11話
授業が始まると昨日と同じように俺は教室の隅でおちゃめなおっさん先生でお馴染みのユーゴス先生と向かい合う。
「ユーゴス先生、さささっ、こちらを」
「なっ? おまっ、こんなところで渡すやつがあるか!」
「大丈夫だって、他の先生たちもみんなもらってるし」
「はぁ?」
ユーゴス先生が教壇に立っているお姉さん先生を見るとお姉さん先生が俺たちから視線を逸らした。
さもありなん。
「嘘だろ……俺は今までもらったことなんてないぞ」
「ユーゴス先生は、ほら、アレだからさ」
「おい、アレってなんだ、アレって」
「まぁまぁ、いいじゃないですか、ユーゴス先生、こちらはお約束のマフィンでございますよ」
「誤魔化されるか! 俺はもう二十年は教員をやってるのに……」
ユーゴス先生がガックリと肩を落として項垂れる。
「そんなに落ち込まないでよ。今度はクッキーの詰め合わせを持って来てあげるからさ」
「また……マフィンで頼む」
「了解、それでさ、ユーゴス先生にお願いがあるんだけど……」
「なっ、なんだ?」
ワイロをもらった後にお願いがあるなんて切り出されたら、そりゃあ、構えるよね。
「えっと……夏季休暇を取らないとまずいことになりそうなんだよね」
「はぁ? 悪いとは思うがお前には休んでいる暇なんてないだろ?」
「そうなんだけどさ、母さんと領地に行く約束をしちゃってさ」
「おまっ」
目を見開いたユーゴス先生に朝のやり取りを説明すると頭を抱えて机に突っ伏した。
そして、ノルゥがはぁと息を吐くのが聞こえる。
難しい問題でもあったのかな?
「死んだな」
「神が?」
「ちげぇよ。そんな約束するぐらいなら親御さんに殴り込みに来てもらった方が良かったんじゃねぇか?」
「そう? 結構やばいことになると思うけど?」
首をかしげると机に突っ伏すみたいに頭を抱えていたユーゴス先生が少し顔を上げて俺を見る。
「俺がこの学園に通うまでにいくら掛かってると思ってんの?」
「あっ」
「家庭教師って意外と高いよね? 払えんの?」
「はっ、伯爵家嫡男の……教育費……」
ユーゴス先生が言い淀むとお姉さん先生が走って来てユーゴス先生の肩をガシッと掴んだ。
「やりなさい」
「ポーラン先生?」
「まあ、そうだよね、ポーラン先生が担任だから……」
「言わないで、ギリス」
「……はい」
「死ぬ気でやりなさい、やらないと殺すわよ」
目がバキバキに決まってて怖いんですけど……でも気持ちはわかる、下手をしなくてもうちの母さんが賠償金なんて学園に要求したら、責任を一人で背負わされて最悪多額の借金を背負うことになり、軽くてもクビにされると思う。
「がんばって、ユーゴス先生」
「なんで、他人事なんだよ。お前もがんばれ」
「もちろん俺もがんばるよ、だけどさ、あと三年分だし、とりあえず追いつけばいいんでしょ?」
「おまっ、本当アホだな、ここから三年分が大変なんだろうが」
「あっ」
俺が変な声を出すと側に立っていたポーラン先生がカリカリと親指の爪を噛みながらタンタンと地団駄でも踏むみたいに貧乏ゆすりをするので、ユーゴス先生が青くなった。
「ユーゴス先生だけじゃ、不安ね」
「ポーラン先生?」
「学園長先生に相談ね。このままだと、あっ」
ポーラン先生がパッと俺を見た。
「二回目の決闘の内容が無効になった件は?」
「っん?」
「私が報告しています。リシャ様、かなり怒ってました」
「うちにも連絡が来てたぜ」
俺の代わりにノルゥが答えると大柄な男の子が笑う。
ペイン・アズハログリージャ侯爵令息、東の侯爵と呼ばれる王国に二つある侯爵家の一つアズハログリージャ侯爵家の嫡男で、あのクソゲーでは選んだルートによってラスボスになるクラスメイトなんだけど……なんでギリスと同じ悪役令息なのにあんなに背が高くて強そうなんだ。
ティーカッププードルとマスティフぐらいの違いがある。
もちろん俺がマステ……ティーカッププードルだよ!
