第112話 【幕間】そして続く日々
ゼノン領主城、大会議室。
重厚な円卓を囲む空気は、氷のように冷たく張り詰めていた。
「……報告は以上です。リザードマンの集落で見られた『侵蝕』は、水棲種族だけにとどまらない可能性があります」
私、クラウスの声が、静寂に落ちる。
かつてカエルス公爵の手駒であった私の言葉を、領主ライナス様、エリアーナ様、そして獣人のクロウ殿が、真剣な眼差しで受け止めている。
そして、その中心には――私の生徒、パスティエール様がいる。
まだ幼い肩に、「特命歌劇長」という国の運命を背負った少女。
彼女が頷くたびに、揺れるパステルピンクの髪。その瞳に宿る決意の光を見るたび、私の胸は締め付けられるような、誇らしいような、不思議な痛みを覚える。
「クラウス。相談がある」
会議の終盤、ライナス様が私を見据えた。
「パスティはあと数年で魔導学園に入学する。だが、王都にはまだ貴族派閥の残党もいれば、正体を探ろうとする輩も多い」
「ええ、その通りです」
「お前も、学園へ行ってくれないか」
「……私が、ですか?」
「ああ。正規の講師として学園に入り、一番近くで娘を守ってやってくれ」
講師。人を導く者。
かつて知識を人を傷つけるために使おうとしたこの私が?
ふと、パスティエール様と目が合った。
彼女は驚いた顔をした後、すぐにパァッと花が咲くような笑顔を見せた。
その笑顔を見た瞬間、私の中で迷いは氷解した。
(……ああ。私は、どこへだって行こう)
地獄の底から私を救い出してくれた、この小さな光の傍にいられるのなら。
私は静かに頭を下げた。
「承知いたしました。彼女の未来、この命に代えても学園の中からお守りしましょう」
会議の後、場所はパスティエール様の私室へと移った。
昼下がりの柔らかな日差しが差し込む部屋で、私は教師としてあるまじき失態を晒していた。
「……んんっ……」
口の中に広がる、芳醇な甘みとほろ苦さ。
舌の上で滑らかに溶ける卵とミルクのハーモニー。
「……先生? お味はどうですか?」
「……素晴らしい。これは、革命です」
私は震える手でスプーンを握りしめていた。
皿の上にあるのは、黄金色に輝くプルプルの物体――『プリン』だ。
先日、パスティエール様が「勉強の糖分補給に!」と開発し、料理長に作らせた新作菓子である。
「このソースの焦がし具合……絶妙です。甘すぎず、大人の嗜みとしても通用する……」
「えへへ、でしょ?あと、こっちの『生キャラメル』も食べてみてください!」
差し出された琥珀色の粒を口に放り込むと、噛むまでもなく体温で溶け出し、濃厚なバターの香りが鼻腔をくすぐった。
……至福だ。
私は知的な賢者の仮面をかなぐり捨て、ただの甘党になり果てていた。
「これ、王都で専門店を出したら絶対売れると思うのですよね……」
恍惚とする私の横で、彼女は羊皮紙に猛スピードで数字を書き殴っていた。
「原価率ヨシ、貴族向けプレミア価格ヨシ……ふふふ、レコードの印税と合わせれば、卒業する頃にはお城が建っちゃうかもです!」
「……ふふ」
その瞳には金貨のマークが浮かんでいるようだが、不思議と嫌味がない。
世界を救う力を持ちながら、中身はこんなにも等身大で、たくましくて、愛らしい。
皮算用をする彼女の横顔を眺めているだけで、冷え切っていた私の心が、じんわりと温かいもので満たされていく。
「コホン。……さて。お城を建てるのも結構ですが、まずは目の前の『城壁』を越えなくてはなりませんよ」
私は名残惜しそうに空の皿を置き、分厚い教科書を開いた。
「学園入学まで、あと三年半。貴女の実技は申し分ありませんが……座学がおろそかでは、私の教え子として恥をかきます」
「うぇぇ……座学ぅ……」
パスティエール様がテーブルに突っ伏した。子犬のようなその仕草に、口元が緩むのを必死に堪える。
