第111話 【幕間】君が奏でる旋律
魔導王からの手紙が、俺たちの日常を変えた。
クレストン領北部での瘴気汚染。特命歌劇長への出動命令。
それは、彼女がまた一つ、俺の手の届かない場所へ行ってしまう合図のように思えた。
「……行くぞ、カイル。お前の剣の見せ所だ」
「ああ……分かってる」
俺は腰の剣を握りしめる。
馬車に揺られるあいつの横顔は、窓から差し込む光に溶けてしまいそうに綺麗だった。
前はただの生意気なチビだったのに、最近のあいつは、ふとした瞬間にひどく大人びた表情をする。
その瞳が何を見ているのか、俺には分からない時がある。それが、少しだけ怖い。
目的地は、腐敗と沈黙に支配された湿地帯だった。
かつて清流だったであろう水面は黒く濁り、そこから這い出る無数の異形――リザードマンたち。彼らの瞳に理性の光はない。あるのは、ドス黒い瘴気と殺意だけだ。
「……殺してはいけませんよ。彼らも被害者なのですから」
クラウスの静かな声が響く。無茶な注文だ。相手は五十体を超える、暴走した亜人の群れだというのに。
「来るぞ……!」
水飛沫を上げ、リザードマンが殺到する。
俺は前に出た。あいつに、泥ひとつ跳ねさせたくない。
「上は俺がやる。――『風よ、切り裂け』」
頭上から涼やかな声が降る。クロウだ。黒い翼を広げ、優雅に空を舞うその姿は、まるで死を運ぶ黒鳥のよう。
彼が指先を振るうと、目に見えない真空の刃――『風の刃』が走り、宙を跳んだリザードマンたちを撃ち落としていく。
致命傷を避け、腱だけを狙う正確無比な斬撃。
……悔しいが、格が違う。俺にはない「技術」と「余裕」がそこにはあった。
「カイル! 右だ!」
クロウの声に、俺は弾かれたように動いた。右翼から回り込む三体の巨躯。
普通の剣技じゃ止められない。かといって、全力で斬れば殺しちまう。なら、やるしかない。獣王国でゼガ隊長に教わった、身を焦がすようなあの技を。
(……壊れてもいい。あいつを守れるなら!)
俺は深く息を吸い、意識を丹田へと沈める。
ドクン。
心臓が早鐘を打ち、血液が沸騰するような熱が全身を駆け巡る。獣王国の秘技『活法術』。
人間である俺が使えば、筋肉が悲鳴を上げ、骨がきしむ諸刃の剣。
「――ぅ、オラァッ!!」
俺は剣の峰を返し、泥を蹴って踏み込んだ。
インパクトの瞬間、腕の中で何かが弾ける音がした。
構うものか。
重い衝撃音と共に、先頭のリザードマンが吹き飛び、後続を巻き込んで水面を転がる。
「……っぐぅ!」
腕が痺れて感覚がない。でも、道は開いた。
「お願いポルカ!」
パスティエールの声が響く。
あいつが変身し、碧色のドレスを纏う。
碧色と桃色のグラデーションが鮮やかに交差するツインテールが夜風に踊り、背中には光り輝く五線譜の翼。
紺碧の光の中から現れたその姿に、俺は痛みを忘れて息を呑んだ。
浄化の子守歌。
その瞳に、迷いはなかった。あいつはいつだってそうだ。俺が泥にまみれて足掻いている間に、軽々と世界の理を書き換えていく。
戦場に咲いた一輪の花のように、あまりにも場違いで、あまりにも……眩しかった。
「みんなっ! 耳を塞いでて!」
あいつが叫ぶ。次の瞬間、世界を震わせる「音」が炸裂した。
ドォォォォォン!!
