第118話 緊急出動命令
放課後のEクラス教室。
茜色の夕日が差し込む中で、私とルナリアさんは机に向かい合っていた。
「さあ、ルナリアさん。もう一度『水滴』の復習よ。イメージは出来ていて?」
「は、はい……。水の精霊よ……」
ルナリアさんが震える手で印を結び、小さな声で詠唱する。
ポシュッ。
指先から、またしても小さな水飛沫が出ただけだった。
「うぅ……やっぱり、ダメです……」
「大丈夫。さっきより形がまとまっていたわ。焦らずいきましょう」
私は彼女を励ましつつ、休憩のお茶を差し出した。一息ついたルナリアさんが、ぽつりと言葉を漏らす。
「……どうして、パスティエールさんは……私なんかに構うんですか?」
「え?」
「私は……フォーマルハウト家の『面汚し』ですから……」
彼女は寂しげに語り始めた。フォーマルハウト家は、「言霊魔術」の名門。
言葉に魔力を乗せて事象を操る、強力な魔術師の家系だ。けれど、極度のあがり症で人前で声が出せなかった彼女は、幼い頃から家族に疎まれてきたという。
「『言霊魔術どころか基礎魔術も碌につかえない出来損ない』、『お前の声は言霊を扱うのに相応しくない、美しくない』って、ずっと言われてきて……。だから私、声を出すのが怖いんです」
彼女の告白に、私は胸が痛んだ。
ルナリアさんの声が美しくない? 冗談じゃないわ。
彼女の声はこんなにも綺麗で可憐な声をしている。それを「美しなく」だなんて聞き捨てならないわ。
その時。 ガラッ、と教室の扉が無遠慮に開けられた。
「……まだ残っていたのか。無駄な努力ご苦労なことだ」
氷のような冷たい声。現れたのは、銀縁眼鏡をかけた神経質そうな男子生徒――生徒会副会長にして、ルナリアさんの実の兄、セドリック・フォーマルハウトだ。
「お、お兄様……!?」
ルナリアさんがビクリと肩を跳ねさせ、私の背後に隠れるように縮こまった。
「ルナリア。今日の実技、また失敗したそうだな。基礎魔術も精霊魔術も使えないクズが」
セドリックは、妹を見る目とは思えないほど冷酷な視線を投げかけた。
「貴様のような出来損ないが、我が家の名を名乗っているだけで不愉快だ。大人しく家に引き籠もっていればいいものを……。」
「…………っ」
ルナリアさんが青ざめ、涙目で俯く。
その言葉を聞いた瞬間、私の頭の中で何かが切れる音がした。
(――ムッカーーーッ!!)
私は椅子を蹴って立ち上がり、セドリックを正面から睨みつけた。
「失礼ですが、副会長。言葉が過ぎるのではなくて?」
「……なんだ、おまえは。落ちこぼれ同士、傷の舐め合いか?」
「舐め合いではありません! 彼女は懸命に努力しています! それを『無駄』と切り捨てるなんて、生徒の上に立つ生徒会役員として恥ずかしくありませんの!?」
「口の減らない女だ。……無能な者に努力など毒でしかない。早々に摘み取るのが慈悲というものだ」
「その選民思想こそが毒ですわ! 彼女の才能が開花した時、その眼鏡が割れるほど後悔させてさしあげます!」
バチバチと火花が散る。私がさらに言い返そうとした、その時だった。
「――おや。随分と熱心な議論をしているね」
穏やかな声と共に、もう一人の人物が教室に入ってきた。
黒髪に藍色の瞳。完璧な着こなしの制服。生徒会長、シリウス・アークライト様だ。
「か、会長……」
「セドリック。副会長たるもの、中等部の教室にまで視察に来るとは熱心だね。だが、あまり彼女たちを萎縮させてはいけないよ」
「……フン。時間の無駄でした。失礼する」
セドリックは私を一度だけ睨みつけると、足早に教室を出て行った。
嵐が去り、教室に静寂が戻る。シリウス様は震えているルナリアさんに優しく声をかけた後、私に向き直った。
「災難だったね。……でも、感心したよ。その向上心こそ、僕が求めている『輝き』だ」
彼は私の手を取り、王子様のような笑顔を向けた。
「パスティエール・ゼノンさん。改めてスカウトさせてくれないか? 君のような芯の強い女性にこそ、生徒会に入ってほしいんだ」