「まずは『精霊言語学・上級』。続いて『六大古代魔法』の基礎理論と、それに連なる現代六魔術の相関図。……最後に『アルカディア建国史』の年号暗記です」
「お、多いよ先生~!頭がパンクしちゃう!」
「甘いお菓子を食べたのですから、その分、脳を働かせなさい」
私はピシャリと言って、黒板に美しい古代文字を綴り始めた。
背後からは「うー、うー」と可愛い唸り声と、ペンが走る音が聞こえてくる。
窓から、初秋の爽やかな風が吹き込んできた。
白いカーテンがふわりと揺れ、光の粒が部屋に踊る。
すると、ふとパスティエール様が顔を上げ、風に合わせるように、小さな鼻歌を口ずさんだ。
「ふふーん……♪」
その瞬間、部屋の空気が変わった。
ただの鼻歌なのに、まるで風の精霊たちが嬉しそうに彼女の頬を撫で、光の精霊が彼女を祝福しているようだ。
難解な理論など知らなくとも、彼女は息をするように、歌うように、この世界と愛し合っている。
(……ああ)
私はチョークを止め、その光景に見入ってしまった。
眩しい。
かつて私が、興味も無く見て見ぬ振りをしていた世界は、こんなにも美しかったのか。
それを教えてくれたのは、他ならぬ彼女だ。
甘いお菓子の香り。穏やかな風。愛しい教え子の鼻歌。
孤独な夜には、想像もできなかった平穏。
(……私は、幸せだ)
胸の奥に灯った温かな光を噛み締めながら、私は再び黒板に向かった。
背中越しに感じる彼女の鼻歌と、未来への希望。
この幸福な時間を守るためなら、私は何度だって戦える。たとえ相手が『侵蝕者』であろうとも、学園の古臭い教授連中であろうとも。
「……先生? 手が止まってますよ?」
「……いえ。少し、夢を見ていただけです」
私は振り返り、彼女に向けて、とびきり優しい微笑みを向けた。
「さあ、続けましょうか。」
先生と教え子の穏やかな午後は、甘い余韻と共に過ぎていく。
パスティエール・ゼノン
ステータスシート(ニ章終了時点)
■基本情報
名前:パスティエール・ゼノン
性別:女
年齢:8歳
誕生日:大陸暦678年、花咲の月
種族:人間(ゼノン辺境伯家・長女)
髪型:ボブ
髪色:パステルピンク
肌色:健康的
称号:
『歌姫メロディア』:王都の民衆から奇跡の体現者として話題になっており、その歌声はレコードの普及と共に人気を博している。
『歌の御使い』:聖都サンクトゥムの民衆から本人の預かり知らぬところで、密かに崇められている。
性格:
天真爛漫さはそのままに、数々の修羅場(サザン、ケルド、聖教国潜入、グラント山の決戦)をくぐり抜けたことで、肝の据わり方は歴戦の魔術師になっている。
「歌で世界を救う」という信念がより強固になった。
前世知識による内政無双は「自分には無理!」と半ば諦め、「音楽や料理などの文化面」での革命に舵を切った。
自身が開発に関わった『プリン』『生キャラメル』や『レコード』の印税で、将来は左団扇の生活を夢見るちゃっかりした一面も。
人となり:
「特命歌劇長」として、魔導王オリオンから国難に対処する権限を与えられている。
家族やセリナからの溺愛に加え、魔導王、獣王といった各国のトップ層からも「一目置かれる(あるいは孫のように可愛がられる)」存在となった。
■基礎魔術の熟練度
通常の魔術師とは異なり、極端な才能の偏りがある。
・身体強化:【極めて高い(常時発動)】
無意識の魔力循環に加え、旅の経験を経て基礎体力が大幅に向上。物理強度であれば祖父ガレオスに匹敵するほど。
・魔力付与:【苦手】
相変わらず自身での付与は苦手だが、ポルカの補助により自身の魔力を効率よく「音」に乗せて増幅・付与できるようになった。
・魔力障壁:【苦手】
通常の障壁は相変わらずシャボン玉レベル。
ただし、「歌」による『音圧』や『水のカーテン』は、鉄壁の防御力を発揮する。
・魔力関知:【不可(代替能力あり)】
魔力を体外に薄く広げることができないため、通常の感知魔術は使えない。