チビで何が悪い?!
「親父もかなり怒っていた、法はうちの管轄のはずだからな」
「しかし、それは……」
「学園は治外法権ってのか? 舐めてんのかよ」
ペインはポーラン先生に吐き捨てると王女殿下を見た。
「お前も勝手なことをやるのはかまわねえけどよ。筋は通せ、通せねえならやるな」
「私は……」
「あんまりがっかりさせてくれるなよ、エリシア」
「ペイン……」
ペインは王女殿下からアリアンナ公爵令嬢に視線を向けてはぁとため息を吐いた。
「ポーラン先生、遊んでないで授業を始めてくれ」
「……はい」
ちょっ、アリアンナ公爵令嬢にはなにも言わないのかよ。
かっこ良すぎるだろ。
こりゃあ、ギリスとは役者が違うからラスボスにもなるよね。
ギリスなんてペラペラ、ペラペラしゃべるってそれは俺か?
「ギリス」
「っん?」
「残念だったな、せっかく愚かな令息を演じて機会を伺っていたってのにな」
「いや、記憶がないからわからないけど、俺はただの愚かな令息だったんだと思うよ」
「そうかよ」
ペインがニヤリと笑う。
いやいや、なにわかってるよ的な感じに締めているのさ。
君はなにもわかっていないからね。
本当にあのゲームのギリスはただの愚かな令息だったんだよ。
まあいいか、それよりも……。
「ユーゴス先生、よろしく」
「……頼むから夢だと言ってくれ」
「目を開けたまま見る悪夢だよ」
「うぉぉぉぉぉぉ、なんで俺がこんな目に遭わなきゃならないんだ」
「おおぉ、やる気だね」
「くっそぉぉぉ」
再び机に突っ伏すように頭を抱えるユーゴス先生……そんなことしてないで早くやらないと本当にまずいと思うよ。
——
とりあえずその日の授業を終えて帰ろうとしたら肩を掴まれた。
「ギリス」
「なに? ポーラン先生」
「なんで帰ろうとするのかしら?」
「えっと、授業は終わったよ」
「補習するに決まってるでしょ?」
「えっと……でも、ユーゴス先生、死んでるし」
少しでも多く俺に教えようと頑張ったユーゴス先生は、終了のチャイムと一緒に机に倒れ込んだ。
本当に惜しい人を亡くしたよ。
「死んでねえよ」
「でももう無理じゃない? 俺も一度に覚えられないと思うよ」
「そりゃあ、そうだよな」
ユーゴス先生が突っ伏したままうなずくとポーラン先生が頭を抱えた。
「じゃあ、とりあえず謝りに来たら、母さんも鬼じゃないか……」
俺がそこまで言うと近くに来ていたノルゥが俺の腕を掴むので俺がノルゥを見ると青い顔をしたノルゥがブンブンと音が聞こえそうな勢いで首を横に振る。
「やめておいた方がいいと思います。ポーラン先生の命日が今日ということになるので」
「いやいや、さすがにそれは言いすぎだよね?」
「……」
「なんで無言で目を逸らすのさ」
「それは……」
「うちの母さんってそんなに怖いの?」
僕の問いにノルゥとポーラン先生が並んでコクコクとうなずく。
「じゃあ、どうする? 帰ったらうちの騎士に新しいスケルトンを見せる約束しているんだけど」
「新しいスケルトン?」
「うん、ちょっとうちのみんながスケルトンを使ったギャンブルにハマってしまって、それの対策に新しいスケルトンを用意しようと思って」
「「ギャンブル」」
体を起こしたユーゴス先生と少し前のめりになったポーラン先生がゴクリと喉を鳴らした。
「やはり担任として謝りに行くべきね」
「俺も個人レッスンの担当として行くべきだな」
「あのさ、ギャンブル好きなの?」
「……すっ、好きじゃないわよ」
「おっ、俺は……」
これは二人ともギャンブル好きだね……間違いないよ。
「別にいいけどさ。まずはちゃんと謝っといた方がいいからね」
「わかっているわ」
「まかせろ」
