第2話 幻遊の剣士
今日もポツポツと、窓際に座る洋介の耳に雨がガラスをうつ音が聞こえてくる。
それは洋介が高校に進学してから月日は流れ、窓の外に見える空は梅雨時特有の厚い雲に覆われてしまっている頃。
初めての定期テストを終えて、どこか浮足立っているクラスの空気に反して洋介は渋い顔をしていた。
テスト自体は自分なりによくできたと洋介は思っている。もちろん、本来の目的である学内推薦を狙うとすれば物足りない点数ではあるものの、一時期の低迷具合を考えれば「よくぞ持ち直した」と自分で自分を褒めてやりたいほどだと洋介は思っている。
課題をこなせないことが続いたときは、この学校に進学したことを後悔したほどだ。それに比べれば、まだ未来は明るい。
「それでなに。今度は何を持ってきたんだよ」
そんな少しは気が楽になっているはずの洋介がが眉を中央に寄せている理由は、繁晴に話しかけられたからだ。剣呑な物言いに、さすがの繁晴も次の言葉を出すのに躊躇していた。
(あれぇ、おっかしいな。最近、普通に話せるようになってきたと思うんだけど)
繁晴の考えている通り、ここ最近、洋介は彼に話しかけはしないものの会話のキャッチボールくらいはしてくれるようになってきた。繁晴の熱意に洋介が根負けした格好ではあるが、そもそも踏み込んでくる相手は極力受け止めようとするのが澤田洋介という人間である。
「何だよ、黙って。僕の方から話すことなんてないんだから、用があるならさっさとしたら」
それがどうだ。今日はどうも洋介の発する言葉一つ一つが刺々しい。自分が何かしただろうか、と繁晴が思いを巡らすも何も思いつかない。
それもそのはず、洋介の心に刺さっていたのは繁晴の何気ない一言だったからだ。
――だれ、あの美人。洋介の知り合いだったら紹介してよ。
その言葉は、わざわざ別のクラスから洋介を訪ねてきた井上優香を見て発せられたものだった。
繁晴からすれば男子同士の軽い世間話のきっかけ。しかし、洋介はそれを脅迫に近いものに感じていた。
中学時代に、優香の弱みを握ろうと洋介に近寄ってきた人物を見破ってからというもの、洋介は自分を介して優香に接触しようとする人物に強い警戒心を抱いていた。
受け入れ始めたとは言っても、繁晴にはそこまで心を開いていなかった洋介は、繁晴が洋介と単純に友達になってみたいと思っているということを想像できていない。
そんなこともあって、現在、洋介の繁晴に対しての警戒度は最高値に達してしまっているのであった。
「あ、あのさ。ちょっと手伝ってもらいたいことがって……。洋介って、日曜日暇だったりする?」
「……日曜日なら何の予定もないよ」
それでも嘘をつけない辺り、洋介は人が良い。
テストを受けたばかりの時は何の手応えを感じてはいなかったから、もしかしたら追試になるかもしれないと思っていた。だから、洋介はこの週は何も予定を入れていない。
繁晴はちゃんと返事をしてもらったことと、洋介に予定がなかったことに安堵して大きく息を吐く。
「ああ、よかった。それなら、ちょっと代わりに行ってもらいたいところがあって」
繁晴は、しかたないから聞いてあげようという姿勢になった洋介に向けて語りだす。
どうやら、繁晴の頼み事とは何かしらのイベントに代理で出席してほしいということらしい。そこまで有名というわけではないが、彼が最近好きになったという小説家が初めて公の場に顔を出してサイン会を開くのが日曜日なのである。
とはいえ、やはりあまり表に出ることを好まない人らしく、実際に小説を購入した人を対象に数を絞って整理券が配られたという。
繁晴はその券を運良く手に入れたのだが、その指定された日時に用事があって行けなくなった。それで代わりの人物として洋介に白羽の矢が立ったのだ。
そんな話を聞いて、洋介はわざとらしく嘆息する。
「別に僕じゃなくても、他の人だっていいだろ」
洋介の知り限り、繁晴の交友関係は幅広い。そんな彼がわざわざ自分に話しかけてくるものだから、先述の優香関連の懸念が洋介に生まれる原因になっている。
