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第114話 星を継ぐ兄弟

 挨拶と共に踏み入れたその空間は――教室というよりは、動物園、あるいは戦場に近かった。


 Eクラス。通称「どべ組」。


 そこは、実技試験で失敗した者だけでなく、素行不良、協調性皆無、あるいは能力が偏りすぎて測定不能だった「はぐれ者」たちの吹き溜まりだった。


(……想像以上ね。でも、これくらいなら想定内!)


 私は努めて優雅に、空いている窓際の席へと向かう。


 その時だった。


「……おい」


 ドスの効いた低い声が、私の足を止めた。


 教室の最奥。一番後ろの席に、その人物はいた。


 濡羽色(ぬればいろ)の黒髪を高い位置で結い上げ、制服の上からなぜか紅葉色(もみじいろ)の羽織を着用している。


 そして何より目を引くのは――その額から伸びる、艶やかな一本の角だ。


(あれは……角? 亜人の方かしら? それにあの独特な服装……東方の国の……)


 彼女は、鋭い三白眼で私を睨め付けていた。


「……お主、強そうじゃの」


「……」


 彼女の全身から放たれるのは、鋭利な刃物のようなプレッシャー。


 普通の令嬢なら悲鳴を上げて逃げ出すところだろう。


 けれど、私は『瞳』で見てしまった。


 それは「威嚇」ではなく、「未知の強者への警戒」と「異文化への戸惑い」であることを。


(……あ、この子、無理して突っ張ってるだけだ)


