表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
怪異部は、今日も帰れない  作者: UUJC


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
2/5

2

 家に帰ると、玄関には母の靴があった。


 今日はパートが早く終わったらしい。


「ただいま」


「おかえり。高校どう?」


 リビングから、ほとんど間を置かずに質問が飛んできた。


 高校へ入学してから、毎日聞かれている。


 おそらく母の中では、高校という場所は一日ごとに大きな事件が起きることになっている。


「普通」


「友達できた?」


「その質問、毎日する予定?」


「できるまで聞こうかなと思って」


 かなり長期的な運用が想定されていた。


 俺はリビングへ顔を出した。


 母はテーブルの上で、スーパーのチラシを広げている。テレビでは夕方の情報番組が流れ、知らない店の期間限定スイーツが紹介されていた。


「話す人はいるよ」


「どんな子?」


「前の席の人」


「名前は?」


「……田辺」


 少し迷ってから答えた。


「本当に?」


「谷辺かもしれない」


「それ、話す人って言っていいの?」


「向こうは俺の名前を知ってる」


「一方的に不利ね」


 母は笑った。


 俺は会話を打ち切るため、冷蔵庫を開けた。


 麦茶をコップに注ぎ、一気に半分ほど飲む。


「部活は?」


「入らないかも」


「何か見学してみればいいのに」


「見学したら断りにくくなるだろ」


「入らなければいいじゃない」


「その判断が簡単にできるなら、最初から困ってない」


 母はチラシから顔を上げ、少しだけ考えた。


「じゃあ、入りたくなったら入れば」


「そうする」


 珍しく、話が短く終わった。


 母は、俺が積極的でないことを心配している。


 しかし、積極的になれとはあまり言わない。


 たぶん以前、何度か言って効果がなかったからだろう。家庭内でも、成果のない施策は徐々に廃止される。


「今日、カレーね」


「うん」


「六時半くらい」


「分かった」


 必要な連絡事項だけ確認し、俺は二階へ上がった。


 自分の部屋へ入り、制服の上着を椅子にかける。


 鞄を机の横へ置こうとして、中に入っている部活動のチラシを思い出した。


 取り出して並べてみる。


 野球部。


 バスケットボール部。


 卓球部。


 軽音楽部。


 写真部。


 ボランティア部。


 茶道部。


 どの紙にも、部員が楽しそうに活動している写真や絵が載っている。


 現実の部活動にも、人間関係や上下関係や大会前の練習があるはずだが、そこは小さな文字でも書かれていない。


 不動産広告と同じで、条件の悪い部分は現地で確認する仕組みなのだろう。


 俺はチラシをまとめ、机の端へ置いた。


 すぐに捨てるのも少し悪い気がする。


 だからといって保管する理由もない。


 こういう、処分の判断に困る物が部屋の中には少しずつ増えていく。


 使いかけのノート。


 もう読まない参考書。


 いつか必要になるかもしれない空き箱。


 捨てても困らないが、捨てると決めるほど邪魔でもない物。


 人間の生活は、大きな決断より、こういう小さな保留で埋まっている。


 ベッドへ横になる。


 少しだけ休むつもりだった。


 目を閉じ、次に開いたときには六時二十三分だった。


 高校生活で最初に身についた技能は、制服のまま正確に一時間半眠ることだった。


     *


 翌朝、教室へ入ると、黒板に大きく、


『本日、委員会決め』


 と書かれていた。


 重大な通知ほど、かわいらしい丸文字で書かれる。


 俺は自分の席へ座り、鞄から教科書を取り出した。


 委員会には入りたくない。


 しかし全員が何かしら担当しなければならないなら、早めに被害の少ないものを選ぶ必要がある。


 何もしなければ、最後に残った役職を押しつけられる。


 選択しないことも選択の一つだという言葉があるが、学校ではだいたい不人気な仕事を担当するという意味になる。


「みつき、おはよう」


 前の席の男子が振り返った。


「おはよう、田辺」


「俺、田谷」


「ごめん」


 正解はどちらでもなかった。


「昨日、サッカー部来なかったな」


「行くとは言ってないだろ」


「少し考えるって言ってたじゃん」


「考えた結果、行かなかった」


「判断早くない?」


「体育館に入ったことすらない人間がサッカー部へ行くのもおかしいだろ」


「サッカー部、グラウンドだけど」


「だから行かなくて正解だった」


「何が?」


 田谷は笑いながら前を向いた。


 俺は今度こそ名前を覚えるため、頭の中で二度繰り返した。


 田谷。


 田谷。


 おそらく明日には田辺へ戻っている。


 ホームルームが始まり、担任の教師が教壇に立った。


「今日は委員会を決めます。高校生なんだから、なるべく自分から立候補するように」


 高校生であることが、立候補する理由になるらしい。


 高校に入ってから、「高校生なんだから」という言葉を頻繁に聞く。


 中学生の頃は「もう中学生なんだから」と言われていたので、この論理を採用すると、人間は年齢が上がるたびに自発性が増し、最終的にはあらゆる仕事へ進んで立候補する生物になる。


