第15話 恐れに打ち勝つ
(えっと、これからどうしよう)
あれだけ大きく見えを張ってみたが、ライツにこれといった計画があるわけではない。ただ、どうしても許せないから啖呵を切っただけなのだ。
サソリに対しての恐怖感も未だに残っている。行動を決めなければ、また悪意に飲まれそうになるかもしれない。
とにかく、全力でぶっ飛ばす。
その方針に変わりはないが、さて、どのようにぶっ飛ばせばいいだろうか。
まず思いついたのは、あのサソリの巨体を真正面から投げ飛ばすことだ。『|獅子を屠りし蛮勇の剛者』を使えば、どんな重量でも問題はない。
(ううん、ダメだ。これじゃあ、ぶっ飛ばせない)
ライツはこれまで相手にした黒い獣を思い出す。そのどれもが、実体のない霞のような存在で、どれだけ杖をぶつけても手応えがなかった。
『永劫尽きぬ清廉な水源』で浄化を繰り返しても、こうして再び別の何かが生まれる。そんな得体の知れない相手に対して考え無しの突撃は危険だ、ということはライツにだってわかる。
目前のサソリだって、見た目はああでも、実際は何なのかライツにはつかめていない。近寄るだけで、もしかしたら、さっきのような悪意に飲まれるかもしれない。
そして、何より、蛮勇の剛者の弱点としてサソリがいる、なんて絵がライツの脳裏に焼き付いているから、勝利するイメージがライツには湧いてこない。
ライツの未知なる可能性を活かすも殺すも、彼女の想像力にかかっている。その想像に綻びがあったら、必ずそこから術が破綻する。
――覚えとくと良いよ。その夢は、きっと、おまえが困ったときに助けてくれるから。
洋介が教えてくれた、人間が星に託したという夢。その夢が、ライツの術を形作る一番の材料になっている。
「サソリだって暴れまわる相手を止めた英雄なんだ」なんて教えられたら、『|獅子を屠りし蛮勇の剛者』を使って、自身の恐怖の対象を、サソリを上回れる想像なんてライツにはできない。なにせ、蛮勇の剛者はその止められた張本人だ。
(だったら、そんな怖いのを全部ぶっ飛ばせるぐらい、本当の、本当に全力で)
相手に実体があろうが、なかろうが関係ない。怖いものにだって、真っ向からぶつかってやる。
ライツは己の力が最大限発揮できる術を放つために、杖を持たない左手に意識を集中させる。想像するのは、運命を拓く、天まで届く矢。
「流れる星の……」
しかし、そんなライツの行動は思わぬことで中断させられた。
「いいぞ、よく吠えた!」
「ふえっ?」
急に頭から降って来た賛辞の声に、ライツは思わず上を見上げた。
「自分の恐怖を前に、正面から立ち向かうなんて、なかなかできることじゃない。それができただけで、この勝負、あんたの勝ちだ」
空間にできた裂け目に腰掛け、少年は満面の笑みでライツを讃えている。
ライツは知らない。
その少年が、洋介と少し前に出会っているということを。
(いや~、しかし、毎度思うことだけど高いよな)
ライツに余裕を持った笑顔を見せながら、海人の内心は汗だくだった。
普段の生活で高いところは極力避けている。それがどうだ。今は地上から十数メートルは離れたところで、椅子よりも不安定な場所に腰掛けている。
「あんたさ、これって嫌がらせか何か? 毎度、毎度、何もこんな高いところに扉開かなくてもいいじゃないか」
海人はライツには聞こえないほどの小さな声で、表情を崩さずに後ろにいる誰かに話しかける。
「貴方こそ、忘れた? 低いところに作ってもいいけど、それじゃあ転移先の誰かや何かにぶつかっても知らないわよ、って私、言ったじゃない」
ぐいぐいと空間の裂け目を上に引っ張り上げながら、シーリスは不満げな顔で海人に応えていた。
光の本質は「有を無にする」こと。その本領を発揮したのが、シーリスの空間転移である。
本来有るはずの距離を一気に無にする、それが光妖精である彼女の得意な術だ。
(へぇ~、あんな術があるんだ。あれだと、洋介のところにもすぐに行けるよね)
ライツは目の前にいるサソリのことも忘れ、無邪気にシーリスの術を見て笑っている。
「ふぅ……はぁ……」
海人はざわめく心を鎮めようと深呼吸を繰り返す。高所だからだけではない、これからすること、しなきゃいけないことへの恐れが海人の心をかき乱す。
(落ち着け、落ち着け。あの子だって、自分の恐怖に勝ってたろ)
ここには少し前に到着した。ちょうど、ライツが黒い獣に誘い込まれそうになっていたところだった。
これは危ない、すぐに飛び降りよう。そう海人が思った瞬間にライツが「うっさぁーいっ!」と叫んだ。それに彼もひるんだのだ。
ちなみに滑り落ちそうになって、何とか今の体勢にまで戻ってきたのは秘密である。
(そうだ、演じろ。母さんみたいに、今の俺に必要な役を演じきるんだ)
海人の母、美空は若い頃から周囲の期待に答え続けた。本人は海人の叔父にあたる兄と一緒に小さな劇場で脚本を書いていたかったそうだが、彼女の才能を周囲がほっといてくれなかった。
アイドル的な役割を押し付けられては、本人は好きな人すらいなかったのに恋愛の歌を歌わされた。やりたかった演劇の仕事で全力を出せば、彼女の演技のせいで霞んでしまった主演俳優に嫌がられて降板させられた。
そんな大人の事情に翻弄されて、さぞ苦しかったろうと海人は聞いたことがある。しかし、彼女は笑って、こう言ったのだ。
――でも、みんな喜んでくれたのよ。私はそれでいいわ。それに、歌の仕事してたから父さんにも出会えたんだしね。
美空は本心からそう言って、いつも父との惚気話に繋げてくる。
(敵わないよな、ほんと)
母のことを思い出して、海人の心の波がずいぶんと穏やかになる。
(俺は、俺の考える英雄を演じきる)
これならいけそうだ。
「シーリス、着地までに頼んだっ」
海人はそのまま、黒い靄が充満する前方へと飛び降りた。




