第4話 日常を飛ぶ翅
日曜日がやってきた。
繁晴に指定されたのが、各駅停車ではない電車で二駅ほど離れた駅近くの店だった。それだけ移動すると、洋介の生活圏から出ることになる。
人のためになら、驚くほどに行動力を発揮することのある洋介だったが基本は出不精だ。あまり頻繁に外出することもなければ、出かけても近所で全てをすませてしまう。
通勤、通学を目的に乗車している者がいないからか。洋介の予想よりは空いているものの、席に座れるほどではない。
乗車している他の人達は、じっと手元の画面を見つめては時々指を動かしていた。何をそこまで熱心に携帯電話を使うことがあるのだろうか。級友達を見ていても、洋介はいつも不思議に思っていた。
結局、洋介が使いこなせていないだけだ。そんなことを言われれば何の反論もできないのだが。
実際、三十分程度の乗車時間をずっと暇を持て余しているだけなのだから、洋介も有意義に使いこなせるのなら使ってはみたいのだ。あの、目の前の人物のように色々と指を動かして。
(あ、まずい)
そんな風に観察していた乗客と目が合って、洋介は慌てた様子で視線を外した。非常に怪しい動作になってしまったことを、洋介は内心悔やむ。
しかし、洋介が気に病むほど、そこまで相手は気にしていない。彼は、すぐに視線を下に下ろした。
洋介が思うよりも、周囲の人は他人を気にはしていないのだが洋介はそのようには思えない。そして、一度気にしてしまうと洋介は思うように行動がとれなくなってしまう。
結果、唯一の時間つぶしだった人間観察はできなくなってしまった。後は外の景色を眺めていることしかできない。
そんな、窮屈な思いをしながら洋介は駅に着くまで、じっと耐えていた。
――ねぇ、ねぇ、ヨースケ。デンシャとライツの本気、どっちが速いかなぁ。
前に電車を使った時はどうだったかなぁと洋介が思い返していると、らんらんと輝く瑠璃色の瞳が脳内で再生された。そういえば、前回は彼女と一緒の旅だったのだ。
ライツがあちらこちらと、興味津々な様子で飛び回るものだから退屈なんて言える状況ではなかった。それは、彼女が疲れ果てて眠ってしまうまで続いたのだ。
「ふふっ」
思い出に残る光景に思わず吹き出してしまってから、洋介は慌てて周囲を確認する。思い出し笑いをしているところを見られたら羞恥の極みだ。
幸運にも、誰も洋介を見てはいなかった。安堵の息を吐いて、もう一度窓の外を見る。
建物の影はどんどん視界から消え去っていく。久々の青空に浮かぶ白い雲は、電車にしっかりと着いてくる。そこに、併走する七色の光を想像で描きながら、洋介は一度見たことのある「本気のライツ」を思い出していた。
(そりゃ、おまえだろうよ)
勝敗は明確だった。
その本気がなければ、今こうして生きていられるのかも分からない。そんな贔屓は確かにあるけれども、あの時のライツはとてつもなく速かった。
(新幹線とは、どうだろうなぁ……)
そんな空想上の対決をいくつか繰り広げていたら、あっという間に降りなければいけない駅につくことができたのであった。
繁晴に聞いていた会場となる場所は駅のすぐ側にあった。複数階ある複合施設だ。その三階にある書店が目的地だ。
「ちょっと早く来すぎたなぁ」
買い物待ちの父親ではないか、と思われる人物が複数ぐったりとしている広場で洋介は時計を見上げていた。小一時間ほど、指定された時間までは余裕がある。早めに書店にいておくにしても、ここから直行は早すぎる。
とはいえ、ブラブラとウィンドウショッピングなんて趣味は洋介にはない。本気の買い物をするには所持金が心許ない。
「『幻遊剣士』は買っときたいけど、それは本屋に行ってからだなぁ」
ちなみにサイン用にと、繁晴から借りた本をそのまま持ってきている。それに書いてもらってきてほしいというのが、彼の要望である。
そんなことしたら読みづらくなるのではないか、と洋介が繁晴に尋ねたところ、返ってきた答えがこうだった。