固有能力『瞳』の精度が向上し、魔力の流れだけでなく、「古代の術式構造」や「精霊の声」、「世界の理」の片鱗すら視覚的に捉え、解析できるレベルに達している。
・魔力弾:【不可(通常時)】
手から魔力弾を放とうとしても霧散してしまう。
※例外:「歌」に乗せることで、桁外れの魔力を広範囲に放出・干渉させることが可能(攻撃的な放出ではなく、調律や浄化の性質が強い)。
■習得魔術
水の精霊魔術:『水滴』
通常の精霊言語による詠唱では発動しない。
歌詞の意味を理解し、感情を込めて「歌う」ことで発動可能。大量の水流を生み出したり、王都の空に虹をかける等の大規模展開が可能。
星の精霊魔術:『超・身体強化』『超・回復』
聖教国が崇める唯一神アステリアの力を借りる祈祷術を歌の力で発動させる。唯一神アステリアは星の精霊と同義であり、パスティエールをこの世界に転生させた存在。
祈祷術でのみ可能とされていた、『回復』や『他者への身体強化』を広範囲で発動可能。
■ポルカとの共鳴による魔術
『爆音波』
パスティエールの大声をポルカが増幅して放つだけの技、しかしその音圧は獣王を怯ませる程。
『精霊卸』
ポルカと共鳴し、自身の魔力の質を変化させ、精霊の力と同化する。それは失われた古代精霊魔法なのだろうか?
『蒼き歌姫』
泉の精霊の加護とポルカとの共鳴により、パスティエール本人の魔力を全て『水属性』に変化させた姿。
外見:髪がアクアブルーの長髪に変化し、水流で織り上げられたフリルとリボンのバトルドレス、背中に水の翼を纏う。
能力:
絶対防御:数百の火球を蒸発させる「水のカーテン」。
機動力:水翼のスラスター噴射による、音速に近い三次元機動。
攻撃:超高圧水流レーザーや、巨大な水の拳による物理打撃。
『歌姫』
パスティエール本人の魔力を全て、ポルカとの共鳴により『音属性』に変化させた姿。
他の精霊の加護を使わないという点では、これがメロディアの基本スタイルと思われる。
外見:碧色と桃色のグラデーションが鮮やかに交差するロングツインテール。ポルカと同じ碧色で構成された鳥の羽を模したドレス、背中には五線譜の翼。
能力:
機動力:翼による浮遊。
攻撃:音圧、音波による広範囲攻撃。
■血統魔法
『星の調律』
母方のカエルス公爵家が保有している血統魔法。元の能力は「魔力の流れに干渉し、複数の魔術の威力や効果を増幅・調律する指揮者のような能力。」であったが、『星の精霊の加護』の影響により「世界の不協和音」を「正しい旋律」へと書き換える能力へと変化している。
■加護
『星の精霊の加護』:『瞳』
転生時に謎の声から授かった力。世界の「音」と「魔力」を光や旋律として視覚的に捉えることができる。嘘や感情の機微、瘴気の発生源、精霊の姿などを視る心眼。
『泉の精霊の加護』
深淵の森で瘴気を浄化し、泉の精霊から授かった。
水の精霊が常に側に寄り添い、歌による魔術行使を補助してくれる。
水属性の親和性が極大化。水流操作、浄化、防御など多岐にわたる恩恵。
『豊漁の加護』
港町サザンで海の魔獣を退け、豊漁と凪の精霊から授かった。
パスティエールは言葉通り魚が大漁に捕れる加護と勘違いしているが、実際は人との出会いや精霊との出会いなど、自身が成長できる機会が訪れることが増える加護。
『七転八起の加護』
グラント山の秘湯にて、伝説の「温泉五大精霊」とのリサイタルを経て獲得。
驚異的なリカバリー能力。肉体的・精神的なダメージを受けても、一晩休む(特にお風呂に入る)ことで「体力・魔力が120%回復」し、肌ツヤも完璧になる。どんな逆境でも挫けず立ち上がるメンタルの強さも補正される。
『聖なる炎の加護』
グラント山の火口にて、瘴気に侵された霊獣・不死鳥を浄化し、授かった。
魂に灯る消えない炎。暗闇や絶望の中でも「道」を見失わず、精神汚染や瘴気に対する強力な耐性を得る。また、自身の治癒能力が大幅に向上している。