 私はニッコリと微笑み、カーテシーをした。


「ごきげんよう。わたくし、パスティエール・ゼノンと申します。……素敵な角ですわね」


「なっ……!?」


 角の生えた少女は、予想外の褒め言葉に虚を突かれたように目を丸くした。


「貴様……拙者の角を……? 怖くないのか?」


「ええ。とても立派で、可愛いと思いますわ」


「か、かわ……っ!?」


 彼女は顔を真っ赤にして、「ふんっ!」と顔を背けた。


「……モミジだ。……覚えておけ」


 どうやら、最初の洗礼はクリアしたらしい。可愛い鬼さんだこと。


 席に着こうとすると、今度は隣の席から、ガタガタという小刻みな振動音が聞こえてきた。


「ひぃッ……ご、ごめんなさい……場所取ってごめんなさい……空気吸ってごめんなさい……」


 机の下に潜り込むようにして震えているのは、金髪ツインテールの小柄な少女だ。


「あの、大丈夫ですの? 気分が悪くて?」


「ひゃいっ!? あ、あわわ……わ、私なんかに話しかけないでくださいぃぃ……菌が移りますぅ……落ちこぼれ菌がぁ……」


「菌なんてありませんわよ。わたくし、パスティエールと申します。貴女は?」


 私が尋ねると、彼女は涙目でブンブンと首を振った後、消え入りそうな声で答えた。


「……ル、ルナリア……ですぅ……ルナリア・フォーマルハウトです」


 ルナリアさん。


 まずは挨拶が出来たのは、「強がりな鬼の少女」と「自己肯定感が低い少女」という個性的な二人だった。


 そこへ、チャイムと共に教室の扉が開いた。


「は、はーい……席についてくださーい……」


 入ってきたのは、今にも消えそうな幸薄いオーラを纏った、若い女性教師だった。


 サイズが合っていないのか、少しぶかぶかのスーツ姿。その顔色は青白く、片手にはすでに胃薬の瓶が握りしめられている。


「えっと、担任のヴィオラです……。みんな、仲良く……」


 しかし、彼女のひ弱な声は、教室の喧騒にかき消された。


「賭けは俺の勝ちだな。ほら、今日のランチ代払えよ」


「あー、先生ー。声ちっさくて聞こえませーん」


 誰もヴィオラ先生の方を見ようともしない。


 カードで賭け事をしている者、あるいは机に足を上げて爆睡している者。


 『瞳』に映る彼らからは、ヴィオラ先生を侮っているであろう不真面目な想いが透けて見える。ある意味、暴言よりもタチが悪い。


「うぅ……み、皆さん……静かにしてくださぁい……」


 ヴィオラ先生が涙目で訴えるが、彼らの耳には届かない。


 あまりに不憫だ。


 私は、クラウス先生やヘクターさんから叩き込まれた「規律」がうずくのを感じた。目上の人が話しているのに、この態度はあんまりだ。


 私は思わず、背筋をピンと伸ばして立ち上がり、よく通る声で返事をした。


「はい、先生! 宜しくお願いいたしますわ!」


 私の声が、教室の喧騒を一瞬だけ切り裂いた。


 ヴィオラ先生が、パァッと顔を輝かせて私を見る。


「あ、ありがとう……! えーと、ゼノンさん……であってるかしら!」


 先生は救世主を見るような目で私に感謝し、なんとかホームルームを進め始めた。


 ……しかし。


 ふと気配を感じて横を見ると、教室中の空気が変わっていた。


「……チッ。なんだありゃ」


 声の主は、先ほどからわめき散らしている悪ガキの男子生徒だ。


 彼は私の完璧すぎる姿勢と、教師への従順な返事を見て、不快そうに顔を歪めていた。


「おい見ろよ。あの貴族っぽい女、教師に媚び売ってやがる」


「うわぁ……やっぱり貴族サマは体制側ってわけか」


「『私は良い子ちゃんです』ってか? Eクラスのくせに気取ってんじゃねぇよ」


 ひそひそと聞こえる陰口。


 どうやら、教師に反抗的な彼らにとって、私の態度は「体制に尻尾を振る、いけ好かない貴族」に映ってしまったらしい。


(し、しまった……! これじゃあ『目立たない』どころか、私が彼らのターゲットになっちゃうじゃない!)


 隣のルナリアさんは恐怖でさらに縮こまり、後ろのモミジさんは感心したようにこちらを見つめている。


 ……前途多難だ。



 その後、全校生徒が集まる講堂で入学式が行われた。


 私たちEクラスの席は、もちろん一番後ろの端っこだ。


 道中、背中に突き刺さるクラスメイトたち、特にさっきの男子グループからの視線が痛い。


 遥か前方、騎士科のAクラスの列には、退屈そうにあくびをするカイルと、魔導工学科には何やら工具をいじっているペトラの背中が見える。ああ、あの平和な空間が恋しい。


「これより、生徒会役員からの挨拶があります」


 司会の声と共に、壇上に二人の男子生徒が上がった。


 一人は、神経質そうな銀縁眼鏡をかけた、いかにも「エリート」といった風貌の三年生だ。


「生徒会副会長、セドリック・フォーマルハウト」


 名前が呼ばれると、彼はEクラスの方を一瞥し、鼻で笑うような冷ややかな視線を送ってきた。


 フォーマルハウト……? 確か、『言霊魔術』の名門貴族だわ。


 さっき隣の席で聞いたルナリアさんと同じ姓……もしかして、ルナリアさんのお兄様?


「諸君。魔術学園は実力主義の庭である。無能な雑草は早々に摘み取られる運命にあることを、ゆめゆめ忘れぬように」


 嫌味な挨拶に、Eクラスの空気がさらに殺伐とする。


 うう、胃が痛い。


 しかし、次にマイクの前に立った人物が、その空気を一変させた。


「続いて、生徒会長――シリウス・アークライト」


 その名が呼ばれた瞬間、会場がどよめいた。


 アークライト。それは、この国の王家、魔導王陛下の家名だ。


 ということは、この方が……陛下の息子さん!?


「やあ、新入生のみんな。入学おめでとう」


 柔らかく、けれど会場の隅々まで届くバリトンの声。


 黒髪に、夜空のような深い藍色の瞳。


 彼は、父であるボサボサ頭の変なおじ様とは似ても似つかない、整った身なりと穏やかな微笑みを湛えた「理想の王子様」そのものだった。


「この学園に、身分の貴賤も、出身の壁もない。あるのは『魔術への探究心』だけだ。どんな場所にいても、星は輝ける。君たちの煌めきを、僕は楽しみにしているよ」


 ウインク混じりのスピーチに、女子生徒たちから黄色い歓声が上がる。


 ……すごい。あのお父様から、どうしてこんな正統派な王子様が生まれるの?