――もう一冊あるから大丈夫。本当はそっち、保存用だけど仕方ないよな。
「保存用って、なんなんだろ」
自分の知らない文化を、さも当然のように言われても洋介は戸惑うしかない。さらに「保存用と布教用を一緒にしてたらダメだよなぁ。金が許せば三冊欲しい」と続けられても全く意味が分からない。
(あとはどっか、喫茶店かなんかで時間を潰すか。いや、でも僕一人はちょっとなぁ。どんな風に見られるか分かんないし)
通りがかった店の窓際、同年代らしい男女が座席に座って談笑している光景が目に入る。
「むぅ」
正直な話し、洋介はちょっと彼等が羨ましい。しかし、自分からそういった状況を作り出す勇気は洋介にはない。そもそも、あんな風になって平常心でいられる自信がない。
(いやいや、僕は何を想像してるんだ)
非常に具体的になりつつあった妄想を、洋介は大きく頭を振ってかき消した。想像上ではよく知った少女が目の前に座っていたが、気の迷いだったことにする。
今日は時間の使い方を模索する日が多いと洋介は思う。ここ最近は、色々としなければいけないことが多かったからか、自分で考える機会がなかった。慣れない思考は、良い考えを思いついてはくれない。
ふらっと、目的意識もなく歩んでいた洋介の意識に、ふと妙な感覚が生まれた。
「うん?」
それは微かな違和感。
周囲の人々は、何事もないように思い思いの行動をとっている。日曜日、家族連れで賑わっている通路。普通に見れば、何の事件もない日常の光景。
「えっ」
しかし、洋介の目には明らかに異質なものが映っていた。
人の波を縫うように残されていく金色の粒子。その先端には、光り輝く光球があった。
洋介は思わず後ろについていく。その間も、ふわりふわりと重力に逆らって、前から来る人を避け、同じ方向を行く人を追い越し、光はどんどん先に進んでいく。
見失わないように洋介がそれを追っていく。少し、距離が縮まったところで、その粒子をこぼしているものがいったい何なのか、はっきりと目に入った。
(翅?)
そう、その光の正体は翅の生えた小人であった。背中しか見えないが、間違いなく己の意思で羽ばたいているのが分かる。
(あんな妖精妖精してるやつ、初めて見た)
洋介は、おそらく彼しか分からないであろう、えもいえぬ感動を覚えていた。
どちらかといえば妖怪だったり、見た目は単なる小人だったり、人間と同サイズだったり。洋介が知っている妖精族というのはそんな者達だ。
しかし、目の前を飛んでいる者は違う。まさしく童話や物語で語られるような小妖精だった。
人の肩にのるほどの大きさで、背中に二対の翅が生えている。目をしっかりとこらして、注意深く見ないと輪郭がぼやけてしまうほどの光にそれは包まれていた。
それは後をつける洋介に気づく様子も見せず、ある店に飛び込んでいく。有名なファストフードチェーンだ。さすがに注文することも決めずに中に入っていくこともできず、洋介は外で立ち止まる。
それから遠ざかると、人の姿や翅は見えなくなり、ただの浮遊する光の珠にしか見えない。
その光は、ふわりふわりと、カウンター席の様子を伺っているようだ。ある場所に立ち止まる。そんな光景をじっと洋介は見ていたが、ある一瞬、まるで幻のように光は消え去ってしまった。
「あっ」
しまった、と洋介は悔やむ。どれだけ店の中を見ても、もうその姿を見ることはできない。
できれば声をかけてみたかった。あんな風に、普通に人間の生活圏にいる妖精を見るのは初めてだ。もしかしたら、ずっと生き残っていたのか。それとも、ふらりと妖精界から遊びに来たのか。
昂揚していた洋介だったが、あることに思い当たって周囲をきょろきょろと確認してみる。その後、彼の心は一気に冷え込んでしまった。
(……でも、やっぱり誰にも見えてないんだな)
この感動を分かち合える相手が、いない。そんな事実に、洋介は深く嘆息するのであった。




