響きは鈴を転がすような、あまりにも澄んだ美しさを秘めていた。
駆け寄ろうとして――けれど、その細い背中が、抑えきれない孤独に小さく震えているのに気づき、私は努めて穏やかに声をかけた。
「……ルナ?」
「ひゃっ!?」
ルナはビクッと肩を跳ねさせ、慌てて涙を拭いながら振り返った。
長い睫毛に縁取られた瞳が潤み、真っ白な頬を涙が伝う。
「パ、パスティちゃん……? どうしてここに……」
「貴女がいないから、探しましたのよ。……隣、いいかしら?」
私が尋ねると、彼女は戸惑いながらも、こくりと頷いて自分の隣にわずかなスペースを空けてくれた。
隣に座ると、彼女からは雨上がりのような、少し湿った匂いがした。
きっと、独りでずっと泣きじゃくっていたのだろう。
「……ごめんなさい。私、やっぱりダメみたい」
重い沈黙を破ったのは、ルナだった。
彼女は膝の上で指をぎゅっと絡ませ、溢れ出すように言葉を零し始めた。
「さっきの授業も……魔術の発動が全然うまくいかなくて。みんなに、迷惑をかけちゃって……」
「誰も迷惑なんて思っていませんわ。皆、ルナの力になりたい。ただそれだけです」
「ううん、違うの」
彼女は力なく首を振った。その瞳には、深い絶望の影が差していた。
「こないだも言ったけど、私ね……実家でも、ずっと『面汚し』『失敗作』って言われてたの」
フォーマルハウト侯爵家。
言霊魔術の名門であり、現生徒会副会長・セドリック様の実家。
その名門の重圧が、彼女の小さな肩にのしかかっている。
「最初は期待されてた。でも……いくら頑張っても、人前だと声が出なくて。お父様やお母様みたいに、『言霊魔術』が使えなくて……」
悔しさに震える声。
彼女は自分の喉元を、爪が食い込むほど強く握りしめた。
「だから私、怖いの。私の言葉は、誰にも届かない。……私が喋ると、みんなを不快にさせてしまうんじゃないかって……」
家族からの否定。
完璧主義の兄による精神的な呪縛。
最も安心できるはずの場所で、彼女は「言葉」という自由な翼をもがれてしまったのだ。
「……そんなこと、ありませんわ」
私は、震える彼女の華奢な肩にそっと手を置いた。
その体温が、少しでも彼女に伝わるように。
「ルナの言葉は、不快なんかじゃない。……だって」
私は、彼女の耳元で花が咲くように優しく囁いた。
「貴女がさっき口ずさんでいた歌……あれほど透き通った綺麗な声を、私は他に知りませんもの」
ルナが、驚愕して顔を上げる。
「え……き、聞こえてたの……?」
「ええ。ここに来る前、少しだけ。盗み聞きしてしまいましたわ」
盗み聞きを白状すると、彼女の白い肌が林檎のように真っ赤に染まった。
その愛くるしさに私もドキドキしつつ、私は彼女の冷えた手をギュッと握りしめる。
「……あの歌だけはね、不思議なの」
彼女は遠い空を見つめる、夢見るような目をした。
「兄様や家族の言葉は、氷みたいに冷たくて痛い。……でも、『メロディア様』の歌は違うの。冷たい雨の中でも、そっと傘を差してくれるみたいに温かくて……。だから私、辛い時はいつも、心の中で一緒に歌ってたの」
彼女は祈るように両手を組み、震える唇を動かした。微かな、けれど確かな旋律が紡がれる。
『――ぽつり ぽつり 雨音のステップ――』
(……ああ。私の歌が、貴女の雨宿りの場所になれていたのなら)
その事実に、私の胸が熱くなる。
彼女の歌声は、まだ自信なさげで消えてしまいそう。
なら、私が支えよう。彼女の言葉が、翼を得て世界に届くように。
私は彼女の旋律を邪魔しないよう、そっと、深い慈愛を込めて声を重ねた。
『『――水たまり 映る 泣き虫な空――』』
私のハモリが入った瞬間、ルナの肩が大きく跳ねた。
けれど、私は彼女の手をギュッと握りしめ、逃がさなかった。
「続けて、ルナ。……私と一緒に」
「パ、パスティちゃん……?」
(……見える。彼女の魔力の中に混ざる、ドロリとした不快なノイズが)
私の『瞳』には、彼女の魔力の流れが「歪な波形」として映っていた。それは実の家族から投げつけられた、呪縛という名の『不協和音』。
(『――星の調律』、さあプロデュースの時間よ!)
