出発点
桜田風晴は盛大にアクビをした。
ここは本州の外れに位置する地方、、、その中でも彼の家は 田舎 と呼ばれるところにある。
それでも通るだけの新幹線を見送る駅や、簡単なスーパーマーケットのような店、自営業の電気店や喫茶店も一応はあった。
だが高校二年生という若い彼には刺激の足りない、つまらない場所でもあった。夏休みは特に、だ。
彼はもう、2025年の夏にも何も期待はしていなかった。
『ハルー!カゼハル!どこにいるの!?』
階下から母、風子の声がする。
『休みだからってゴロゴロしてばかりいないで!ほら!降りてきて布団運んでちょうだい!!!』
風子の声は後半怒鳴り声となった。
『こっちだって遊んでるわけじゃないっての。』
風晴の主張はある意味正しい。確かに彼は遊んではいなかった。ただ寝っ転がって何もしていなかったのである。
しかし、これについても理由はあった。
『さあ、これ客室に運ぶの手伝って!もうお客様到着しちゃうかもしれないのよ!』
息子の顔をみた途端発せられた母の声は金切り声に近くて、風晴はグっと言おうとしていた文句を飲み込んだ。
(オレだって午前中は水撒きと草取りで重労働して来てんのに、、)
風晴の通う農業高校は、その名の通り農業中心の学業が行われている。稲についてだけでなく、野菜・果物の栽培や品種改良、牛馬鶏の飼育も学校で行われているのだ。無論、国数英理社、美術音楽、体育などの授業もあるが、その内容は、いわゆる進学校とは雲泥の差だろう。
進学校は進学校で夏休みは補講やら夏季講習やらでまた忙しいのだろうが、どっこい、農業や飼育にも長期休みなんてものはない。むしろ毎日餌やりや水撒きが欠かせない。
農業高校の生徒たちは、毎日当番を決めていて、数日に一回は必ず出校して自らの仕事をこなさなければならない。
そして、風晴の当番は今日だったと言うわけだ。
むっつりとして、それでも無言で布団を運んだのは、この民宿の仕事の重要さを分かっているからだった。
母は女手一つで自分を育ててくれた。この民宿を一人で切り盛りしながら。
近くでは祖父が農家をしながら暮らしていて、風晴がまだ小学生の頃にはよく手伝いにきてくれたものだった。
母と自分の全てが変わったのは市議会議員だった父親が死んでからだった。いや、死んだと言うか、父は、、、、
『よくいらっしゃいました!こんな辺鄙な田舎に!』
玄関先の母の明るい声で、我にかえる。
(良かった。ちょうど全員分布団を運んだところだった。
ええっと、3部屋で7人分の布団であってるのか?)
『母さん、あの、、、、』
玄関に向かって母の姿に声をかけた。が、続けられず止まってしまった。
そこには風晴が見たこともないような男女の姿があった。
いや、見たことはあるが、テレビの中や雑誌の中の芸能人やモデルのような立ち姿と、整った顔、、、。いわゆる洗練された、装いから持ち物から名のあるブランド品ばかりで、髪から肌から明らかに手も金もかけた若い男女。でも成金だとかケバいわけではない。センスの有る、品の良いものが、むしろ しっくりなじんでいるーーーそこにいるのは生まれながらの"勝ち組"だった。そんなものがあるのならば、風晴にはそれが彼らに見えた。
それでいて初対面でも、彼らが自分とかなり年が近いことはハッキリと分かってしまう。
しかし自分は下はジャージのズボン、上はヨレヨレの中学から着ているTシャツときたもんだ。
風晴は瞬時に猛烈にバツが悪くなった。
立ち去ろうとした 時に限って
『息子の風晴です。高校生よ。』
母が素早く紹介する。
『本当ですか。同い年かも。僕は今3年で、部長をしています。大道正火斗と言います。』
生まれながらのセレブ(風晴の脳内では)は、かけていたメガネの奥で瞳を細めて、完成された笑顔と姿勢で恐ろしく綺礼な爪の手を差し出してきた。
しかもその手は風晴より大きく、背も風晴より高いことは明白だった。
(なんなんだコイツ!!オレだって170はあるのに!!!)