「まず、学級委員。男女一人ずつ」


 教室が静かになった。


 誰も目を合わせない。


 さっきまで話していた生徒も、一斉に机や黒板を見ている。


 人間は危険を察知すると、集団で視線をそらす習性がある。


「誰かいませんか?」


 教師が尋ねる。


 返事はない。


「中学校で経験した人は?」


 数人が、さらに姿勢を低くした。


 経験者ほど危険性を理解しているらしい。


 しばらくして、前方に座る女子が手を挙げた。


「私、やります」


「ありがとう。男子は?」


 再び沈黙。


 女子の立候補によって、逃げ場が狭くなった。


 男女一人ずつという制度が、急に不公平に感じられる。


「田谷、やれば?」


 近くの男子が言った。


「嫌だよ。お前やれよ」


「俺、部活あるし」


「俺もサッカー入るから」


 二人が小声で押しつけ合っている。


 教師の視線が教室を移動した。


 俺は教科書を見た。


 まだ授業は始まっていないので、開いているページに意味はない。


 それでも、何かを読んでいる人間は指名しにくい気がした。


「みつき君は、中学で何か委員をしていましたか?」


 効果はなかった。


「図書委員を一度」


「では、学級委員はどうですか?」


 図書委員と学級委員の間に、どんな職務上の連続性があるのだろう。


「向いてないと思います」


「やってみないと分からないですよ」


「向いていると分かっている人を選んだ方が効率的では」


 教室の何人かが小さく笑った。


 教師は困ったような顔をした。


 少し言いすぎたかもしれない。


 こういう場面で、俺は断るか従うかの加減がうまく分からない。


 強く断れば感じが悪い。


 曖昧に断れば、了承として処理される。


 社会には、意思表示の推奨出力があるらしいが、誰も数値を教えてくれない。


「まあ、無理にとは言いませんが」


「すみません」


 教師は別の生徒へ視線を移した。


 数分後、田谷が周囲の推薦によって学級委員になった。


「裏切ったな」


 席へ戻ってきた田谷が、小声で言った。


「俺は何も約束してない」


「友達なら代わってくれてもいいだろ」


「いつ成立したんだ、その関係」


「昨日」


「申請を受けた記憶がない」


「じゃあ今した」


 田谷は笑って前を向いた。


 俺は返事をしなかった。


 冗談なのだろう。


 こちらも冗談として返すべきだったのかもしれない。


 けれど、何と言えばよいか分からなかった。


 嬉しくなかったわけではない。


 むしろ、少しだけ嬉しかった。


 そういうときほど、言葉は出てこない。


     *


 放課後、クラスの何人かは委員会へ向かい、残りは部活動の見学について話し始めた。


 田谷も学級委員の集まりがあるらしく、面倒そうに教室を出ていった。


「また明日な」


「ああ」


 返事をしてから、俺は鞄を持ち上げた。


 昨日より少しだけ帰る時間が遅い。


 それでも、予定は変わらない。


 まっすぐ家へ帰る。


 今日は眠らないようにする。


 できれば教科書へ名前を書く作業を終わらせる。


 高校生としては、かなり現実的な目標だった。


 廊下は昨日と同じように、部活動の勧誘で騒がしかった。


 俺は人の少ない方を選び、校舎の端にある階段へ向かった。


 正面階段より遠回りになるが、勧誘を断る回数は減らせる。


 時間と精神的負担のどちらを優先するか考えれば、十分に採算が合う。


 一階へ下り、昇降口へ向かう。


 あと数十メートル。


 今日は誰にも捕まらずに帰れそうだった。


「そこの一年生」


 背後から声がした。


 俺は歩き続けた。


 そこの一年生という呼び方では、対象が広すぎる。


 自分ではない可能性がある。


「黒髪で、鞄が軽そうで、今聞こえなかったことにしようとしている一年生」


 対象が急速に限定された。


 足を止める。


 振り返る前に、少しだけ考えた。


 生徒会。


 部活動の勧誘。


 落とし物。


 校則違反。


 思い当たるものはない。


 それでも、声の主がこちらへ近づいてくる足音が聞こえた。


 逃げるほどの理由もなく、俺は仕方なく振り返った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