「大丈夫。貴女のリズムは完璧よ。……さあ、ワン、ツー!」
私は強引に、けれどとびきり楽しげに、続きのパートを歌い出した。
私の歌声が空気に触れるたび、『星の調律』の力が発動し、ルナの魔力にこびりついていたノイズを一つずつ「正しい音程」へと書き換えていく。
『『――ほら 手のひらに 集めた雫――』』
私のリードに引っ張られるように、ルナも恐る恐る口を開く。
私の視界の中で、ルナの乱れた魔力の波形が、私の旋律に合わせてゆっくりと滑らかな曲線へと整えられていく。
冷たく尖っていた彼女の魔力が、みるみるうちに温かく柔らかな新緑の輝きを取り戻していく。
『『――きらめく 魔法の カケラにして――』』
最初は蚊の鳴くような声だった。
けれど、私が手を握り、魔力を込めた歌声で彼女の声を優しく包み込んでいくと、次第に彼女の声に凛とした「芯」が通っていく。
やがて彼女の喉から溢れ出したのは、先ほどまでの震えが嘘のような、まさに鈴が転がるような、一点の曇りもない歌声だった。
(……なんて良い声。きっと貴女の『言霊』の才能は、支配するためではなく、歌に乗せて『祈る』ことで真価を発揮するんだわ)
私は確信した。彼女が必要としていたのは旋律という名の翼。
『『――涙のあとには、虹がかかるよ!――』』
二人の声が、完璧なユニゾンを描き、最高潮へと達したその時だった。
『ピピィッ! ピルルルルゥ!』
突き抜けるように高く、澄んだ鳴き声が頭上から降り注いだ。
見上げれば、学園の森にいたはずのポルカが、光り輝く尾を引いて私たちの頭上を旋回している。
(ポルカ……! 貴方も喜んでくれているのね?)
ポルカは二人のユニゾンに合わせるように、複雑で美しいトリルを響かせた。
その歓喜の鳴き声に呼応するように、ルナの体から、柔らかな新緑の光が溢れ出す。
「え……っ!?」
驚いて目を見開く彼女。けれど、歌は止まらない。
言葉に乗せた魔力が、目の前の噴水の水へと、直接干渉を始める。
二人の歌声は煌めく魔力の波となって共鳴した。
『『――悲しみさえも 輝く宝石――』』
『『――空に描こう、七色のアーチ!――』』
シュワァァァァ……!
奇跡が起きた。
ルナが歌詞を紡いだ瞬間、噴水の水が意志を持ったように反応し、空中で精巧な「宝石」の形を次々と作り出していく。
歌を介して精霊に「お願い」する私の魔術ではありえない、意思が現象に直結する圧倒的な「速度」。
そこへ、私の歌声に呼ばれた水の精霊たちが集まり、蒼い輝きを注ぎ込む。
(すごい……! ルナの魔力が直接水に干渉して力場を形成してる、さらに私の歌で集まった精霊達がそこに魔力を『充填』している……!)
