違う道を歩む人ー特別版・短編型ー
山岸結は複雑な気持ちで、かつての義弟を待っていた。
ここ数日TVのニュースで見ていた、あの黒竜池から白骨体が上がった、、、と。
眩暈がした。
(ついに見つかったんだ、、、、、。)
胸の締め付けられる痛みに、結は思わず拳を握った。
(6年半待った。あの人を。かつての自分の夫を。)
失踪宣告の出せる7年目に近づく頃、義弟は言った。
"もう田所結であることをやめてほしい。兄貴はあなたがそれに縛られることを望んでいないと思う。"
(あの時の私には残酷な言葉だった。それだけが彼の残してくれたものだったのに。)
あの瞬間は義弟を憎みさえした。
(彼は私の荷物を勝手にまとめて、無理矢理私を実家に連れて行った。)
自分は叫んだんだ。あの背中に。母に止められながら。
"裏切り者!!!" と。
(今なら分かるわ。あなたは本当は、、、、)
インターフォンの音が鳴った。結はゆっくりと椅子から立ち上がると、玄関に向かった。ドアを開けると、連絡が来ていた通りに、義弟と若い男の子達と女の子がいた。
そろいもそろって個性的で、目鼻立ちとスタイルが際立っている男女もいる。
『モデルの子でも連れてきたの?』
と結は言った。
短い髪の男の子が顔を赤らめた。1番普通っぽい。でも反応が可愛くて、1番好感が持てる。
『違う違う。ミステリー同好会の高校生。でも、彼らは凄く頭がいいんだ。』
『北橋さん、だから違うんですって。』
結が1番好感が持てると思った男の子は訂正もしている。やっぱり。性格が良い。
『さあ、どうぞ入ってちょうだい。外はもう暑かったでしょう。』
結の声で、5人はマンションの中に入った。
『そこのテーブルにしてもらってもいい?1番大きいし、横に3人並べる椅子だから。』
と、結は5人を食卓テーブルに案内した。自分は、お腹に気をつけながら台所に回り込んで、冷蔵庫を開ける。オレンジジュースと、無糖アイスコーヒーを取り出した。
『悪い。山岸さんは?』
"勝くん" かつてそう呼んでいた人は、台所に来てそう聞いた。
『たんぽぽ茶の冷水用パック買いに行ってくれてるの。ついでにチャイルドシートの中古も見てきてみるって。』
『気が早いな。待ちきれないんだろうが。』
そうして、勝介は 結の用意した飲み物グラスを運ぶ。あの頃と同じように。
『あの、、、お腹に赤ちゃんがいるんですか?』
テーブルから、長い髪の綺麗な綺麗な女の子が声をかけてくれた。
(十代でこんなに美人な人生って一体どんな感じなのだろう。)
そんなことを考えて微笑みながら、返事を返す。
『そうなの。まだ6か月で、お腹ちょっと出てる程度なんだけど。』
結は、自分の分のノンカフェイン麦茶だけを持ってテーブルに向かった。勝介が他は全部運んでいた。彼は無糖コーヒーを自分のところにちゃんと配置していた。
『そんな体調の時に本当にすまない。でも最後に 兄貴が言ってた輪命回病院の話をしてくれないか?全てはあれから始まってるとオレは思ってる。』
心のどこかで分かっていたのに、それでも胸は痛んだ。この人は言った。"最後に"と。
『、、、分かったわ。高くんが、、、』
彼をそう呼んでいたんだ。言葉にしてから、気づく。
『高くんがA県から戻ってきて、会って、私は怒ったのよ。でも彼は、"デカい山を拾ってきたかもしれない"って言っていて、どこ吹く風だった。
あきれて私が帰ろうとしたら、引き止められて、、、』
そう。そうだったね。そして、あの人は私を抱きしめて ごめん とキスしてくれた。
結は まぶたを数回 瞬かせた。
『輪命回病院での話を聞いたわ。私にも関係はあるしって。
彼は輪命回病院で私のために"卵子提供"の話を聞いてきてくれていた。正直、私はあの頃、そこまで具体的に出産がどうのこうのでは悩んでいなかったのだけれど。人づてに話が伝わって、病院側がよほど重大案件とでも解釈したのか、、、最先端の研究段階の"ハイブリッド卵子"で、不妊治療を試してみませんかと、彼は言われたんですって。』
『ハイブリッド卵子?』
