第120話 鬼教官
放課後の鐘が鳴る。
Eクラスの教室には、私とルナリアさん、そして約束通りに不機嫌そうな顔で現れたランドルフの姿があった。
「……来たぞ。約束通り、俺はここで寝てるだけだかんな」
ランドルフは鞄を枕にして、一番後ろの席にドカッと座り込んだ。
だが、私はニッコリと微笑んで彼の手を引いた。
「あら、予定変更ですわ。今日は校外学習に行きます」
「は?勉強会はどうした」
「ガントくんたちを机に向かわせるには、強力な指導者が必要不可欠。……これからその候補者を勧誘しに行きますの」
「嫌だ。帰る」
「お願いします、ランドルフ君……!先生がいないと、勉強会が始まらないの……!」
即座に帰ろうとした彼の袖を、ルナリアがギュッと掴んで上目遣いで懇願する。
ランドルフは「ぐぬっ」と唸り、盛大に舌打ちをした。
「……チッ。分かったよ、付き合えばいいんだろ。……これだから女って生き物は」
彼はブツブツ文句を言いながらも、結局は着いてきてくれる。育ちの良さと面倒見の良さが隠しきれていない。
私たちは職員室でうなだれていたヴィオラ先生を捕獲し、そのまま私の店――『パティスリー・リュンヌ』のVIPルームへと連行した。
「え、えぇぇぇっ!?こ、このお店、ゼノンさんがオーナーだったんですかぁ!?」
ふかふかのソファに通されたヴィオラ先生が、素っ頓狂な声を上げて目を丸くしている。
隣ではルナリアも「すごいです、パスティエールさん……!」と目を輝かせており、無理やり連れてこられたランドルフでさえ、驚きを隠せない様子で店内を見回していた。
「はい。魔導王陛下のご支援もあり、趣味と実益を兼ねて経営しておりますの。……今日は貸切ですので、いくらでも召し上がってくださいな」
私は、憔悴しきったヴィオラ先生の前に、特製のスイーツを並べさせた。
今日の目的は「Eクラス対策会議」……そして、先生のメンタルケアだ。
「先生。ガントくんたちをまとめるには、担任である先生の力が不可欠なのです。協力していただけませんか?」
私がそう切り出すと、先生はシュンと肩を落とし、テーブルに突っ伏してしまった。
「うぅ……私なんて、ダメダメですぅ……。新任で初めての担任だし、ガント君たちには『頼りない』って舐められてるし……」
先生はオヨヨ……と泣き出した。
「本当は私、魔導院の三等魔導官として、薄暗い部屋で古文書を研究してる方が性に合ってるんですぅ……。やっぱり教えるの向いてないのかなぁ……」
完全に自信喪失モードだ。
これでは、あの暴れ馬たちを御することなど夢のまた夢。 私はセリナに目配せをした。
「先生、まずは元気を出してください。……当店自慢の新作、『大人のワインプリン』ですわ」
出されたのは、琥珀色に輝くジュレが乗った特別なプリン。
カラメルの代わりに、高級ヴィンテージワインを煮詰めた特製ジュレを使用している。
「わぁ……!キラキラしてる……!」
「アルコールは飛ばしてありますが、風味は豊かですよ。どうぞ」
先生はスプーンで一口食べると、パァッと顔を輝かせた。
「おいしぃぃぃ!ワインの香りが鼻に抜けて、甘すぎなくて……私これ、大好きですぅ!」
先生がパクパクとプリンを食べ進める横で、ランドルフは呆れたように溜息をつき、懐から一冊のノートを放り出した。
「……ほらよ」
「これは?」
「俺が授業中に暇つぶしで作った、『あんちょこ』だ。歴史の因果関係や、詠唱の語源パターンを図式化してある。……これさえありゃ、ガントみたいな単細胞でも赤点は回避できるだろ」
私は中身を見て息を呑んだ。
膨大な暗記項目が、最小限の「法則」にまで削ぎ落とされている。
これぞ、天才の仕事。
「……『何も教えない』と言っていたのに、準備が良いですわね」
「勘違いするな。お前らが赤点を取って退学になったら、俺の隠れ蓑がなくなるからだ。……あくまで、俺のためだ」
彼はプイと顔を背けた。
本当に扱いやすいツンデレだこと。
あとは『教官』だけなのだが――。
「うぃ~……パスティちゃ~ん……プリンもう一個ぉ~……」
見ると、ヴィオラ先生の目がとろんと座っていた。
顔は真っ赤で、口調も完全に怪しい。プリンの容器がすでに五つも積み上がっている。
(……あら?アルコールは飛ばしたはずですけど……もしかして、極度の下戸?)