二度目の勧誘だ。けれど私には「特命歌劇長」としての裏の仕事がある。
これ以上、目立つ役職に就くわけにはいかない。
「……光栄なお話ですが、今は学業で手一杯ですので。考えさせてくださいませ」
「そうか。残念だ。……まあ、気が向いたらいつでも来てくれ」
シリウス様は爽やかに笑い、去っていった。……いい人なんだろうけど、どこか底が知れない人だわ。
復習を終え、私たちは寮への帰路についていた。
日はすっかり落ち、空には一番星が輝いている。
「……あの、パスティエールさん。ありがとうございました……」
「ふふ、ごめんなさいね。私、売られた喧嘩は買う主義なの」
少しだけ空気が和んだ。ルナリアさんは夜空を見上げ、ぽつりと呟いた。
「私……憧れている人がいるんです。四年前、この王都の空に現れた……幻の歌姫、『メロディア』様です」
ドキッ。
私は心臓が跳ね上がるのを必死に抑えた。まさか、こんな近くにファンがいたなんて。
「あの方の歌を聴いた時……私、初めて『歌』ってこんなに素敵なんだって思えたんです。いつか私も、あんな風に誰かを笑顔にできる歌が歌えたらって……」
彼女は頬を染め、夢見る少女の顔で語った。その瞳はキラキラと輝いている。
「だから私、いつか『蓄音機』とメロディア様の『レコード』が欲しいんです!いつか自分のお金で買うのが夢なんです!」
なんて……なんて健気で可愛いのかしら!
今すぐポケットから直筆サイン入りレコードを取り出してプレゼントしたい!でも、それは出来ない。私はあくまで「パスティエール」なのだから。
「す、素敵ね! きっと買えますわ! 全力で応援します!」
その時――。 頭の中に、ポルカの念話が響いた。
『――緊急! 緊急だよパスティ!』
(ポルカ!? どうしたの?)
『魔導王陛下からのホットライン! 王都の北、未開の山岳地帯で大規模な瘴気噴出を確認! 魔獣が麓の村に向かってる! 至急、特命歌劇長の出動要請だって!』
……嘘でしょ。入学してまだ四日目よ?
ブラック企業にも程があるわよ陛下! でも、魔獣が迫っているなら放ってはおけない。
「あっ……!」
「どうしました、パスティエールさん?」
「ごめんなさいルナリアさん! 私、大事な忘れ物をしちゃったわ! 先に部屋に戻ってて!」
有無を言わさずルナリアさんに手を振り、来た道を猛ダッシュで逆走する。校舎の影、人目につかない中庭の茂みに滑り込んだ。
「ポルカ!!」
『了解! 準備はいい?』
上空から、碧い光の筋が流星のように降ってくる。私は制服のリボンを思い切り引き抜き、ポルカをその身に受け止めた。
「精霊降、同調!!」
その瞬間、世界が歌い始めた。
私の身体を黄金の五線譜が駆け巡り、学園の制服をまばゆい粒子が包んでゆく。
夜の闇を塗り替えるような鮮やかな碧い魔力が、幾重ものフリルとなって私の肢体を包み込み、背中には透明な光り輝く五線譜の翼が織り上げられていく。
パステルピンクの髪がふわりと舞い上がり、毛先から夜空のような碧色のグラデーションが浸透し、ロングツインテールに編み込まれていく。
瞳に精霊の祝福が宿り、身体中に魔力が満ち溢れるこの感覚。
一人の令嬢から、世界の調律者――『メロディア』へ。
「行くわよッ!」
ドンッ! 私は地面を蹴り、夜の闇を切り裂いて王都の空へと飛び立った。 目指すは北の山岳地帯。学園生活の安寧は、まだまだ遠そうだ。
■Tips
変身台詞について
「精霊降、同調!!」
という叫びは、厳密にはポルカとの同調に必須ではない。
しかし、パスティエールいわく「気分が乗らないと魔力出力が3割落ちる(気がする)」とのことで、様式美として定着した。
実は、決め台詞のタイミングに合わせて光を増幅させたり、風を吹かせたりしているのはポルカの「演出」である。
ポルカ自身も最近はこの「特撮ノリ」を楽しみ始めており、いつか爆発のエフェクトを背負わせたいと野望を抱いているらしい。




