第14話 恐怖の権化
土地を浄化しつつ、空に虹をかけていたライツは自分の力が及ばない場所を見つけた。どれだけ、綺麗にしたいと意思を込めて雨を降らせても、そこだけは黒いままなのだ。
(あそこだ)
ライツは意を決して、その黒に飛び込んだ。
「うっ」
ライツは降り立った瞬間、あまりの嫌悪感に顔を歪めた。
新しく開発するために、空き地の多い場所だ。普段は工事の音でうるさいそこは、やはり静まり返っていて気味が悪い。
それだけではない。夜目が効くライツですら視界が悪くなるほどに、黒い靄のようなものが充満していた。
(これのせいで弾かれてたのか)
ここまで濃いと浄化の水は地面にまで届かない。少し綺麗にしたところで、すぐに元に戻ってしまう。
しかし、同時に分かったことがある。
(ここだ。ここを何とかしないと)
ライツの術が届かないほどの濃密な歪んだ力。それはこの体にまとわりつく不快な感じを生み出している源泉が、この近くにあることを示していた。
「んっ?」
ふと、ライツは自分の目の前の地面が揺れた気がした。
(ううん、気のせいじゃない)
揺れた、と一瞬思ったその場所は次の瞬間にうねりだした。ポコッと、沸騰する湯のように地面が膨らんで弾ける。
その弾けた場所から、何の形にもなっていない黒いものが生まれ出た。
それは一つではない。無数の、続々と湧き出てくるそれは、じわじわとライツの方に滲みよってくる。
いつの間にか、その黒い虫のような存在にライツは取り囲まれている。
しかし、ライツはそんな恐ろしい光景にもひるむことはない。
「これだけ近かったら、霧とか靄とか関係ないよね!」
意気揚々と杖をぐるぐると目の前で回しだした。ライツは、この周囲に敵意しかない状況でも、「いつも通り」を貫く。
ライツにできること、それはいつだってライツがやりたいことだ。
「『永劫尽きぬ清廉な水源』よ!」
術の発動。そして同時に、そのまま杖を片手で回しながら右足で地面を蹴り、左の爪先を軸に体を横回転させる。
杖から水がほとばしり、ライツを中心に水の渦が生まれる。その激流は、周囲の黒のことごとくを洗い流す。
ライツが体を一周させた頃には、あれほどいた虫達は一掃されていた。
しかし……。
「ん~、きりがないなぁ」
ライツは渋い顔をして、首を傾げた。綺麗に流された黒が再び大地から湧き出してくる。
おそらく源泉を潰さねば、何度浄化したとしても同じことの繰り返しになってしまうだろう。それだけは避けねばならぬ、とライツの本能が訴えている。
(ここ、ちょっと息苦しい)
ライツの翅の輝きが、若干ではあるものの薄れてきていた。その光はライツの命そのもの。光を失うということは、死に近づくことを意味している。
一度だけ、こんな力尽きる感覚を覚えたことがライツにはある。対峙した相手の結界内で術の行使を続けた結果、翅を光らせている力を使いすぎたのだ。
そんな事態になってしまえば、どうなってしまうかわからない。あの時と違って助けてくれる人が今は傍にいないのだから。
(どこも気持ち悪くて、どこが一番なのか分かんないなぁ)
同じ臭いが充満しているところでは鼻が効かなくなるように、ライツの感覚はかなり鈍っていた。
この場所は、とてつもなく歪んでいる。ライツが呼吸をするように周囲から集めている自然の力が、ここは異常なほどに少なかった。
この濃厚な悪しき気配のせいで、本来ライツの味方をしてくれるはずの無数の精霊達が逃げてしまっているのだ。無意識に精霊から力を借りているライツが息苦しさを覚えるのも当然のことである。
そんなライツの背後に、ひたりひたりと忍び寄る黒い影。
「ん?」
その気配に気づき、杖を握りしめて振り返ったライツの表情が固まった。
身の丈はライツの倍はあろうか。黒々とした体のそれは四対の足をゆっくりと動かしライツに迫る。その頭の上に、威嚇するように一対の触肢を両方とも大きく掲げていた。
そして、それよりも、何よりも目立つのは長い尾。その先に、キラリと白い針が見える。
それを見た瞬間、ライツの背中に悪寒が走った。
(サ、サソリ!?)
ライツがどうしても好きになれないもの。ライツにとって、全ての負の象徴。実物は見たことはない。それでも、一度も見たくないと思っていたもの。
それが、彼女の目の前に具現化していた。
無意識に手先が震える。呼吸がますます荒くなっている。準備していたなら耐えられたであろう恐怖が、ライツの体を支配する。
その、ライツにわずかに生まれた隙間を、黒い意志は見逃さない。
「なに、これ……」
違和感に気づいたライツは身構えるも間に合わない。彼女の心の隙間に、黒い触手が伸びていく。
(うぐっ、気持ち悪っ)
先程から感じていた気味の悪さが、ライツに直接流れ込んでくる。
色々なものを自分に背負わせてくる母や、どこか自分と距離をとってくる他の星妖精に対する不満。やりたいことはたくさんあるのに、自分の思い通りにならないことへの怒り。最近分かってきた人と自分達との違いに、洋介との距離を感じてしまった悲しみ。
――そんな面倒な世界、一緒に壊してしまえば楽になるのに。
そうした、わずかではあるものの、ライツの中にある負の感情を逆なでしてくる声が頭の中に鳴り響く。
(これ、あたしを呼んでた声と同じ……!)
そこで気付いた。洋介を除く人間達が、なぜ引き寄せられていたのか。この声が、強制的に呼んでいたのだ。声の主が、呼び寄せたものの精神を己の仲間に引き入れるために。そして、自らの糧とするために。
ライツは無意識にこれに対抗していた。だから、平気だったのだ。
しかし、現状、ライツはサソリに対しての恐怖で心が裸になった。無防備にさらした隙間に悪意はつけこんでくる。
「んぐぐ」
ライツは歯を食いしばる。耐えれば耐えるほど苦痛が襲ってくるが、それよりも何よりも、この声が甘く誘ってくる文句がライツは気に入らなかった。
(壊す? 何で? あたしはこの街が大好きなのに?)
確かに母の領域で過ごしている時は不満が大きかった。他の星妖精達のよそよそしさが気に食わなかった。
洋介だって、時々ライツと目を合わせてくれないことがある。どこか遠い目をして考え事を彼がしている間は、ライツを真っ直ぐに見てくれないことが嫌だった。
でも、そんなのは全部小さなことだ。
どんなに親しい相手だって、ライツには知らないことばかり。それが当たり前なんだから。
そんな小さなことより確かなものが、引きずり出されそうな負の感情からライツを護ってくれている。
再度、強く訴えかけてきた黒い意志に対して。
「うっさぁーいっ!」
ライツは全力で叫んで跳ね返した。
その途端、急に体が軽くなる。ライツは、すぐに後ろに跳ねてサソリと距離をとった。
「べーっだ」
そして、恐怖に対抗するために真っ赤な舌をサソリに見せる。
「あたしは、絶対にあなたの思い通りにはならない。だって、ここには大切な友達がいるんだから。それを壊すって言うのなら……」
手の震えは止まっている。ライツは強く杖を握りしめて、サソリに力強い視線を向けた。
そう、いつだって、支えてくれるのは友達の存在だ。彼は言っていた。どんな困難なことがあっても、ライツならできるって。
その方法は。
「あたしの全てで、ぶっ飛ばす!」
ライツは真っ直ぐな眼で、自身の恐怖に対して高らかに宣言した。




