Scene-3 / 儚げな婦人
待合室で眠っていた女はノーラと名乗った。待合室で待つ間に眠ってしまったららしい。仕事帰りで疲れてしまっていたのだと説明した。ノーラは衣服の上からでもわかるぐらいに華奢な体型で、細く小さな声で喋った。これまで一度も叫んだり怒鳴ったりしたことが無いのだろう。声を荒らげたら、声帯が壊れてしまいそうだと思わせる。儚げな雰囲気を持つ若い女だった。
「ガルウィンは本当に優しい夫なんです。いつも花とかちょっとした贈り物をしてくれて。わたしのことを世界で一番綺麗だって、毎日出かける前に言ってくれて。」ノーラは自分自身に話しかけているように見えた。
私はノーラが夫の話を終えるのを待った。簡単な世間話から家族の話題が始まっていた。
彼女の話す口調のピッチは常に不安定だった。まくしたてるように早口で喋るかと思えば、眠気にさそわれたかのように、ゆっくりと話し始めたりもする。
彼女はデリンに起こされ、待合室からオフィスに移動して依頼人用のソファーに腰掛けていた。オフィスのドアは開け放たれたままで、彼女の右肩越しに待合室が見える。オフィスの開いたドアの横にデリンが立っていた。授業参観に訪れた親のような表情でで私とノーラのやりとりを眺めている。
私はノーラの言葉の隙間を狙って尋ねた。
「それで。奥さん、何かご依頼でしょうか?」
「あ。はい。そうです。そうでした。お願いがあってきたんです。ダイナーのベッシーに聞いてやってきました。」
ベッシーというのはよくランチを食べる食堂のウェイトレスだ。健康が服を来て歩いているような女で、これ以上に無いほど活発で明るく、ダイナーのウェイトレスをまとめて店を回している。彼女の接客はいつもすばらしく心地よかった。押し付けがましくなく、しかし、絶妙の距離感で話し相手になってくれる。
「ベッシーに聞いたことがあったんです。困ったことがあったら、ここに来ればいいって。」
私は頷いた。
「そう、なんて言ったかしら、ダーウェイ通りで一番の、、、そう、便利屋。」
「探偵。」ノーラの最後の言葉に被せるようにデリンが小さな声で言った。
デリンは私に向けて得意げな笑みを浮かべている。
ノーラは不思議そうな顔をしてデリンを振り返った。
私は聞いてばかりという態度をやめて、ノーラが抱えている問題を聞き取ることにした。
ノーラは夫のガルウィンと結婚して7年が経つそうだ。ガルウィンは港で積荷の検査を取り仕切っているらしい。検査主任で一等級官ということだから、宮廷が授与する免状の中でも高位のものだ。平民階級の中ではかなりのエリートと言っていいだろう。年齢は45歳ということだから、この世界ではわりと高齢の部類に入る。ノーラが25歳ということだから、20歳差の夫婦らしい。
依頼の内容は簡単で、夫のガルウィンがいつもならとっくに帰る時刻になっても、帰宅しないので探してほしいというものだった。昨夜は夜勤だったようで、夕方前に家を出ており、普段通りなら今日の昼過ぎには帰ってくるはずだったとのことだ。とはいえ、まだ失踪と呼ぶには早いかもしれない。これまで夫が帰りが遅くなるということは一度たりとも無かったとノーラは言った。勤務先の港湾事務所には問い合わせはしていないらしい。夫が嫌がるから、ということだった。単純に仕事が長引いているだけかもしれない。とはいえ、ルーチンを崩さない人間が普段と異なるのは確かに不思議ではある。
警備隊に失踪届なり捜索願を出すことは考えていないかを問うと、やはり夫が嫌がるから考えていないとノーラは答えた。私は話を聞きながら、腑に落ちないことばかりだと思った。
私はとにかく、ノーラに帰宅することをすすめた。家を開けている間に夫のガルウィンが戻っているかもしれない。もし、帰宅しても夫が帰っていないのであれば、依頼を引き受けようと答えた。簡単に料金の話をして、デリンに頼んでノーラを家まで送らせた。
デリンとノーラがオフィスを出た後、私は戸締まりをした。待合室の鍵を締め、オフィスの鍵を締めた。
オフィスの椅子に身体を沈めた。デスクの引き出しから大小の箱を取り出す。大きな箱には部屋の臭気を中和する魔法アイテムが入っていた。アイテムのスイッチを押して消臭を開始した。