綺麗な顔の眼鏡をかけた高校生男子が聞き返してくる。眼鏡があっても、王子様系に見えるタイプはそうそういない。この男の子は、、、まるで自分の強さや魅力を、ワザと一段落とすために眼鏡をかけているかのようにすら感じる。
『健康で若い世代のドナーから卵子を提供してもらって、それを培養しながら人口的にいろいろな、、、、ごめんなさい、専門用語で私はもう忘れてしまったけど、何か成分や養分を足したもの何ですって。病院側の売り文句としては、"ハイパワーな卵子になっていて、圧倒的に受精・成長の成功率が高いって。』
一人、1番小さな男の子はオレンジジュースのストローばかり見ている。彼だけは、この話しに興味がないのかもしれない。
『料金とかは言われたんですか?』
あの髪の短い男の子が聞いてくれた。
『価値としては一千万近くなっても良いようなものだけれど、開発研究中なので一個四百万円 と高くんは言われたって。私、"それ私にやってほしいの?"って聞いたわ。』
『高文さんはなんて?』
と、今度は あの美少女が聞いてくる。
『絶対やらないでほしい、、、、って。彼は、その卵子提供の出所が、未成年じゃないかって疑いを持ったのよ。』
『!!!』
ジュースのストローを見ている男の子以外の高校生達は顔色を変えた。彼だけは、どうしてもストローが気になるらしい。
『もし、未成年者から病院が独自ルートで購入して研究しているとしたら、それは法律とか制度とかではなくても、取り上げて問題にすべき事案だって。あの人はそれで、輪命回病院を探ることに のめり込んでいったの。』
結は今更ながらに顔を苦痛に歪ませて言った。そして彼は帰らない人になってしまったのだ。
『高くんとは、その後結婚したし、一緒にいたし、彼が仕事で離れた時も連絡は取っていた。』
そう。あのA県黒竜池に警察に呼ばれる2週間前までは。
『でも、彼は私には輪命回病院の情報はほとんど話さなかった。調べて行くごとに、それについては口を閉ざすようになったわ。』
結はうつむいて、拳を握った。
『彼が黒竜池に落ちたかもしれないとなって、勝くんが遺品のカメラから警察に犯人と思われる男の写真を提出したって聞いた。それが裏の社会の人間って聞いて、、、始めて分かったの。あの人が追っていたものは、とても危険なものだったんだって。』
テーブルは静まり返ったが、すぐに勝介が話しだした。
『写真の男自体は見つからなかったけど、、、義姉さん、ヤツの関光組と病院を繋げていた大倉戸産業は両方とも もう共倒れしている。兄貴が調べていたことは立証もできなかったが、今はもう行われたりはしていない。これはオレが調べて、確かだったから。』
勝介の言葉に思わず聞き入る。まだ、"義姉さん"と呼んでくれた。、、、、あの頃のように。私達は本当はたいした年齢差もないのに。結の胸は切なくなった。何のせいかは分からないけれど。
勝介は、その日初めてしっかりと結を見た。ハッキリと言う。
『今日ここに来たのは、最後にこの話を聞きたかったのと、、、、確かめたかったからだ。兄貴の葬儀をすることになっても義姉さんは呼ばない。そんな身体できたら、赤ちゃんに良くないと思う。
それから、兄貴の首に絡まっていたチェーンはオレが持っている?それとも、、、ここに送る?』
身を斬られるかのような言葉だった。そして、最後の衝撃。
ああ、、、あの人、付けていてくれたんだ。9年も。9年もの間、冷たい水の底で。
勝介が見ず知らずの高校生達を連れてきてくれていたことに感謝した。彼と2人きりなら、私は泣き出していただろう。込み上げるものをグッとこらえる。言葉を発するのが怖かった。今、私はどんな声を出してしまうだろう?
すると 素早く勝介が
『オレが持ってることにするよ、義姉さん。』
と言ってくれた。
それで、ただ うなずくだけで済んだ。
あなたはどうして、、、いつもそんなに優しいんだろう。
まだ他に行く所があるからと、彼らは立ち上がった。
『ありがとうございました。』
『お体に気をつけて。』
『お邪魔しました。』
と、高校生達が出て行く。
最後に、あのストローを気にしていた男の子が振り返って立ち止まった。
(何だろう?)