それは暴力的なまでの音圧。
けれど不思議と不快ではない。
あいつの声が波動となって、リザードマンたちを貫いていく。
肉体を傷つけず、魂にこびりついた汚れだけを、音の振動が剥がし、弾き飛ばしていく。
圧倒的だった。
俺が骨をきしませて一匹を止めている間に、あいつは歌声ひとつで戦場すべてを制圧していく。
空に舞うあいつは、太陽みたいだ。手を伸ばしても、絶対に届かない場所で輝いている。
『――♪~~』
仕上げの子守歌が響き渡る。
凶暴だったリザードマンたちが、子供のように安らかな寝息を立てて倒れ伏した。瘴気は消え、ただ美しい静寂だけが残る。
「……ふぅ。任務完了!」
あいつがふわりと降り立ち、満面の笑みでVサインを作る。
その無邪気な笑顔を見たら、胸の奥がキュッと締め付けられた。
「カイル! さっきの凄かったよ! あんな大きな相手を吹き飛ばしちゃうなんて!」
あいつが駆け寄ってくる。
俺を見上げる瞳には、一点の曇りもない信頼が宿っている。
……ずりぃよ、そんな顔をするのは。
俺がどれだけ必死か、どれだけお前に追いつきたくて足掻いているか、ちっとも知らないくせに。
「……ったりめーだ。俺はお前の専属護衛だぞ」
精一杯の強がりで、俺は顔を背けた。
心臓の音がうるさい。戦いの興奮のせいだと思いたいけれど、きっと違う。
「怪我、してない?」
「……ああ」
嘘だ。
腕はボロボロに痛むし、足も震えてる。
でも、お前の前では「最強の剣」でいたい。
ただの兵士じゃなく、お前を守るに相応しい騎士になりたいんだ。
空から降りてきたクロウが、俺の肩を叩いてニヤリと笑った。
その目には「青春だねぇ」なんて色が浮かんでいる。
……うるせぇ。放っておいてくれ。
俺は、夕焼けに染まる湿地帯で、光り輝くあいつの背中を見つめた。
この眩しいカナリアが、いつか遠くへ飛び立ってしまわないように。
俺はこの剣で、その止まり木を守り抜くしかないのだと、痛む腕を握りしめて誓った。
カイル ステータスシート(二章終了時点)
■基本情報
名前:カイル
性別:男
年齢:11歳
誕生日:大陸暦675年、陽光の月
種族:人間
髪色:黒
肌色:褐色
性格:
相変わらず口は悪いが、以前のような周囲を拒絶する刺々しさは鳴りを潜め、騎士としての「規律」が身につきつつある。聖教国、獣王国での実戦を経て、自身の弱さを嘆く段階から「守るためにどう動くべきか」を冷静に判断できるよう成長した。パスティエールに対しては、単なる忠誠心を超えた共犯者的な信頼を寄せており、彼女の無茶に毒づきながらも最後には必ず背中を預ける。
人となり:
ガレオスの「戦士としての心構え」とアルフレッドの「効率的な魔力運用」を叩き込まれ、少年ながらに一端の戦士の風格を纏い始めた。獣王国の決戦において、窮地のパスティエールを救うために限界を超えた身体強化を見せ、周囲からも一目置かれる存在となる。現在は「食客」という立場以上に、次代の辺境伯家を支える若き双翼の一角として期待され始めている。
■基礎魔術の熟練度
魔導師としての才能は依然として皆無だが、アルフレッドの指導により、戦士に必要な項目のみ劇的な進化を遂げた。
・身体強化:【習得】
無意識下での常時発動に近づきつつある。爆発的な瞬発力を生み出すことが可能になり、単純な近接戦闘能力では大人の兵士を圧倒するレベルに到達。
・魔力付与:【極低】
武器に薄く魔力を纏わせることに成功。まだ「属性」を付与するまでには至らないが、剣の硬度と鋭さを増し、並の魔獣の表皮なら容易に切り裂けるようになった。
・魔力障壁:【不可】
依然として展開不能。ただし、身体強化の応用で「打たれ強さ」が増している。
・魔力感知:【微弱】
魔力そのものを捉えることは苦手だが、殺気や魔力の「流れ」を肌で感じる野生の勘がさらに研ぎ澄まされた。
・魔力弾:【不可】
やはり放てない。ガレオス曰く「剣で斬れば済む話だ」とのことで、本人も諦めている。
■習得技術
『活法術』
獣王国にてゼガより教えを受け、まだ粗削りだがものにしつつある。
型に嵌まらない、相手を仕留めるための合理的かつ苛烈な剣技。
格上の強者や、巨大な魔獣を前にしても膝をつかない強靭な精神力。
■加護
なし




