第119話 眠れる獅子の捕獲
上空から見下ろす王都の北、未開の山岳地帯。
そこにあるはずの静かな山村は、今や地獄絵図と化していた。
ギャオオオオオオオンッ!!
「逃げろ! 魔獣が村の柵を破るぞ!」
眼下で響く、逃げ惑う人々の悲鳴と獣の咆哮。地面の裂け目から噴出したドス黒い瘴気が、野生の鎧猪や森狼を歪な変異魔獣へと姿を変え、無慈避に村へと襲いかかっている。
(……まだ、間に合うわね!)
鍬や松明を手に、死を覚悟したような顔で震える村人たち。そんな彼らを救うべく、私は光の翼を大きくはためかせ、戦場へと急降下した。
「――♪~」
深く息を吸い込み、凛とした声を解き放つ。夜の静寂を塗り替えるように、私の歌声が空から村へと舞い降りた。
「あ、あれは……!?」
「空を見ろ! 碧い翼……メロディア様だっ!」
下から見上げる驚きと歓喜の視線。それらを受け止めながら、私は碧いドレスの裾を翻した。
「……嘆きも、怒りも、今は忘れて。――『星屑のララバイ』」
私が指先を振ると、ポルカから供給される魔力が光の粉となって村全体に降り注ぐ。私の歌声は精霊たちの波長と重なり、ドス黒い瘴気をジュワッと音を立てて消滅させていく。
凶暴化していた魔獣たちの目から赤い光が消え、彼らは毒気が抜けたように安らかな寝息を立ててその場に転がった。
「メロディア様! 救国の歌姫、メロディア様だー!!」
地面にひれ伏して拝み始める村人たち。けれど、まだ「仕事」は終わっていないわ。
私は空中にとどまったまま、鋭い視線を村の奥へと向けた。
「ポルカ、瘴気の源流を『魔力探知』。噴出孔の座標を特定して」
『了解! 北北西300メートル、岩壁の亀裂に高濃度の反応を確認。このままだと数時間で再噴出するよ!』
やっぱりね。元栓を締めなきゃ。
私は村人たちに慈愛に満ちた微笑みを一度だけ向けると、そのまま矢のように森の奥へと飛んだ。そこには、どす黒い泥のような瘴気が噴き出す、亀裂があった。
「――最大出力。ポルカ、調律開始!」
『任せて! 地属性の精霊へ呼びかけ……今だよ、パスティ!』
私は噴出孔の真上に滞空し、両手を広げた。歌い上げるのは、鎮魂と封印の旋律。
「――『大地への鎮魂歌』」
激しいビブラートと共に、紺碧の魔力が物理的な圧力となって噴出孔を叩き潰す。
ドス黒い瘴気は魔力の渦に飲み込まれ、浄化され、結晶化していく。やがて崖の亀裂は、地属性の精霊が宿る美しい鉱石によって完璧に塞がれた。
(よし、これで元栓は閉まったわね)
最後に、村の入り口で折り重なって眠っている魔獣たちを見下ろす。
彼らはもともと、この山の住人だった魔獣たち。瘴気が抜けた今、彼らをむやみに殺す必要はないけれど、村の真ん中で目を覚まされても困るわよね。
「追加の『夢路の案内』……。深い森の奥まで、お帰りなさい」
指先をパチンと鳴らし、私は歌を重ねた。
すると、眠っていたはずの魔獣たちが、カチリと音を立てるように一斉に立ち上がった。
(……ふふ、いい子たちね)
彼らの目は閉じたまま。けれど、私の奏でる旋律に魂を引かれるように、夢遊病のような足取りで一歩、また一歩と歩き出す。
猪も、狼も、巨大な熊も。
種族を超えた奇妙な隊列が、私の歌声の残響を追いかけて、月明かりに照らされた森の奥へと消えていく。
「おぉ……魔獣たちが、自ら去っていく……」
「まるで、魂を導く聖母のようだ……」
背後で村人たちが感極まった声を上げている。
……あ、聖母とかはちょっとキャラじゃないけど、この「幻想的なラストシーン」としての演出は100点満点ね!