ただ、続く繁晴の言葉に洋介はなぜ自分に頼むかという理由が腑に落ちた。
「その日、検定があることを忘れてたんだよ。頼む、部活入ってなくて、さらに検定を申し込んでないの洋介しか思いつかない」
「ああ」
この高校に入学した時のオリエンテーションで外部試験の話があったことを洋介は思い出す。ほとんどの生徒は級や点数を外部に認定してもらえれば受験に有利になると聞かされて申し込んだはずだ。
洋介はすでに春の課題でいっぱいいっぱいだったので、そんなものを受けるとなったら自分の許容量を軽く超えてしまうと思って止めておいた。
高校の授業と課題だけで翻弄されている現状を見れば、その予測は正しかったと洋介は思う。
「まぁ、僕にしか頼めないということは納得できたけどさ」
問題はその内容だ。
「サイン会、だっけ? そういうのはファンの人の為にするものだから、知らない人間がいったら迷惑だろ」
作者のことを考えても、本当は外に顔を出すのは嫌がっているという話だ。それでもイベントを開いたのは、ファンの人に実際に会ってみたいという願望を我慢できなかったのだろうと推測できる。
そんな場所に、無知な状態で足を踏み込む勇気は洋介にはない。
「それは確かにと、俺も思いますんで」
繁晴がいそいそと鞄の中を探り始める。それを見て、「しまった」と洋介は舌打ちをした。
「ここにありますのが、現物です。洋介にはぜひ、一度読んでいただきたい」
妙な口調になって商品をおすすめしだした繁晴を、洋介は遠い目で見つめていた。
「プレゼンの時間はもういいよ」
さんざん聞かされた繁晴の口上が始まる前に、洋介は制した。繁晴が語り始めると休み時間が全て費やされてしまう。
「あ、そう。じゃあ、いいや」
繁晴はあっさり話を止めた。洋介は最近気づいたことであるが、繁晴は特に語りたいわけではなく洋介が聞いていてくれるから話し続けていたのだ。
なぜ、最初からはっきり嫌だと口にしなかったのか。そんな事実に気づいたとき、洋介は自分の受け身な姿勢を悔いた。
「とりあえず、これを読んで気になったらでいいよ。ファンになれば、洋介は行きやすいんだろ?」
洋介に商品紹介を一度断られてからは、繁晴は趣味を理解してもらうために自分が語るより、まず洋介に経験してもらう方向に切り替えた。
結果的に彼の趣味で自分に合うものは一つもなかったが、洋介は繁晴がそういうアプローチでこられるとなかなか断れない。結果、洋介は繁晴と少しだけ共通の話題ができるようになってきた。
「う~ん、分かった。そんなに言うなら、一度読んでみるよ」
今回も、洋介は素直に繁晴から本を受け取るのだった。
「返事は明日でいいからな~」
繁晴は本を渡すと、すぐに教室から手を振りつつ出ていった。どうやら、洋介への頼み事は数ある用事の中の一つだったらしい。
(慌ただしいやつ……)
短く息を吐いて、洋介は繁晴から手元の本へと視線を移した。
本の表紙には剣と、銀色の髪をした少年が描かれている。装丁は若者向けのものなのだが、全体的に古風な雰囲気が感じ取れる。
題に使われているフォントが重々しいからか。洋介は、その字を読んでみる。
「『幻遊剣士』ね。……意味が分からないけど、中には意味書いてあるのかな」
――その人、ネットで調べても経歴分かんなくてさぁ。
繁晴が語っていた作者についての情報を思い出して、洋介は作者名を確認する。
「ん、天宮……美空?」
洋介はそれを見て首を傾げる。その名前がなぜか心に引っかかったのだ。
タイトルと違って、おそらくペンネームであろうことが分かりやすい名前。それのどこが気になるのか。
(どっかで聞いたことあったような……)
洋介は思い出そうとしてみたが、なかなか思い出せない。
「まぁ、いいか」
思い出すことを諦めて、洋介は手にした本を鞄の中にしまいこんだ。受け取ってしまったからには、明日までに少しは目を通さなければいけない。
願わくば、少しは自分の好みに合いますように。洋介は小さく祈った。