 私は遺伝子の神秘に感動すら覚えた。



 式の終了後。


 人混みを避けて中庭を歩いていると、突然、頭上から声が降ってきた。


「へえ。お前が『実技0点』のゼノン辺境伯の娘か」


 見上げると、木の枝の上に一人の少年が座っていた。


 黒髪に、前髪だけ銀色のメッシュが入っている。


 整った顔立ちだが、その瞳の色を見て、私はドキリとした。


 黄金色。


 あの魔導王陛下と、同じ色だ。


 彼は軽やかに飛び降りると、私の目の前に着地し、値踏みするように顔を近づけてきた。


「面白い魔力をしてるな。……0点なんて、わざとだろ?」


(いや、ガチのマジで実技0点だったんですけど!?)


 買いかぶらないでほしい。あれは演技でも手加減でもなく、純粋なる射程距離不足による敗北だ。


 けれど、ここで「実は近距離での蹴る殴るしか出来ません」なんて言うのも恥ずかしい。


「……何のことかわかりませんわ。わたくしはしがない落ちこぼれですもの」


「ははっ、しらばっくれるなよ。俺にはわかるぜ」


 少年は、私の否定を聞き流し、獲物を見つけた肉食獣のような笑みを浮かべた。


 彼は私の顎をくいっと持ち上げ、強引に視線を合わせる。


「ここの連中は退屈な優等生ばかりだ。教科書通りの魔法、家柄自慢……欠伸が出る」


 彼は黄金の瞳を細め、楽しげに囁いた。


「だが、お前は違う。魔力が澄んでいる。……なぁ、お前」


「……はい?」


「俺の『おもちゃ』になれよ。退屈しのぎにはなりそうだ」


 ……は? おもちゃ?


 初対面のレディに向かって?


「――お断りします。わたくしは忙しいのです」


 私は即答して彼の手を払いのけた。


 なんだこいつ。顔はいいけど性格が残念すぎる。


 私がスタスタと歩き出そうとすると、背後から「くくっ、あっはは!」という愉快そうな笑い声が聞こえた。


「拒絶かよ。すげぇな、俺に『NO』って言った女、初めて見たぜ」


 ……うわぁ。出たわね、テンプレ台詞。


 関わっちゃいけないタイプだ。逃げよう。


 そう思った私の前に、今度は別の影が現れた。


「こらこら、リゲル。レディになんて失礼な口の利き方だ」


 現れたのは、先ほど壇上にいた生徒会長――シリウス様だった。


「ちっ、兄貴かよ。邪魔すんなって」


「兄貴……?」


 私が目を丸くしていると、シリウス様は困ったように微笑み、私に向き直った。


「驚かせてすまないね。彼は僕の弟で、リゲルだ。今年から中等部に入る」


「……弟君、でしたのね」


(言われてみれば、陛下譲りの金色の瞳……!)


 シリウス様は弟をたしなめると、優雅に手を差し出した。


「改めて自己紹介を。僕はシリウス・アークライト。……パスティエール・ゼノンさん。父上から君の話は聞いているよ」


「……陛下から?」


「ああ。『形式にとらわれない面白い子がいる』とね。確かに君はEクラスだが、なにか光るものを感じる……どうだい? 良ければ、僕たち生徒会に力を貸してくれないかな?」


「げっ。兄貴、そいつ勧誘すんのかよ。俺が先に狙ってたのに」


「人聞きの悪いことを言うな。能力のあるものは生徒会で活かすべきだ」


 穏やかな笑顔で勧誘してくる、生徒会長の兄。


 「俺の獲物だ」と獰猛に笑う、天才肌の弟。


 教室ではクラスメイトに目をつけられ、外に出れば学園最強の兄弟にロックオンされ。


 ……目指せ、地味で平穏な学園生活。


 入学初日にして、その目標は完全に詰んでいた。

■Tips


リゲルの『魔力感知』


 魔導王の血を引くリゲルは、対象の魔力の流れを捉える『魔力感知』に長けている。


 彼は、パスティエールが常時『身体強化』を行っているという、現役の騎士でも難しい高負荷な状態を維持していることに気がついた。


 貴族の令嬢が普通はやらない常時身体強化を、呼吸をするように自然に行っている彼女を見て、リゲルは面白いと確信した。


 この世界において、貴族が使う魔術は「精霊魔術」が主流です。自分自身の肉体を直接強化する『身体強化』は、主に騎士や兵士が使うものとされており、魔術師、とくに高貴な貴族令嬢が常用することはない。


 パスティエールがこれを使っているのは、常に未開の森と隣り合わせである辺境の「強くあれ」という方針と、お爺さまによる地獄の特訓の賜物です。

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