「――皆様に、星の加護があらんことを」
完璧な「英雄」の余韻を残し、私は夜空へと高く舞い上がった。
……ふぅ。
村が見えなくなる高度まで上昇してから、私は大きく溜息をついた。
『お疲れ様、パスティ! 今日もバッチリだったね!』
「ええ、ありがとうポルカ。……でも」
私は眼下の暗い森を見下ろした。
確かに、人助けは尊い仕事だ。感謝されるのも悪い気はしない。
でも……。
「最近、魔獣相手にしか歌ってない気がするのよね……」
私の歌は、いつから「兵器」や「浄化装置」になってしまったんだろう。
前世で私が憧れたのは、ライトを浴びて、観客と一体になって、笑顔や涙を共有する……そんな「ライブ」だったはずだ。
「ペトラが作ってくれた魔導ギター、寮のクローゼットで泣いてるわ」
私は空中でくるりと宙返りをした。
もっと、純粋に音楽を楽しみたい。
そして何より、さっき目を輝かせて「メロディアに憧れている」と語ってくれた、ルナリアさんに聴かせてあげたい。
「……そうだわ!」
名案が閃いた。
「魔導王陛下にお願いして、公式の『メロディア・コンサート』を開かせてもらおうかしら!」
災害派遣だけじゃなく、たまにはエンターテイメントとしての活動も許されるはずだ。
陛下も「国民の士気高揚」とか適当な理由をつければ許可してくれるだろう。
そうすれば、ルナリアさんや、音楽を愛する人たちに、本当の歌を届けられる!
「善は急げね。帰ったら企画書を書かなくちゃ!」
私は学園の中庭に着陸すると、こっそり寮の部屋までもどるのであった。
翌日。
時間は無慈悲に過ぎる、中間試験まで、あと二週間。
その朝のホームルームは、担任のヴィオラ先生が震える声で読み上げた一枚の通達によって、阿鼻叫喚の地獄と化していた。
「……みんな、本当にごめんなさい。今年度より『赤点救済措置』は廃止されました。一科目でも基準点を下回れば、即座に『一つ下のクラスへ編入』となります……ッ」
ヴィオラ先生は、悔しそうに唇を噛み締め、涙目でそう告げた。
「待ってください先生! それじゃあ、俺たちはどうなるんですか!? ここは最底辺のEクラスですよ! これより下のクラスなんて、どこにもねーじゃねーか!」
その言葉に、教室が水を打ったように静まり返る。
全員の視線が、教壇で震えるヴィオラ先生に集中した。
「……そうなの。AからDクラスまでは、失敗しても『降格』という猶予がある。けれど……」
ヴィオラ先生は耐えきれないように顔を覆い、絞り出すような声で続けた。
「……下のクラスが存在しないEクラスに限っては、降格はそのまま『学園からの追放』を意味します。つまり……私たちだけは、一発アウトの『即時退学』通告なのです……っ!」
「なっ……!!」
クラス全員が絶句した。
他のクラスにはある「セーフティネット」が、私たちにだけは存在しない。
これは「試験」なんて生易しいものじゃない。私たちEクラスに向けられた、組織的な「排除」だわ……!
