第5話 重なる素顔
「こんにちは! 来てくれてありがとうっ」
その人は、まるで握手会のアイドルのように、明るく弾んだ声で洋介を迎え入れた。大きく両手を広げて歓迎してくれている。
「……」
そんな大歓迎を受けた張本人である洋介は目を丸くして、そんな彼女を無言で見つめていた。
翅を持つ、小さな妖精にもう一度会うことはできないか。そう思って、時間いっぱいになるまで粘ってはみたものの見つけることができなかった。洋介は時間になると、当初の予定通り天宮美空のサイン会に向かった。
彼が予想していたよりも小さな規模の書店にある、これまた小さな会場に数名の行列ができていた。こんな人数でイベントとして成り立つんだろうか、と洋介が心配になるほどだったが、対応してくれたスタッフに悲壮感と言ったものは感じられない。準備万端、はいどうぞ、といった感じだ。
そもそも、借りている場所が場所だ。最初から、限られた人数しかこないように設定されていたのだろう。配られた整理券とやらも、かなり数少ないレア物に違いない。
(レア物、レア物かぁ。角田、無念だろうな。そりゃ、僕に頼み込むよ)
急に、この場に来ることができなかった繁晴を洋介は気の毒に思い始めた。せめて、彼のために任務は完遂しようとスタッフに促されるままに洋介は行列に並ぶ。
そして、ついに洋介の番がやってきた。そこで、初めて天宮美空という人物と洋介は対峙したのだが、差し出すべき本を持ったまま洋介は固まってしまっていた。
洋介の想像する作家とは思えぬ陽気で若々しい声と表情に面食らった、というわけではない。確かにそれにも驚いたが、洋介の頭に誤作動を起こさせているのは別の要因だ。
大きな黒縁の分厚い眼鏡に隠された、天宮美空の素顔が洋介の思考を狂わせる。それを見て、洋介の脳内に記憶のフラッシュバックが起こったのだ。
その甦った映像に映る少女の顔と、目の前の天宮美空の顔がガッツリと重なってしまった。もう、それが離れてくれなくて、洋介は眼前の女性から目が離せなくなっている。
「……みそら?」
洋介は、繁晴に教えてもらってしった歌手で女優の名を口にした。
まとった雰囲気、表情、その全てが異なっている。
しかし、本質を見ることに長けた洋介の目には数年前まで活動していて、一世を風靡した芸能人、美空が眼前に座っているかのように映っていた。
「あ、はい。天宮美空ですよ?」
首を傾げながら名前を復唱されて、ようやく我に返った洋介。
「す、すみません」
傍から見れば、著名人とは言え、初対面の相手に呼び捨てをするという、大変失礼な状況になっていた。それに気づいた洋介はペコペコと頭を下げながら前進する。
彼女に近づいてみると、ますます件の歌姫を思い出させる風貌に洋介の心臓の音はどんどん大きくなっていく。
「あれ? あなた、色紙持ってないのね」
彼女の言う色紙は、スタッフの人が用意していたものだ。何も持ってきていない参加者はそれを受け取っていたが、洋介は「本に」という繁晴のリクエストに応えるために断った。
洋介はなぜか震える手で、そっと持っていた本を彼女に差し出した。
「えっと、これに」
「あ、私の本! わざわざ持ってきてくれたの」
彼女は慣れた様子で洋介から本を受け取ると、スラスラと自分の名前を書き始める。当然、「天宮美空」という全ての名前を崩したものだ。
洋介の頭に一瞬よぎった「美空」という名前だけのものではない。当たり前のことだ。
それでも、彼女は本当に元芸能人で、もしかしたらセカンドキャリアとして小説家の道を選んだのかもしれないという疑念が洋介の中で大きくなる。
美空が姿を消してから、五年。そう考えると再出発にはちょうどいい時期かもしれない。
(いやいや、さすがにないだろ)
洋介は平常を装いつつ、内心では大きく頭を横に振っている。
「はい、どうぞ。これでいいかな?」
「あ、ありがとうございます。続き、楽しみにしてますね」
本を受け取った洋介の拙いエールに対して、彼女はニッコリと微笑んだ。
その笑顔は非常に若い。若いというか、幼いといった方がいい。
目の前の人物からは、繁晴に歌声を聴かされた時のような感動は感じられない。優しげではあるが、まとっている空気は一般人のそれに相違ない。
それに美空は、急に芸能界からいなくなったとはいえ、それまで十五年程度の芸歴がある。もし、同一人物だとしたらさすがに目の前の彼女は若すぎる。
苦労をしているのであれば失礼な話にはなるが、彼女が化粧で若作りしている可能性も低いだろう。
(テレビの美空の方が……言っちゃ悪いんだろうけど、ケバかったもんな)
洋介は大事にサインの書かれた本を鞄にしまいこんで、その場を後にした。
「あ、そうだ」
作者本人に会った衝撃で、もう一つの用事を忘れていた。自分用の『幻遊剣士』を購入しておかなければいけない。このサイン本は、もう開くことすらしてはいけない気に洋介はなっている。
サイン会の会場近くだと「さっき持っていたのは自分の本ではなかったのか」と思われる危険性がある。洋介はそれは避けたい。
幸運にも少し離れたところに売り場があった。
「てんきゅう……てんきゅう……」
読み方のわからない作家名を推測して同一出版社の、た行の作家が並ぶ棚を探す。
見つからない。はて、他にどんな読み方があったろうか。
「てんきゅうじゃなくて、あまみやですよ。天宮美空」
「そうなんだ。じゃあ、あ行を探さないと」
確かにそう読んだ方が普通な気がする。ペンネームだと思って、凝った読み方を模索しすぎていたようだ。洋介は左へと視線を移す。
「あ、あった」
そこに目的の本は見つかった。しかし、同時に平積みにされた幻遊剣士も見つけてしまう。
「うん、そりゃ、作者呼んでるんだから目立つところに置くよな」
無駄な苦労をしてしまったことに大きく息を吐く。ただ、本を見つけることはできた。後はレジに持っていくだけで……。
「あれ?」
洋介は何か、重大な見落としがあることに気づいた。集中しすぎて気づかなかったが、誰かが天宮美空の読み方を教えてくれた気がする。
周囲をキョロキョロと見渡してみるが、それらしき人は見つからない。
「うん?」
洋介はさすがに気になって周囲を探し始める。そんな彼から逃げるように、洋介の視界の外へ外へと動く人影があった。
「やばい、やばい。思わず声かけちゃったよ」
声をかけてきた人物の捜索に結果が出なかった洋介は諦めたようだ。書店を後にする彼の背中を見て、少年は大きく息を吐く。
「あの人、本にサインもらってたはずだよな。何で、また買ってんだ」
少年の友人曰く、コレクションを集める者には保存用、観賞用と複数買い集める習性のある者がいるという。彼がそこまで熱心だというのなら、同じ『幻遊剣士』のファンとしては悪い気はしないな、と少年は思う。
「さて、どこまで追っかけるべきか」
彼は洋介の尾行を継続する。それに洋介が気づくまでには、まだもう少し時間が必要だった。