なんだろうか、すごくドロドロで沈みかけの泥舟が思い浮かぶのは……まあいいか。
ということでうちに帰ったのだが、馬車が伯爵家に着くなり待っていた母さんの足下に縋り付く勢いでポーラン先生とユーゴス先生が並んで、「申し訳ありませんでした」と土下座した。
「まあ誠意は受け取るわ。それに、先生たちのせいではないのは私もわかっているからね」
「「リシャ様」」
「それで……本当の目的はギリスのスケルトンかしら?」
「「あっ」」
母さんはすごくニコニコしているのになんか怖いんだけど……目も悪くなったのかなぁ。
なんかユーゴス先生は頭をぐりぐりと踏みつけられている気も……うん、幻覚に違いないよ。
やっぱりたくさん勉強したから目が疲れているみたいだね……悲鳴みたいな、「申し訳ございません」が聞こえてくる気もするんだけど……。
「あなたたちはあの子を見殺しにしたのよ」
「申し訳ありません」
「私にはもうあの子しかいないのに」
「申し訳ございません」
「あの人が残してくれたあの子を失っていたら、私は生きていられなかったわ」
「申し訳……」
っん? あの人が……残してくれた?
「……ってことは、離れのろくでなしは俺の親じゃないってこと?」
俺が聞くと空気が静止した。
母さんとユーゴス先生とポーラン先生が動きを止めて、気まずそうにできる家令のルトガルさんが俺を見る。
「さようにございます。婿として来られた旦那様はリシャ様と関係を持つことを拒否されましたので、困ったリシャ様は幼馴染の男性との間にギリス様をもうけられました」
「その人は?」
「お亡くなりに……」
「殺されたの? 王家に?」
「……」
ルトガルさんは黙ったまま頭を下げた。
ほうほう、ならば戦争だ。
母さんを本当の意味で幸せにするためには、バカな王族たちの首を王城前の広場に並べなきゃダメだね。
「ギリス……」
「大丈夫だよ、母さん、短慮を起こすつもりはないよ。だけど、王女殿下も騙されていたんだし、かわいそうかな、なんて思っていた自分の甘さにほとほと呆れているんだ」
やっぱりこっちの世界に合わせて甘い考えは捨てなきゃって思ってたけどまだまだだった。
貴族同士の足の引っ張り合いが横行している階級社会において、他者を同情している余裕なんてない。
隙を見せれば食い物にされ、甘さを見せればつけ入られる。
決闘で事故を装って殺されて、自領には他の貴族の騎士が盗賊のフリして入り込む。
なるほど、なるほど、いい見本がいるじゃないか、かの法典も言ってたよね、目には目を、歯には歯を、と。
クックック、あははははは。
「ギリス様」
「のわっ」
横からノルゥに抱きしめられた。
「ギリス様、お一人で苦しむ必要はないですよ」
「うん、心配かけてごめんね」
だけどノルゥに抱きしめられて俺のやるべきことを再確認できた。
どちらにしても、いきなり王家の相手をすることはできないのだからまずは小さなことからコツコツと、だよね。
「母さん、そのぐらいにしてくれる?」
「……そうね」
「オランさんもそわそわしているからね」
母さんが端っこでそわそわしているオランさんを見て苦笑いを浮かべた。
「もうしかたないわね、わかったわ」
「ありがとう、母さん……それから、ごめんね」
「ギリス」
うつむき加減だったから少し顔を上げて母さんを見ると、母さんは真っ直ぐに俺の目を見つめる。
覗き込むみたいに。
「俺が母さんを幸せにするから」
「……ありがとう、でも無理はしちゃダメよ。私にはもうあなたしかいないの」
「わかったよ」
俺がうなずくと母さんが、「本当にわかっているのかしら?」と聞いて俺を抱きしめているノルゥが、「わかってませんね、間違いありません」と返事をする。




