第1話 伝説の歌姫
「それでなに? また性懲りもなく何か持ってきたのか」
洋介はぶっきらぼうな口調で目の前の級友を睨みつけていた。
彼の通う市大付属高校は、名前の通り市立の公立学校である。しかし、その堅そうな名前や、古風な学生服からは想像しづらいくらいに校内は自由な空気に満ちあふれていた。
この高校に人が集まる、その人気の一端は、そんな校風も担っているのだ。ただでさえ有名私立に比べると心もとないが高い進学実績がある。それに加えて雰囲気も良いとなれば、自ずと人が集まってくる。
そんなわけで生徒を縛り付ける校則も、比較的緩めだ。それは偏差値が高い故に「そんなこと決めなくても分かるでしょ? 常識なんだから」の範囲が広いことも理由としてあげられる。
そういえば中学の頃の方がよっぽど締め付けが強かったな、と洋介は遠い目をして思い出していた。
(学校に関係のないものを持ち込んでも誰も注意しないんだから。先生だって、さっき見てたろうに)
彼がそんなことに思いを馳せているのは、目の前で行われていることから逃避するためだ。
携帯電話を手に机に資料を並べて、プレゼンテーションの準備を進めている変わり者が、意気揚々とした態度で洋介の前に対峙している。そんな彼を、洋介はうんざりとした気持ちで見つめていた。
「よーし、今日こそ洋介が気に入るであろうものを持ってきたぞ」
ちなみに、彼は洋介の冷たい視線の意味に気づいている。しかし、己を鼓舞するかのように陽気な声を出していた。
ちなみにではあるが、市立付属では授業中でなければ携帯電話を使うことは自由である。風紀を乱すような使い方をする者がいないのだから、禁止する理由がないのだろう。
中には映画研究会の部室から、教室へと大きなデスクトップパソコンを持ち込んだツワモノもいたらしい。さすがにそれは注意されたようであるが。そんなものを持ってきても置き場所に困るだろう。教室でも映像編集の続きをしたかったそうだが、ものには限度がある。
それに比べれば目の前のコレはすぐに片付けられるし、息抜きの遊びの範疇になるのだろうが同時に洋介は思う。
人の了解を得ずに思想を押し付けるのは風紀を乱すことにはならないのだろうか、と。
(ならないんだろうなぁ)
洋介は短く息を吐いた。
「今日はこいつ。人気絶頂の最中、突如として芸能界を去った伝説の歌姫っ」
洋介の前で目を輝かせているのは角田繁晴。
高校に入って、なかなか交友関係を広げようとしない洋介に興味を持ち、事あるごとに彼に積極的に絡んでいた。
しかし、その方法がお互いの趣味を共有しよう、などと言う手法なせいで洋介は彼に全く心を開いていない。
そもそも、洋介は自分の好きなことを他人に話すことに強い抵抗を感じているのだ。こんな、言っては悪いが得体の知れない相手にベラベラと話せるようなら、洋介の人見知りはとっくに解消できている。
そして、まず自分からと語りだした繁晴の話にも問題がある。
彼一押しのレトロゲームなんて話をされても、そもそも電子機器が苦手な洋介は、その面白さを想像することもできない。
洋介が積極的に繁晴と話すことはないから、繁晴から話しかけては、そんなことを繰り返している。そして毎度、彼の話は興味を惹かれない洋介は、その押し付けに対して常に冷ややかな態度をとっていた。
そうなると、繁晴も意地になって「何とか洋介に分かってもらおう」と事前準備がどんどんと大げさになっていった。
パソコンで作成した資料も、理路整然としていて素晴らしい出来である。内容が芸能関係でなければ会社で提出される資料のようだ。
繁晴は全ての準備を終えて、眉を寄せている洋介を真っ直ぐに見た。
(うん、負けない。俺の前だとこうだけど、基本こいつは穏やかだし。この前みたいに話に食いついてさえくれたら……)
なかなかに冷たい視線を洋介から送られてめげそうになった繁晴だったが、気持ちを奮い立たせた。一度洋介が話を聞いてくれたことを心の支えにして。
ちなみに、その話を聞いていた時だって洋介は「ライツが好きかもしれない」と思って、しっかりと聞いていたに過ぎない。プロレスラーの逸話が洋介自身の琴線に触れることは、今後もないだろう。
結局、繁晴の趣味は洋介と壊滅的に合わないのだ。
「それで……歌姫だったっけ。僕、歌手とか全然分かんないんだけど」
しかし、根が優しい洋介はここまで準備した繁晴の思いを無下にすることはできない。しかたがないので、早く話を終わらせてもらおうと、洋介は話を促した。
「いや、洋介さん、騙されたと思って一曲聴いてみてごらんなさいよ。この人は別格だから。その声が耳に入っただけで、魂が震えるから」
ホレホレと、繁晴は自分の携帯電話に繋がったイヤホンを差し出してくる。渋々受け取って、洋介は自分の耳にそれをあてた。
「……?」
その瞬間、洋介の目が大きく見開かれる。
彼の耳に、伸びやかな歌声が響く。決して、高くはない質の音源で安物のイヤホンだと言うのに、そんな劣勢を跳ね返すほどの衝撃が洋介を襲った。
(いや、違うな)
最初の一発で麻痺していた感覚が戻ってくると、洋介は若干冷静になって音を聴けるようになった。
古臭い印象の強い楽曲の音も、確かに綺麗な声であるが「歌姫」とやらの歌声も、あまり他の歌手を知らない洋介の素直な感覚から言ってしまえば、決して上等とは言えない。
それなのに、最初に聴いた時のあの衝撃はどこからやってきたのか。繁晴の「魂が震える」とは言い得て妙な表現だったようだ。洋介はその原因を探るのに躍起になっている。
油断をすれば、また心を持っていかれそうになる。その要因はどこか。
『愛する、という言の葉がいっそ枯れてしまえばよかったのに。苦しい、と唄うには今日も空は青すぎて』
(歌詞か)
あまり洋介には共感しづらい、かなり年上の男性への恋心を歌ったものであった。しかし、分からないはずなのに、その切ない感情が彼にも突き刺さってくる。
その度に、洋介の頭に歌詞通りの絵が浮かんでくるのだ。これはなかなか得難い経験だと、洋介はしばし夢中になっていた。
「な、すごいだろ。この人」
ニヤニヤと笑っている繁晴の顔に気づいて、洋介は現実に引き戻された。イヤホンを外して、洋介はそれを繁晴に突っ返す。
「確かにすごかったよ」
憮然とした表情に変わった洋介であったが、繁晴が聴かせてくれた歌に関しては素直に感嘆した。そんな洋介の様子を心底嬉しそうに繁晴は顔を綻ばせる。
「だろ、すごいだろ。『美空』はさ。歌だけじゃなく……いや、歌よりも演技の方がすごいんだぜ。それなのに、数年前から急に活動しなくなっちゃって」
ベラベラと語りだした繁晴の解説を右から左へ受け流しながら洋介は心の中で、その名前を反芻する。
(美空、ね)
繁晴のプレゼンテーションは珍しく洋介の心に届き、彼女の名前が洋介の記憶に刻み込まれた。
その名を、思いがけない場面で聞くことになろうとは、この時の洋介は知る由もなかったのであった。