小さな箱にはドラゴンの葉が数枚入っていた。ドラゴンが棲むという伝説の地で収穫されるといわれる葉で、天日で乾燥されたものだ。私は葉の一枚を取り出して丁寧にそれをまるめて棒状にする。端の一方にフィルターを付けて唇にはさみ、火を付けた。少しだけ葉を吸い、煙を吐き出した。特徴的な赤紫の煙が目の前を過ぎる。あまったるい香りが立つがすぐに消える。葉を吸うことで口に拡がる煙、その気体はまるで液体のように濃厚で、喉を刺激しながら通り過ぎ、肺に届く。あまりにも気体の濃度が濃くて、少しずつしか肺に送れない。私は視界の焦点が定まらなくなるのを感じながら、今日一日の出来事を振り返った。
マフィアの抗争はまだ続くだろう。
亡くなった育ての親の過ちを表沙汰にしたくないという老女の願いは叶った。ローレンス家の名声が汚されることはなくなった。孤児院は残った従業員とエミルの息子でなんとかなるだろう。サラも協力するだろう。今回の一件で、ローレンス家が目をつけられることは無くなり、あとは警備隊が実力行使で対応する範疇だった。おそらく、2つのマフィアの根城を近日にガサ入れするはずだ。そして、末端の組織員が何人か検挙される。何人かは警備隊との衝突で死ぬものも出るだろう。そして「全ては警備隊の手によって解決しました。悪の組織は壊滅されました。市民のみなさんの安全は取り戻されました。」という発表がなされ、全ての決着が完了する。
私はグラスを取り出して、酒を注いだ。
デリンが戻ってきたのは人々が寝静まろるだろう時刻だった。
「夫のガルウィンは家には帰ってませんでした。港湾事務所に寄ろうかと思いましたが、もう遅かったので引き上げてきました。代わりにフィッツネットで少し噂を聞いてきました。」デリンは依頼者用のソファーに腰掛けながら言った。腰掛けながら、椅子に汚れがないかさり気なく確認している。
フィッツネットというのは、ノーラに私を紹介したベッシーが働くダイナーのことだ。
デリンは続ける。
「夫のガルウィンですが、良い話は聞きませんでした。ただ、悪い話も聞きませんでした。近所付き合いをしないというか、ガルウィンを見たことがあるという人間が居ませんでした。社交的な男ではないみたいですね。ベッシーでさえ、話すどころか、見たこともないと言ってました。本当に夫なんて存在するのかなんて冗談を言うぐらいでしたよ。」
それからもデリンはかいつまんで、ガルウィンとノーラ、そして夫妻の息子について話した。室内には入らなかったが、家の中を少し覗けたらしい。一等級官の検査主任というわりには贅沢をしている様子もなく、ごく普通の家庭の暮らしぶりのようだったと話した。ただ、今の住居に住みだしたのはここ数ヶ月のことらしい。帰りの道中に聞いたところでは、夫の希望で何度も引っ越しを繰り返しているそうだ。引っ越しを繰り返すのは夫が運気を気にするからだとノーラは早口で説明したと語った。ノーラが嘘を付いているようには見えないが、話すことの全てが要領を得ないとデリンは話した。息子については家の中に居る気配は感じたが見ることはなかった話してくれた。
私はデリンに礼を述べて、帰宅するように勧めた。デリンは懐からメモを取り出してデスクの上に置いた。夫妻の自宅とノーラの勤め先である洗濯屋の住所が記載されていた。洗濯屋の住所の横には店の電話番号が書いてある。ノーラに連絡を取りたい場合は、店に電話すればつないでくれるということだ。
夫妻の自宅は店の近くらしい。自宅にも電話があるが、ノーラは番号は知らないと答えたそうだ。なぜ自宅の番号をしらないのか不可解と思ったデリンはノーラにその答えを聞いたが、夫しか電話をしないから覚える必要が無いと答えたそうだ。そのことを伝えながら、デリンは困ったような表情をつくりながら、肩をすくめてみせた。
デリンは話し終えると靴音を立てずにその場を去った。
私は一人事務所に残された。デリンは普段は冒険者ギルドに所属していて、常に行動をともにしているわけではない。警護で人手が不足した場合であったり、ここ数日のように荒事が予想される依頼の際に時折同行を頼んでいる。
明日からはまた一人、普段通りの依頼をこなしていくことになる。とはいえ、いつものとおり、すっきりしない依頼を追いかけていかなければならない。
多くの依頼者は何かを私に隠していることが多い。そしてそのほとんどが大事な事実である。もしくは、依頼者は何か重大なことを知らない。
デスクに投げ出していた両足を戻し、椅子から立ち上がった。




