第117話 恋する担任
どんよりとした曇り空の下。
Eクラスの教室には、ヴィオラ先生のやる気のない、しかし内容は必死な講義の声だけが響いていた。
「えっと……今日は『精霊魔術』の歴史と構造について、お話しします……」
黒板には、震える文字で年表が書かれている。
「かつて『大厄災』以前の世界では、魔法は選ばれた者だけが精霊と対話し、その力を借りる『奇跡』でした。しかし、それは個人の資質や精霊の機嫌に左右される、極めて不安定なものでした……」
「ふぁ~あ……」
後方の席で、ガント君が大あくびをする。
ヴィオラ先生はビクッと肩を震わせたが、なんとか説明を続けた。
「そこで! 魔導院の賢者たちは、精霊への命令を体系化しました。特定の『詠唱』と、魔力の流れを指定する『印』を組み合わせることで、誰でも同じ結果を出せるようにしたのです。それが現代の『精霊魔術』という技術なのです!」
ヴィオラ先生が熱弁するが、クラスの反応は薄い。
モミジさんは額に皺を寄せ腕組みをしている。
私は頬杖をつきながら、かつてクラウス先生に言われた言葉を思い出していた。
『貴女の力は、現代の魔術体系とは根本的に異なるものです。歌、踊り、対話を用いて精霊の力を借りる……それは、失われた『古代精霊魔法』そのものなのかもしれません』
つまり、みんなが「コマンド入力」で機械的に精霊の力を引き出している横で、私だけ毎回精霊にお願いしながらしかも歌って精霊の力を借りているのだ。実際発動するまでに時間かかるもの。
そりゃあ、互換性がないわけである。
「では、実際にやってみましょう。中庭へ移動してください」
私たちは演習場へと移動した。
ここからは実技の時間だ。
「今日は、今年から新たに赴任された特別講師の先生をお招きしています……。どうぞ」
ヴィオラ先生の紹介と共に、その人物は現れた。
完璧にプレスされた魔導院のローブ。冷徹な光を宿す眼鏡。
その歩き方ひとつとっても、一切の無駄がない。
「特別講師のクラウス・フォン・ベルンシュタインです。……以後、私の指示には即座に従うように」
クラウス先生だ。
その圧倒的な「出来る男」オーラに、騒がしかったEクラスの連中も思わず背筋を伸ばす。
彼はヴィオラ先生に向き直ると、静かに頭を下げた。
「ヴィオラ先生。個性的な生徒たちの統率、ご苦労さまです。大変な激務とお察しします」
「は、はいぃっ……!?」
「ですが、ご安心を。この時間は私が責任を持ってお預かりします。貴女はすこし休んでいてください」
そう言って、クラウス先生がベンチを手で指し示した。
その瞬間。
ヴィオラ先生の顔が、湯沸かし器のように真っ赤になった。
ボンッ! と音が聞こえそうなほどの赤面ぶりだ。
「す、素敵……冷たいようでいて、なんてお優しい……トゥンク……」
あ、落ちた。
背景に花が咲く幻覚が見えた。
チョロい。チョロすぎるわ、ヴィオラ先生。
私は遠い目をした。
「では、始めます」
クラウス先生は生徒たちの前に立ち、片手を上げた。
「初等部から内部進学された皆さんは、すでに『基礎魔術』を習得していると聞いております。中等部からは実際に『精霊魔術』の習得を進めてまいります。」
先生は、私たち全員を見渡す。
「今回挑戦するのは、最も初歩的な二節詠唱魔術、『水滴』です」
「まずは見本を見せますが、魔力を放出するだけの基礎魔術とは異なり、『詠唱』で体外に放出した魔力を、『印』で再度自分の中に戻すイメージです。……いきます」
空気が張り詰める。
そして、流れるようなバリトンの声で、呪文が紡がれた。
『――水の精霊よ、応えよ!我が掌中に、恵みの雫を与えよ!――』
先生が両手を前に差し出す。
『水滴!』
その瞬間。
先生の掌の上に、キラキラと輝く、水晶玉ほどの美しい水球が生成された。
それは完全な球体を保ち、ポチャン、と地面に落ちて弾けた。
「おおぉ……」
「すげぇ、一瞬で……」
不良たちからも感嘆の声が漏れる。
さすがクラウス先生。初級の精霊魔術一つとっても洗練されている。
「さあ、次は君たちの番です。詠唱は黒板に書いておりますので、まずは実際にやってみましょう」
生徒たちが次々と挑戦していく。
まずはガント君たちだ。
「……水よ出ろ! オラァ!」
ブシュッ。
掌が少し湿っただけで終わった。
「詠唱不備。印も雑です。やり直し」
クラウス先生の冷たい宣告。
次はモミジさんだ。
彼女は懐から紙人形を取り出そうとして、先生に止められた。
「精霊魔術に道具は不要です、まずは自身の魔力のみで試しましょう」
「むぅ……ならば!」
彼女は独特な構えで印を結び、気合を入れた。
「ぬんッ!!」
が、魔力が霧散してしまい魔術は発動しない。
「……魔力制御が雑すぎます。放出した魔力を再度呼び戻すのです」
「ぬぐぅ……大陸の魔術は難しいのぅ……」
そして、私の番が回ってきた。
隣には、ガタガタ震えているルナリアさんもいる。
(……まぁ、結果はわかっているのだけれど)
私は前に進み出た。
そして、精霊言語を詠唱する。
……しかし。
いくら言葉を重ねても、魔力は私の体からは微々たる量しか放出されない。
(……ですよねー)
私はとりあえず必死に魔力を押し出した。
ポチョン。
私の掌に生まれたのは――小指の爪ほどの、情けないくらい小さな水滴が一粒だけ。
「…………」
静寂。
隣を見ると、ルナリアさんも同じように顔を真っ赤にして、米粒のような水滴を一個だけ出していた。
「プッ……ギャハハハハ!」
「見ろよアレ!!」
「貴族って家庭教師つけてんじゃねーのかよ、中途入学してきたくせにだせぇ~!」
ガント君たちの爆笑が轟いた。
クラウス先生は無表情のまま、手元のバインダーに何かを書き込んだ。
「……形は綺麗ですね」
(ぐぬぬ……)
私は心の中で絶叫した。
歌いたい! こんな堅苦しい呪文じゃなくて、私のメロディで、私の言葉で歌えば、こんな学校ごと水没させるくらいの激流だって呼べるのに!
(歌えば……歌えさえすれば……!!)
私はプルプルと震える小さな水滴を見つめ、唇を噛み締めた。
「……どんまいです、ゼノンさん」
横から、ヴィオラ先生が慰めてくれた。
しかしその目は、クラウス先生を追尾している。
「クラウス先生の指導、厳しくて素敵でしたねぇ……」
……ダメだこの人。完全に恋の病だ。
担任は恋に浮かれ、クラスメイトには馬鹿にされ、自分は実力が出せない。
やばい!平穏な学園生活を夢見ていたのに、これじゃ毎日ストレスフルだわ!
■Tips
クラウス先生について
8歳のころより家庭教師としてその異才を見守ってきた「親心」と、一人の生徒として懸命に勉学に向かう姿への「教育者としての感動」、そして自身の今があることへの「感謝と崇拝」。
それら複雑に絡み合う感情を内側に抱えながらも、彼は自らを厳しく律している。
学園という公の場においては、師弟としての境界線を踏み越えぬよう、あえて冷徹なまでの「一定の距離」を保ち続けています。