「そ、そんな! 今までは追試があったはずだぞ!」
「降格なんて横暴だ!」
ガント君が机を蹴飛ばして叫ぶが、先生は「うぅ、ごめんねぇ……」とオロオロするばかりで、場を収める力がない。
さらに追い打ちをかけるように、黒板には無慈悲な試験範囲が書き出されていく。
【中間試験範囲】
座学:『二節詠唱の暗記』『古代魔法と現代魔術史』『魔導国史』『数学』
実技:『基礎魔術(身体強化・魔力付与・魔力障壁・魔力感知・魔力弾)』『初級精霊魔術』
ガント君は机に突っ伏し、モミジさんは遠い目をしている。
だが、私は一人、冷静に戦力を分析していた。
このままでは、クラスが「共倒れ」する。
私とルナリアさんは、毎日放課後の自主学習のおかげで「座学」は高得点を狙える。だが、魔力放出の問題で「実技」には不安が残る。
対して、ガント君たちは「実技」は得意だが、「座学」は絶望的だ。魔導国史など、彼らの脳みそが爆発してしまうだろう。
(お互いの得意分野を教え合う『相互扶助』が必要なんだけど……)
現状、放課後の教室に残って勉強しているのは、私とルナリアさんの二人だけだ。
ガント君たち平民の生徒は、私に反発し、放課後になるとすぐに教室から出て行ってしまう。
モミジさんに至っては、言葉すら交わしてくれない。
完全にバラバラだ。このままでは各個撃破されて終わりね。
まずは勉強会のメンバーを増やし、流れを作らなければ。
ふと、私の視線が斜め前の席に止まる。
この阿鼻叫喚の騒ぎの中、机に突っ伏して規則正しい寝息を立てている男――ランドルフ・ベレスフォード。
(……おかしい)
ただの無気力な落ちこぼれなら、退学の危機には多少なりとも動揺するはず。
だけど、彼には焦りが見えない。まるで「自分には関係ない」とでも言うように、あまりにも落ち着き払っている。
(この違和感……。一度、裏を取ってみる必要がありそうね)
彼なら、交渉次第では味方に引き込めるかもしれない。
私は確信に近い予感を抱き、放課後、すぐに行動を開始した。
その日の放課後。
私は王都の一角、大通りに面した煉瓦造りの瀟洒な建物――『パティスリー・リュンヌ』を訪れていた。
扉を開けた瞬間、カランコロンという軽やかなベルの音と共に、甘く芳醇なバニラと焦がしキャラメルの香りが全身を包み込む。
店内は、放課後の女子学生や、お茶会帰りの貴族令嬢たちで満席だった。
「おいしい! なにこれ、プルプル震えてる!」
「『プリン』っていうのよ。こっちのスポンジケーキも、雲みたいにふわふわ!」
ショーケースの中に宝石のように並ぶのは、前世の記憶を頼りに私が考案したスイーツたちだ。
冷蔵技術が未発達なこの世界で、生クリームやカスタードを安定供給するのは至難の業だった。ペトラとの魔導冷却庫の開発に始まり、卵の流通確保、砂糖の精製……。
幾度もの試行錯誤と失敗を繰り返し、厨房で小麦粉まみれになって戦った日々が懐かしい。
けれど、ただ美味しいだけでは店は出せない。
この王都の一等地に店を構えられたのは、他でもない魔導王陛下のお力添えがあったからだ。
私の作るお菓子を気に入った陛下が、王室御用達の商会を紹介してくださり、物流から店舗確保まで全面的にバックアップしてくれたのだ。
おかげで今や、『リュンヌ』のスイーツは王都のトレンドとなり、貴族・平民を問わず熱狂的な支持を得ている。
(ふふ。順調ですわね)
私はオーナーとしての満足感を隠し、従業員用通路を通って奥のVIPルームへと足を踏み入れた。
ふかふかのソファに深々と座り、自慢の紅茶を一口すする。対面には、私の専属メイドであり、裏の仕事もこなすセリナが立っていた。
「――ご命令通り、調査してまいりました。Eクラス所属、ランドルフ・ベレスフォード伯爵令息について」
セリナが差し出したのは、数枚の羊皮紙で束ねられた調査報告書だ。
そこには、情報屋のクロウさんがその翼で稼いだ「貴族社会の噂」と「学園の非公開データ」が記されていた。
「結論から申し上げますと、お嬢様の睨んだ通りです。彼はただの落ちこぼれではありません」
セリナが淡々と報告を読み上げる。
「彼は幼少期、ベレスフォード領内で『神童』と呼ばれていました。五歳で古典精霊語を解し、八歳で独自の魔術式を構築したという記録が残っています」
「神童……。それがなぜ、Eクラスに?」
