第18話 咆哮せし幻想種
しばらく、周囲を歩き回っていた海人はある場所で止まって、そこを入念に調べだした。
高いビルが建つのだろう、骨組みだけができている工事現場の入り口近く。昼は多くの人が働いているのだろうが、今は海人の足音だけが聞こえていた。
ちなみに、ライツは浮いてついてきているので足音はない。翅音も聞こえないのが海人は不思議だったが、よく見てみると羽ばたいていなかった。
(あれで飛んでるわけじゃないのね)
よく思い出してみれば、別にシーリスも羽ばたいていなかったように思える。サイズの違いから、シーリスの時は気にならなかったことが、ライツを見ていると気になった。
「……ここかな」
海人は目星をつけた場所をぐりっ、と足で踏みしめてみる。その足の跡から、常人には見えぬ黒煙がもやっとたった。
「うん、間違いない」
この場所を見つけるまでに、思ったよりも時間がかからなかった。ライツが事前に周囲の黒い靄を取っ払っておいてくれたから、いつもよりは気配が薄く、その気配の出処を用意に探ることができた。
あとは、仕上げをするだけ。それが終われば、今日の怪異も無事に終幕となる。
(まぁ、その仕上げがいつも重労働なんだよな)
今までのことを思い出しつつも、大きく息を吐いて海人は覚悟を決める。紫の瞳を鋭く光らせて、世界にできた傷跡を認識しようと目をこらした。
ある日を境に幻想に踏み込んだ海人の目。その感度をさらに高めていくと、一筋の裂け目が彼の目に映った。海人が立っている場所より、さらに奥へともう一歩だけ踏み出したところだ。海人はその一歩を踏み込むと、姿勢を整える。
「あんたはちょっと下がってな。……どうなるか分かんないから」
「うん、分かった」
興味津々、といった様子で上から海人の所作を覗き見ていたライツはこくんと頷いて、ふわりと柔らかい動作で後ろに下がっていった。
「素直でよろしい」
その様を見送って、海人は剣先を地面に向け、柄を両手で掴んだ。
このまま剣を突き刺して、地面に力を送り込めば世界の傷は癒える。しかし、同時に膿のように溜まっている魔界の悪意を、根こそぎ取り除かなければならない。
その時、世界の狭間で鬱積していた黒い靄が一気にこちらの世界に噴き出すのだ。そうなると、何が起こるのかはやってみなくては分からない。
(さて、鬼が出るか、蛇が出るか)
経験則で言えば、いわゆる「ボス級」の敵と戦わなければならないことを海人は知っている。
(それでも、これまではあれぐらいの大きさだったからなぁ。今回はどうなるんだろう)
ライツを襲ったサソリ型の獣を思い出す。少し、覚悟が揺らいだ海人だったが、もう一度大きく息を吐いて心を静める。
これが最後だ。
そう、本当に最後になるまで、自分は「英雄」を演じ切る。それが海人の、この仕事を引き受けた時にした決意である。
「よし、行くぞっ」
海人は力を込め、一気に地面の奥深くまで剣を突き刺した。
「ぶはっ」
途端に、凄まじく濃厚な靄が海人の顔面を襲った。これでは、周囲のことが何もわからない。濃密な空気の中では、息もできない。かろうじて、地面だけは見える。
そんな状態でも手を離すことなく、海人は地面に力を送り込み続ける。
(まだか、まだか……おい、まだかよ。さすがに長いぞ。そろそろ呼吸が……)
じわじわと、世界の傷が塞がっていく感覚がする。それでも、あとちょっと。完治までには時間がかかる。
「ようし」
ようやく、裂け目がなくなったことを確認した海人は剣を地面から抜き、一気に後ろへと跳ねた。
「ぷはっ」
気配が薄くなったところで、呼吸を再開する海人。しかし、長いこと息を止めすぎていたようだ。酸素が足りなくて、足に力が入らない。
そのままの勢いで後ろに倒れそうになると、海人の背中を暖かいものが支えた。
「大丈夫?」
倒れそうな海人を後ろから抱えたライツが心配そうに海人の顔を見る。
(うわっ、まつ毛長っ)
身長差から、ライツが海人の顔を上から覗くような形になっている。背中の翅がもたらす明かりのせいか、ライツの整った顔がより鮮明に海人の目に飛び込んできた。
「いえ、大丈夫です」
なぜか急に敬語になった海人は、ライツにもたれかかるようになっていた姿勢を慌てて矯正する。
その態度を不審に思って首を傾げるライツだったが、海人が本当に平気そうなことを確かめてから、視線を空に送った。
じっ、と見つめる瑠璃色の瞳。その目が、急に険しくなった。
「ん?」
その視線につられて、海人も空を見る。黒い靄が薄くなってきたことで、夜空に月はなくとも星が輝いて見えた。
しかし、その輝きを大きな黒い影が遮っている。それもかなりの広範囲を。
その黒い体の表面は、ところどころ隆起していて、まるで鱗のようだ。その巨体だけでなく、広げた翼で空を覆い隠している。それは口を開いた。やはり、他の獣の例に外れず牙だけが白く光っている。
それは吠えた。
周囲の空間が震える。音のない叫びが地面にまで響き、見上げる二人の体をビリビリと痺れさせた。
(トカゲ……いや、竜種か!)
予想はしていたものの、出てきた黒い獣はかなりの大型だ。その雄々しい姿を目の当たりにした海人は、自覚のない震えに襲われていた。




