第121話 望郷のどら焼き
放課後の教室には、奇妙な静寂が満ちていた。
「……ふごー。……むにゃ」
最後列では、ランドルフ君が規則正しい寝息を立てている。
「座席を埋める」という私の要求を、彼は文字通りに果たしていた。
まあ、そこに居るだけで意味があるから良しとしましょう。
「すごいですよ、パスティエールさん……!ランドルフ君の『あんちょこ』!難しかった魔力定数の計算が、パズルの答え合わせみたいにスラスラ解けるんですもの!」
ルナリアさんが、陽だまりのような金髪のツインテールを揺らしながら、私の手を取った。
エメラルドの瞳をキラキラと輝かせ、自分より背の高い私を見上げる姿は、可愛らしいお人形さんの様。
……守りたい、この笑顔。
「それは良かったですわ、ルナリアさん。……ですが、まだピースが足りません」
私はパステルピンクの髪を指先でくるりと巻いた。
頭脳は確保。教官を「その気」にさせる切り札も用意した。
次に必要なのは、このクラスの「特異点」――そして、分断されたクラスを繋ぐための「多様性」だ。
「次のターゲットは、あの方ですわ」
私の視線の先、誰もいない窓際の席――極東からの留学生、モミジさんの席を見据えた。
時計の針を少し戻して、今日の昼休み。
学食の券売カウンター前で、ちょっとした「事件」が起きていた。
「…………ぬぅ」
人だかりの中心で、仁王立ちする少女。
濡羽色の長い髪を高い位置で結い上げ、額からは種族の証である黒く鋭い「一本角」が突き出している。
Eクラスの「鬼姫」、モミジさんだ。
彼女は般若のような形相で、頭上のメニュー表を睨みつけていた。
「……なんだあの殺気……」
「好きなメニューが無いのか……?」
周囲の生徒が怯えて逃げ出す中、私は彼女の「脂汗」を見逃さなかった。
(……やっぱり。極東は独自の文字文化を持つ国。大陸共通語の、しかも崩した筆記体で書かれた『本日のおすすめ』なんて、彼女には暗号解読も同然)
「ええい、これじゃ!その『上から二つ目』の『めにゅ~』を頼む!」
ヤケクソ気味に指差したカウンターから出てきたのは――石のように硬いバゲットと、苦味の強い薬草シチューセットだった。
あちゃー……。
席についても、モミジさんはバゲットをおにぎりのように両手で掴み、ガリッ!!と鈍い音を立てて格闘していた。
「ぬぐぐ……っ!大陸の飯はなんとも……これほど硬いとは、これも修行かっ!」
強がっているけれど、その肩は小さく震えている。
……鬼の目にも涙。
不憫すぎて見ていられない。
そして放課後。
私はルナリアさんを連れて、屋上へ向かった。
そこには、夕陽に照らされながら、ひとり膝を抱えて遠くの空を見つめるモミジの姿があった。
「……ん?何の用じゃ。冷やかしなら斬るぞ。拙者は今、猛烈に虫の居所が悪いんじゃ」
気配を察して、彼女は即座に威嚇の顔を作った。
けれど、その声は空腹と孤独でわずかにかすれている。
「いいえ。貴女、お腹が空いているのではないかしら?……こちら、いかが?」
私が優雅に微笑み、風呂敷包みを取り出す。
蓋を開けた瞬間。甘く香ばしい香りと、どこか懐かしい湯気が立ち上った。
「……っ!?こ、この匂い……まさか!?」
そこに鎮座していたのは、ふっくら焼き上げた生地に艶やかな粒あんを挟んだ――「特製・栗入りどら焼き」。そして、水筒に入れた温かい緑茶。
「ど、どら焼き……!?なぜ、大陸の貴族がこれを持っておるのだ!?」
「私の店、『パティスリー・リュンヌ』の自信作ですわ。お口に合うか分かりませんが、お一ついかが?」
モミジは震える手でそれを手に取った。
一口かじった瞬間、彼女の動きが止まった。
……そして。大粒の涙が、どら焼きの表面にぽたぽたと落ちた。
「……っ、う、うまい……。うまいぞ……うっうぅ……」
彼女の声が、決壊した。