「生存戦略、ですね」
セリナがページをめくる。
「現在、ベレスフォード伯爵家は深刻な後継者争いの最中にあります。後妻に入った夫人が、自身の子を跡継ぎにするため、前妻の子であるランドルフ様を疎ましく思っているとか」
「なるほど。優秀さを見せつければ、命を狙われる。だから『無能』な放蕩息子を演じて、実家から距離を置いたわけですか」
よくある貴族の泥沼劇だ。けれど、それだけならただの「可哀想な貴族」で終わる。
私が注目したのは、クロウさんが入手した『学園入学試験のスコアシート』だった。
「見てください、お嬢様。これ、笑ってしまいますよ」
指さされたスコアを見て、私は思わず噴き出した。
魔術理論:30点 魔術実技:30点 歴史学:30点 数学:30点
「……全科目、見事に赤点回避ギリギリの『30点』ジャストですわ」
偶然でこんな点が取れるはずがない。
彼は答えが分からないのではない。「どの問題を間違えれば30点になるか」を完璧に計算し、解答用紙をコントロールしたのだ。
私は報告書を閉じ、ニヤリと笑った。
裏付けは取れた。
「まずは一人目、彼を味方につけましょう」
あとは、彼をどうやって「やる気」にさせるかだ。
「ありがとうセリナ、クロウさん。……明日の昼休み、彼を『捕獲』しに行きますわ」
翌日、昼休み。
私は図書室の奥で寝ているランドルフ君を強襲した。
「ごきげんよう、ランドルフ様。……昨晩も、あまり眠れなかったようですわね?」
「……何の用だ、ゼノン令嬢。俺は昼寝に忙しいんだ」
「とぼけないで。実家の『お家騒動』のために『無能』を演じていることも、調査済みですわ。貴方がここにいるのは『隠れ蓑』が必要だから。ですが、Eクラスがなくなれば貴方の安息の地も消えますわよ?」
「……フン。別の掃き溜めに移るだけだ」
「いいえ。Eクラスという『混沌』こそが貴方には最適。他のクラスに移れば貴方の異質さはすぐに目立ち、継母に見つかるでしょうね」
舌打ちするランドルフ君。
私は畳み掛けた。
「取引です。私たちが貴方の『隠れ蓑』を守ります。その代わり、貴方のその『頭脳』を貸しなさい。……まずは今日の放課後、私たちの勉強会に参加すること」
ランドルフ君は信じられないものを見る目で私を見た。
「はあ? 勉強会? ガントたち脳筋に勉強を教えろってか? ……断る。面倒くさい」
彼の懸念はもっともだ。
今のEクラスは分断されている。貴族嫌いのガント君たちが、ランドルフ君の話を素直に聞くわけがない。
「安心なさい。教えろとは言っていませんわ。……そもそも、まだガント君たちは勉強会に参加すらしていませんから」
「は?」
「放課後、教室に残っているのは、今のところ私とルナリアさんだけですの。彼らは逃げ回っていますから」
私は肩をすくめてみせた。
「ですから、貴方にお願いしたいのは、まず『座席を埋めること』だけです。女二人だけでは寂しいでしょう? 貴方がいてくれれば、勉強会の体裁が整いますの」
「……ただ座ってるだけでいいのか? 俺は誰にも何も教えんぞ」
「ええ、構いませんわ。まずは『頭数』が揃えば十分です」
まだ「面倒くさい」が勝っている様子の彼に、ルナリアさんが一歩前に出た。
「あ、あの……っ! お願いします、ランドルフ君……! 私……みんなと一緒にいたいの。誰もいなくならないでほしいの……っ!」
純度100%の「上目遣い」。その直撃にランドルフ君がビクッと肩を震わせた。
「おい、やめろ。泣くな」
「お願いします……!」
「……あー、もう! 分かったよ、行けばいいんだろ!」
「交渉成立ですわね」
私は頷いた。まずは彼をテーブルに着かせるだけでいい。実際に仲間の絶望的な状況を目の当たりにすれば、効率主義の彼はイライラして動き出すはずだ。
まずは一人、確保。
さて、次はガント君たちを御するための、恐怖すら感じるほどの強力な「教官」の発掘ですわね――。
『王都中央新聞』第842号・ライフスタイル面 広告より抜粋
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(※現在、予約殺到につきお一人様三点までの個数制限を設けております)
パティスリー・リュンヌ。
――その一口が、あなたの「物語」になる。