どうやら「風味」だけで酔っ払ってしまったらしい。 これは誤算だったが、まあ、元気が出たなら良しとしよう。
すっかり日が暮れた王都の帰り道。
私たちは、千鳥足のヴィオラ先生を寮まで送り届けることになった。
「うへへ……生徒に囲まれて幸せだなぁ……うぃっ」
「先生、大丈夫ですかぁ……」
ルナリアが心配そうに支える。
一行は、私、ルナリア、セリナ、泥酔したヴィオラ先生という女性四人に、男はランドルフ一人。
彼は「なんで俺がこんな……」とブツブツ言いながらも、私たちを守るように、殿を歩いてくれている。
その時だった。
裏路地の角から、酒の臭いを漂わせた数人の男たちが現れた。
たちの悪そうな、街のゴロツキたちだ。
「おいおい、姉ちゃんたち。随分とご機嫌だな?俺たちと遊ばないか?」
「お、男はヒョロいのが一人だけかよ。ラッキーだな」
男たちがニヤニヤしながら道を塞ぐ。
ランドルフが舌打ちをし、スッと前に出た。
「……チッ。面倒くせえな。下がってろ、俺がやる」
彼が魔力を練り上げようとした、その時だ。
「待って。……様子がおかしいですわ」
私の視線の先。
千鳥足だったヴィオラ先生が、ピタリと足を止めていた。
「あぁん?……誰の許可を得て、私の可愛い生徒たちに声かけてんだ、このウジ虫どもが」
――空気が、凍りついた。
先生の声色は、いつもの高い可愛らしい声から、地獄の底から響くようなドスの効いた低音に変わっていた。
「あ?なんだこの酔っぱら――」
男が先生の肩に触れようとした瞬間。
ズズズッ……
先生の足元の「影」が生き物のように蠢き、一瞬にして路地裏全体を漆黒の闇に包み込んだ。
使い手が極めて稀な、闇の精霊魔術だ。
「ヒィッ!?な、なんだこの影は!?」
「足が……動かねえ!?」
チンピラたちが悲鳴を上げる。
影が触手のように伸び、彼らの足を拘束していた。
その中心で、ヴィオラ先生がゆらりと顔を上げる。
その瞳は据わり、口元には加虐的な笑みが浮かんでいた。
「アヒャヒャヒャ!逃げ惑え!泣き叫べ!その腐った根性、私が教育的指導してやるよォ!!」
「ひいぃっ!許してくれぇぇ!」
「知るかボケェ!私の邪魔をする奴は全員『害虫』だ!駆除だ駆除ォ!!」
先生は狂気的な高笑いを上げながら、影の触手で男たちを捕縛し、自分の影の中へと引きずり込んでいく。
もはや魔術というより、一方的な蹂躙。
ランドルフは顔を引きつらせ、一歩後ずさった。
「……おい。ヴィオラ先生、あんなヤバい魔術師だったのかよ」
「普段のストレスとアルコールが化学反応を起こして、リミッターが外れたようですわね」
私は、影に飲まれて半死半生の男たちと、それを踏みつけながら高笑いする先生を見つめ、ニヤリと笑った。
(……これですわ)
今のEクラスに必要なのは、優しさではない。
絶対的な恐怖と、有無を言わせぬ強制力。
「……セリナ。わかるわね?とりあえず1ダース」
「はい、お嬢様。明日の朝までには用意しておきます」
その時、最悪のタイミングで、仕事帰りのクラウス先生が通りかかった。
「騒々しいですねパスティエール様、何事ですか……」
「あら、クラウス先生。少し酔っ払いに絡まれてしまいましたの」
彼の目の前には、影に飲まれた男たちと、狂乱のヴィオラ先生。
「…………もう遅い時間です、さあ皆さんも早く寮に戻りなさい」
クラウス先生は私達を寮まで送り届けてくれた。ヴィオラ先生を一瞥し溜息をつきながら。
翌朝。 ヴィオラ先生は酷い二日酔いで、青ざめた顔で教壇に立っていた。
昨夜の記憶は一切ないらしい。
「うぅ……頭が割れそう……私、昨日どうやって帰ったのかしら……」
何も覚えていない先生を見て、私は懐に忍ばせた「秘密兵器」を握りしめた。
昨晩、先生をあそこまで変貌させた原因物質――「特製ワイン入りボンボン」だ。
(……決まりましたわ。このクラスを地獄の底から這い上がらせるには、彼女の指導が必要です)
ほんの少しの「アルコール」を投与さえすれば、彼女は最強の指導者になる。
私はボンボンの包み紙を見つめ、静かに微笑んだ。
(ふふ、楽しい試験勉強になりそうですわね)
あとは、まだこちらを向いていない生徒たちだ。
まずはあの孤高の鬼人を、「餌」で釣り上げるとしましょうか。
■Tips
闇の精霊魔術
ヴィオラ先生が使用する闇の精霊魔術は、実は魔導院でも屈指の希少性を誇り、彼女が三等魔導官に抜擢された理由でもある。
しかし普段の性格から攻撃的な魔術の使用は苦手であり、もっぱら影の中に引きこもりたいときに活用している。
クラウス先生も一目置いてる、良い意味でも悪い意味でも。