「甘くて……小豆の皮の感触まで、村の味と同じじゃぁ、はぁぁ……」
緑茶をすすると、彼女の全身から力が抜けた。
遠い異国の地で張り詰めていたであろう、緊張の皮が剥がれ落ち、そこにはただの、ホームシックの少女がいた。
「拙者は……最強になると誓って、この国に来たんじゃ。だが、文字が読めぬ。試験も、単語がほとんど分からず当てずっぽうで書くしかなかった……。誇りだった『符術』まで紙切れに頼る邪道だと笑われ……拙者は、何のためにここにいるんじゃろうな」
自嘲気味に笑い、自分の黒い角を撫でる彼女。
「この角のせいで、誰も寄って来ん。……いや、むしろ拙者が寄せ付けなかったのかもしれぬな。」
私は彼女の隣に座り、真っ直ぐにその目を見た。
「貴女の術は邪道ではありませんわ。精霊を命令で縛る大陸の精霊魔術とは違う、自然界の魔力の流れに自身を同調させる『循環と共鳴』の魔術……。それは、失われた古代精霊魔法から枝分かれした、もう一つの技術なのだと思います」
「……なっ、なぜそれを……?」
「私も、同じだからです。……モミジさん、私たちが貴女の『通訳』になります。大陸言語を貴女が理解できるまで、何度でも私たちが通訳しましょう。だから――私たちの仲間になってくれませんこと?」
モミジは驚愕し、涙に濡れた顔で私を見た。
「……いいのか?こんな、大陸共通語も満足に書けぬ、醜い角のある鬼で」
「貴女『が』いいのです。私たちは、貴女を仲間にしたいのですから」
モミジは一度だけ目を強く閉じ、溢れるものを拭うと、深々と頭を下げた。
「かたじけない……!この恩、一生忘れんぞ!……ええと、ぱすてぃある……」
言い淀む彼女に、私はくすりと笑った。
「呼びにくいなら、『パスティ』で構いませんわ」
「パスティ……。うむ、それなら言える!良い名じゃな、美味しそうで!」
食いしん坊か。
後ろで見ていたルナリアさんが、勇気を出しておずおずと手を挙げた。
「あ、あのっ……!私も!私も『パスティちゃん』って呼んでもいいですか?……あと、私のことも『ルナ』って呼んでくれたら……嬉しいな」
頬を赤らめるルナリアさんに、私は胸が熱くなった。
「ええ、もちろんですわ。……では、私は『モミジ』、そして『ルナ』と呼ばせてもらいますわね」
桃、金、そして黒。
夕陽に照らされた三色の髪が、屋上に一列に並んだ。
三人で教室に戻ると、ちょうどランドルフが目を覚ましたところだった。
『……騒がしいのが増えたな。少しは静かにしてくれよ、鬼さん』
その言葉に、モミジがビクッと肩を震わせた。
ランドルフが発したのは、完璧な「極東言葉」だったからだ。
『なっ!?貴様、我が国の言葉を……!?』
『親父の書斎にあった文献で読んだだけだ。文法構造が単純だからな、暇つぶしに覚えた』
事もなげに言って、彼は再びアイマスクを下げた。
モミジは腰を抜かさんばかりに驚愕し、私に耳打ちした。
「……おいパスティ。あやつ、只者ではないな?我が国の言葉を暇つぶしで覚えるなど、天狗か何かの化身か?」
(天狗!?いるの!?)
「ふふ。彼は私たちの『秘密兵器』ですわ」
あとは、あの頑固な「ガキ大将」。
「……さあ、最後はガント君たちをどう落とすか、ですわね」
難攻不落のラストピース。
平民の意地と貴族への反発――彼には、甘い『飴』だけでは通用しないかもしれない。
私は次なるプロデュース案を練りながら、星が瞬き始めた空を見上げた。
■Tips
モミジについて
お人形さんのように華奢なルナリアですが、モミジはそのルナリアよりもさらに身長が低い。
「一本角」のせいで威圧感があり、態度も堂々としているため大きく見えがちだが、角を除いた本体(?)はクラス内で最も小柄。
可愛いもの好きのパスティエールは、ルナリアと同様にモミジにも庇護欲を掻き立てられている。




