もうひとつの道筋2
息子は、いわゆる発達障害の類なのだろう。
言葉が遅かったことを心配して、小児科で面談と検査を受けると、そこではADHD(注意欠如多動症)ではないかと言う医師の見解が出た。それがASD(自閉スペクトラム症)かも知れないと転じ、やがてADHDとASDの併発の可能性がある となった頃には、もう、自分達にとって、診結果がどうなろうとも、なんの救いも無いものになっていた。
実際のところ、結局 真淵聖には 何の症例名もついてはいない。学校の先生方からは、こういう子供達は増えていて、"グレイゾーン"と呼ばれていると言われたこともある。
小学校に上がると、息子が授業中に椅子に座っておれず、立ち上がって教室を出て行ってしまうこともあると先生から連絡を受けるようになった。
突出して暴力的な行動はなかったが、みんなが使う教材を、次の子供に渡さずずっと保持しようとしたり、見たいものがあると1番前に出ようとし、前にいる子供を押して転ばせてしまうという事件も起こした。
話せないわけではないが、むしろ話しだすと一方的で、それでいて返事は何にでも うなずくだけで、会話はほとんど成立しない時期が続いた。当然、友達はできない。
それでも、どんなに会話が上手くはなくても、自分たち親子は話し合う努力を惜しまなかった。学校での問題の中でも、聖から話しをなんとか聞き出すと、ごく稀に これは相手の子供側に非があるのではないかというものもあったのだ。
しかしながら夫が警察官という聖職の看板を背負っている中で、結局自分達は学校や保護者に絶えず頭を下げなければならなかった。特に職務を持つ自分は日中すべきことがあっても、妻の実咲は、子供がからむ全てのことに参加しなければならない。学校行事、町内会、子供会、PTA役員、茶話会、、、、、
少なくとも世間は、参加できるだろう と"母親"を、みなしている。どんなに気まずくても顔を合わせたくなくても、だ。
時に実咲と親しくなる奥さんや、聖を理解してくれる家族もいてくれた。だが、警察官には常に異動があり、一定の場所に長く留まれることは殆どない。実際、家族は2,3年で引っ越しをしてきた。1年で移ることもあった。
聖にとっても、慣れればすぐ変わる環境は過酷だったろう。そして、実咲には、、、、、実咲にとっては、あの頃、まさに地獄だったのではないだろうか。
真淵は夕食のカレーをすくいながら、和弥のおかわりの皿を笑顔で受け取る妻を、こっそりと見た。
自分も実咲も大柄な方だが、あの頃 実咲は痛々しいほどに痩せ細っていた。老いた老婆のような細い腕をしていて、化粧を施すことも無くなっていた。眠れない日も続き、睡眠薬にも頼ったほどだった。
家族が好転しだしたのは、無論 聖が落ち着きだしたことと、そして、和弥の誕生だった。
子供は2人ほしいと結婚当初から自分達は思っていた。だが実咲の子育てへの憔悴ぶりから、真淵は2人目は諦めているところもあった。だが意外にも、2人目を作ろうと言いだしたのは実咲の方だった。明確な理由があったのだ。
彼女の理由は高齢出産のリスクだった。
今作らないで、後になって万が一欲しがっていた2人目ができてしまったら、、、、。
実咲は
''せっかく授かった子供なら産むでしょうね。欲しかった2人目だもの。でも私は、その子にまた何か問題があれば、その時一生後悔するわ。障害の可能性が高まるのに、なんで35歳を過ぎて身籠ったんだろうって"
妻の言葉で、真淵自身も色々と調べてみた。
まさか、年齢でそんなに顕著に違いがあるとは思えない。周りだって結婚も遅くなって出産も遅くなっている。そして、調べた結果、やはりそういうリスクは 確かに高まるがほんのわずか という結論に至った。
つまり、自分にとっては気にすることではないものだった。
だが、妻にとっては違ったのだ。彼女は血を吐くようにあの時言った。
"何も知らないで産んでしまうなら自分を許せるのよ。でも知ってて避けないのは、私にはもう、自分を裏切っている なんてものじゃなくて、自分を殺しているようなものなの。"
そこで夫婦は決断をした。
だが、いざとなると自然な形での妊娠は難しいものだった。妻が高齢出産前の妊娠を確実にしたかったために、最終的に自分達は人工授精での植え付けをし、そうして和弥は授かった。
今、その息子は目の前にいて、
『お父さん明日は絶対絶対誕生日会前に帰ってきてね!僕6歳になるんだから!!』