私の蒼い魔力と、ルナの新緑の魔力。
異なる二つの色が、混ざり合うことなく綺麗な二重螺旋を描き、水飛沫を輝く宝石の雨へと変えていく。
ポルカは翼をキラキラと光らせながら、祝福の光を振りまいてルナの周りを嬉しそうに飛び回る。
まるで、新しい「歌姫」の誕生を歓迎する精霊たちの儀式のように。
『『――届けて 彼方へ ハッピー・スプラッシュ!――』』
最後のフレーズを歌い切った瞬間。
私たちの頭上に、小さな、けれど今まで見たこともないほど鮮やかな、本物の虹が架かった。
「はぁ、はぁ……っ!」
歌い終えた静寂の中、ルナは肩で息をしながら、自分の両手を見つめていた。
指先からは、まだ微かに魔力の残滓が心地よく揺らめいている。
「す、すごい……。私、魔術を使えた……? それに、水が私の思った通りに、すぐに形になって……」
「ええ。とても綺麗でしたわ、ルナ」
私が微笑むと、彼女はパァッと太陽が昇るような笑顔になり、私の手を両手で握りしめてきた。
「パスティちゃん! ありがとう! 私、歌ってると苦しくなかった! 言葉が、つっかえずに溢れてきたの!」
その笑顔を見て、私は心から安堵した。
「それに……パスティちゃんも、『メロディア様』のファンだったのね!?」
キラキラした瞳で見つめられる。うっ、純粋な眼差しが痛い。
「え、ええ、まあ……。嗜む程度には」
「嘘だぁ! すっごく上手だったよ! まるで本物みたいに……ハモリとか完璧だったし!」
そりゃあ、本人ですし。
ルナは興奮冷めやらぬ様子で、懐から一枚のチラシを取り出した。
「ねえねえ、知ってる!? 中間試験の後に、メロディア様のコンサートが学園で開催されるって発表があったの!」
チラシには、『戦場の歌姫メロディア、王立魔術学園にてコンサートライブ決定!』の文字。
先日、私が魔導王陛下に直談判して決めたイベントだ。
陛下も「いいねぇ! 獣王も呼んじゃおっか!」とノリノリだった。
「私、絶対に行きたいんだけど……チケットがすごい倍率で。一般席は抽選だし、生徒枠も少なくて……」
シュンと肩を落とす彼女。
人気が出すぎてしまった弊害ね。
私は苦笑しつつ、スカートのポケットから一通の封筒を取り出した。
「あら。でしたら、これを使います?」
「え……?」
私が差し出したのは、金色の箔押しがされた重厚な『招待状』だ。
「これ、実家の父宛に届いた関係者席の招待状なのですけれど……あいにく父も私も、当日はどうしても外せない用事ができてしまいまして」
「ええええっ!? こ、こんなすごい席!? 関係者席じゃない!?」
「ええ。空席にするのも勿体ないですし、ぜひルナに行ってほしいの」
「ほ、本当にいいの……? これ、すごく貴重なものじゃ……」
「いいのよ。……貴女のその歌声、きっとステージのメロディア様にも届きますわよ?」
嘘は言っていない。私はステージの上にいるので、客席には行けないのだ。
私がウィンクをすると、ルナは涙をこぼしながら、封筒を宝物のように胸に抱きしめた。
「ありがとう……っ! ありがとうパスティちゃん……! 私、一生の宝物にする……!」
何度も何度もお礼を言う彼女の頭を優しく撫でながら、私は心の中で次の計画を練っていた。
(さて。どうせなら、Eクラス全員を招待してあげましょうか)
陛下に頼んで、関係者席をクラス人数分、無理やり確保させよう。
地獄の合宿を乗り越えた、最高のご褒美として。
「さあ、休憩は終わりですわ。教室に戻りましょう?」
「うんっ!」
ルナの足取りは、羽が生えたように軽い。
『歌』という魔法の鍵を手に入れた彼女は、もう以前の臆病なだけの少女ではない。
中間試験、そしてその後のステージで彼女がどんな輝きを見せるのか。
■Tips
『星の調律』について
母方のカエルス公爵家が保有している血統魔法『調律』がベースとなっている。
『調律』の元の能力は「魔力の流れに干渉し、複数の魔術の威力や効果を増幅するもの」であったが、パスティエール転生時の『星の精霊の加護』の影響により「世界の不協和音」を「正しい旋律」へと書き換える能力へと変化している。
パスティエールは自身の歌声を利用し、血統魔法によってルナリアの魔力をチューニングした。マスタリングされたルナリアの魔力は、きっとこの先大きく才能を開花させるだろう。