結が見つめても目を合わせてはくれない。それでも、彼は口を開いた。
『お母さんが、、、弟を産んだ、、。』
彼はゆっくりと話した。
『、、、かわいい、、、とても。』
私はうなずいた。男の子の顔にふっと優しい表情が浮かび、そしてドアを出て行った。
ドアを開けて待っていた勝介が彼を目で追った後、こちらに顔を向けた。その顔が完全に向くのを待ってから告げる。震える唇で。
『ありがとう。、、、、何もかも。』
短いけれど、9年?ううん、彼と、彼らと知り合って15年の年月をこめた言葉。なんて儚いのだろう。
このわずか数秒で終わってしまう。
勝介はあの変わらない優しい眼差しで告げた。
『さようなら。、、、山岸さん。』
ドアは閉まった。
思い出が押し寄せて、音は耳に届かなかった。壁に寄りかかって、溢れ落ちる涙を抑えた。
彼の別れの言葉が全てだった。
私は、今、山岸結 だ。
『 、、よ、、なら。』
自分の中で、田所高文に別れを告げる。愛した人。本当に、彼と共に青春を過ごし、彼を愛していた。
突然いなくなってしまって、多分殺されたとされて、でも諦めきれなくて、認めたくもなくて、帰りを待った日々、、、
その6年半の間、私は間違いなく高くんを愛し続けていた。勝くんはしばしば変わる彼女もいた。私達は完全に義理の姉弟で、失われた田所高文によってのみ、繋がっていた。
なのにどうしてだろう。
実家に置いていかれた時ー
この身を襲った苦しいほどの悲しみは、高くんを失ったものでは、もうなかった。
共に慰め合い、支え合い、悲しみを分かち合った勝くんを私は想った、、、
そうして、ようやく、理解したんだ。
あなたが私を引き離した理由を。
私はあなたの背中に"裏切り者"と叫んだ。支え合ってきた相棒を捨てるのか、と、腹立たしくて。
だけど あなたといた日々の、あなたの思いやり、献身、あの限りないほどの優しさを思い出せば、どうしたってその答えに行き着いてしまう。
勝くん、あなたこそが
絶対に裏切らない道を選んだのだ と。
結は涙をぬぐった。
何かに気づいたかのようにベランダの方に足早にかけ、サッシの鍵を開ける。
置きサンダルを履いてベランダの手すりにつかまると、勝介の黒いレクサスが見えた。
もうマンションの駐車場は出て、一般道に混ざり始めている。かまわなかった。
彼から見えなくても、かまわない。
結は大きく左右に手を振った。力強く。
自分のために。
やがて、黒い車体は他の車の中に消えていった。
もう見えない。もう、見ることはないだろう。
それでも結はお腹に手を当てて、笑みを浮かべて優しく撫でた。
ガチャリ と音がして
『たんぽぽ茶あったぞー!』
と夫の声がした。
結は、誰よりも 待ちわびた人が戻ってくる喜びを知っている。
ベランダの段差に気をつけてあがり、部屋に戻る。
『おかえりなさい!』
目の前の人にそう言って迎えた。
限りない愛を込めて。
お読み頂きましてありがとうございます。
今回はー特別版ーと付けまして、あの長ったらしくなりつつある登場人物紹介をとっぱらい、いつもと違う一人称を多く取り入れ、山岸結の視点で描かせてもらいました。
ミステリーとして重要事項も入っていたのですが、私はこの女性に重点を置きたかった。彼女の人生の一部分を書きとらせてもらいました。
結は、文字としては今後も出ますが、登場 することはもうありません。彼女がこの事件から離れ、新たに幸せに暮らしていくことが、高文・勝介の願いと くみとりたいと思っています。
この話は、活動報告の方には短編風と紹介させてもらいました。北橋が気になって、でも最初からは長いんだよーと言う方は、過去編・後半戦 2人で行きたい道1 あたりからが北橋の本格的な参入になっておりますので、そこから読むも、こちらは全然アリでございます。
いつもの方も、たまにの方も、初めての方も、本当に読んで頂きまして ありがとうございました。 シロクマシロウ子