と、口の端にカレーをつけながら言っている。
真淵は満面の笑みを浮かべ、息子に誓った。
『必ず帰ってくるよ。』
実咲もその様子を見て笑顔だ。
そして、聖も、その父と弟を見ていた。
暗い部屋の中、備えつけのスタンドライトの灯りだけがついていた。その明かりが、机に座る聖の上半身だけを浮かび上がらせている。
灰畑駐在所の中は、住居スペースが3つに別れていて、そのうちの一部屋を聖は一人で使っていた。2年前にこの町に父親が赴任になった時、もう高校生だからと与えてもらったのだ。
灯りの下で、聖は自分で作ったノートの確認をした。
(明日の朝は飼育当番だから、糞掃除、餌やり、水換え、ブラッシング、、、、)
話しをきいただけでは聖はなかなか覚えられない時もある。逆にあるシーンを、やたら鮮明に記憶して写真のように記憶することもある。しかし自分で選ぶことはできないので、こうしてノートにメモをして、今まで学んだ全ての栽培や飼育を彼はその都度確認しなければならない。
(僕の頭の中は、きっと ひどく バランスが悪い。)
それでも、聖はその作業も含めて動物や植物が好きだった。彼らは人間と違って話しを求めない。でも繰り返し接して手を掛けていれば、必ず通じてくるものがある。
それから、この農業高校の人間達も聖にとってはまだ楽なタイプの相手だった。前は私立の普通高校に通っていたが、彼らの話すこと成すことがまるで聖には理解出来なくて、結局不登校になりつつあった。
父と母が思い切って転校を勧めてくれて、2年から聖は駐在所から一番近い農業高校に転入したのだ。
ここでは作業していれば一緒にやっていると見なされるし、会話は作業行程について語れば良かった。話すべきことが決まっているのは、聖のような人間には、とても助かる。そして、動物や植物の育て方を聖が心から知りたいと思っているからこそ、相手の話しを聞くこともできていた。
(僕は、良い人間に、なってきているのかな。)
彼は考えていた。
(僕はうまく話せないし、行動も駄目な時がある。もっと子供の頃は、駄目ばっかりで、自分がやりたいと思ってやったことは大抵悪いことだったみたいだ。)
ノートから目を外してうつむく。
(僕は、みんなとは違う。誰も何も言わないけれど、僕は何かが悪いようだ。決めた行動が悪いなら、僕は心が悪いんだろうか。
良い人間になりたいってずっと思っていた。お父さんみたいな。だけど、なり方が分からなかった。お父さんの心の中も、みんなの心の中も、決して見えない。
だから違いもわからない。
一体どう考えることが 普通の人間の正解なんだろう。)
彼は少し顔を上げて、何もない壁をただ見つめていた。
(あの駄目な頃は、僕がやりたいことを我慢するとき、僕は"良くなった"とみんなに褒められた気がする。
今僕は、明日やりたいことがあるけれど、やっぱりやったら駄目なことだろうか?まだ僕は頭も心も悪い?)
聖は考え続ける。
(午前中は高校の飼育当番がある。だけれど、午後からは何もない。何もないから、僕が大山のおばあちゃんのいつもいくお地蔵さんの所で巡回していたら、おばあちゃんが来ても捕まえられて、お父さんは誕生日会に帰ってこれるんじゃないだろうか?)
彼は部屋のふすまを通して両親の話をきいていたのだ。駐在所の中はとてもこじんまりとしている。
これはやったら悪いことだろうか?
(でも大山のおばあちゃんは助かるし
お父さんも助かるだろうし、
お母さんも和弥もきっとすごく喜ぶ。)
聖の無表情な顔に、わずかだが笑顔が浮かぶ。
これは やっても良いことのはずだ。
(良かった。良いことが、分かるようになってきて。僕はきっと今,良くなってきている、、、、!)
彼は知っていた。もう以前から父親が何度も言っていたから。大山のおばあちゃんが拝みに行く地蔵のある池の名前を。
"黒竜池"
彼は明日 黒竜池に行く。
聖は決心して、灯りを消した。
後にはただ 闇が残った。
ここまでで邂逅編終了です。次回より黒竜池編に入ります。
エピソード11は改稿ばかりでした⤵︎反省を活かします。
見捨てず引き続き、宜しくお願い致します〜〜
大型ミステリーですが、黒竜池編では一つの答えが出ますし、エピソード20付近でそこまでの内容が、一度読者の皆様にスッキリしてもらえるよう構成致しました。まずはそのあたりまでお付き合いして頂ければ幸いです。シロクマシロウ子