実際、風晴の身長は175近い。強がってない。
だが、神様は不平等。天は二物を与える。
『残念だけどオレは2年だから。あんたとは年違うんじゃないかな。だいたい、3年がまだ部に残って部長をしてるってのもどうかと思うけど。』
差し出された手を荒く握って、込められるだけの皮肉をなんとか相手にぶつける。
ふふっ、、、、と、正火斗の後ろにいた、彼にどこか似た感じの長い髪の美少女が笑った。
『兄さんはもうT大のA判定を1年の終わりから取り続けてるから。先生方も何も言えないの。それに、兄さんが立ち上げたミステリー同好会だしね。本人は、この夏休みが終わったら引退するとは言ってるけど。』
(T大A判定!!!?)
風晴も風子も目を丸くする。
日本にいたら知らない人などいない有名一流大学!
風晴では3年間猛勉強したってE判定か、最良でD判定止まりだろう。
『やめろ、水樹どうでもいい話だ。』
横目で妹を睨んでサラリと正火斗は言った。
水樹はいたずらっぽく兄を見返してウインクした。
そのやりとりだけでも、まるで二人だけが、世界から切り取られたような光景だった。
少なくとも、風晴にとってはあまりにも非日常的な美しさがそこにはあって、彼は思わず顔を背けた。
が、その時 握手のままだった手に、相手が新たに力を込めたのを感じた。
風晴は正火斗を見た。こちらを覗き込むかのような正火斗の瞳の中に、何かが揺らめく。
かすかに。確かに。炎のように。
『二週間か、僕らの調査の内容次第ではそれ以上お世話になるかもしれません。どうぞ、よろしく。』
かしこまった正火斗を水樹がクスクスと笑っている。
『まあ!こちらこそよろしくお願いしますね!!』
横から母の元気な声が響く。
開け放った玄関から見える 道路からの照り返しで歪む景色の中に、4人程の若者の陰と、一人の中年の男性の陰が現れた。おそらくは、残りの同好会のメンバーと顧問だろう。ぼんやりとした彼らの姿をとらえながら、頭の片隅で風晴は布団の数が合っていたことを確認した。
再び目を移す、眼前の煌びやかな優等生に。
『何なんだ?"僕らの調査“ってのは?』
正火斗の瞳がわずかだが動揺に影った。少なくとも見つめていた風晴はそう感じた。だが、風子や水樹は気付かなかったかもしれない。
正火斗の沈黙は本当に短かく、会話上の間程度だったから。
彼は瞬時に判断して口を開いた。
『黒竜池を調べるんだ。ここでは有名なんだろう?死体が上がらないーーーーと』
正火斗が答えたとたん、風晴は握ったままだった手を払った。水樹が驚いて目を見開く。それ程の勢いだった。
振り払われた正火斗の方はむしろ落ち着いていた。
彼はこの成り行きを予測していたかのように、冷静にいきりたった風晴を見据えた。
『母さん!この人達は泊められない!帰ってもらおう!』
『風晴、、、、』
母がやんわりと手を伸ばして風晴を抑える。
そこに、新しい声が響いた。
『風晴、あの池の調査はな、風子さんからの依頼なんだよ』
風晴は声の主を見た。
玄関の戸に手をかけて、ハンカチで汗を拭っている。知っている顔だった。
あれは地質学に秀でていて、東京で高校の教師をしているはずの、、、
『孝臣おじさん、、、、』
孝臣は黙ってうなずいた。
ただそれにうなずき返したのは風晴ではなく風子だった。
母を見て風晴は全てを悟って力なくうつむいた。
彼はそうするしかなかった。
そして、ひとつ、
『ハア、、、、』と
ため息をもらし、声を絞り出した。
『母さんは、父さんを引き上げてほしいんだね』
風子は黙って息子の手を握った。
それが、答え だった。