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アステリア ―蒼い約束―  作者: 沙莉
特別編:遠い日の独唱曲(アリア)

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第3話 兄の慈愛、異世界への片道切符

どうすればいい?


気づいてしまった、この感情。




会いたい……今すぐ、逢いたい。だけどまだ、逢うわけにはいかない。


レーリアは彩花と名を変え、今、幸せな『普通の女の子』としての生活を楽しんでいる。魔力が抑えられている間は、その時間を俺も満喫してもらいたい。だから俺も、彼女を『彩花』と呼ぶようにした。きっとそれを、彼女も望むと思うから。


アステリアでは、決して叶えられることのない、レーリアの夢だった生活。それが地球にはある。


分かっている。


だけど……胸が、苦しいんだ。






それから毎日、レーリアの部屋へと訪れた。


その日によって時間が異なるが、この日は時間が早すぎたようだ。まだ、鏡の向こうの彩花は、ベッドの中にいた。


この時刻にこの部屋に訪れるのは、初めてだ。起きる瞬間を見るのも、楽しみだけど……待てど暮らせど、布団の中の彩花は、身動き一つしない。


起きないのかな。そろそろ起きないと、学校に遅れるのでは?


俺が心配になったころ、鏡の向こうで、


「彩花ー?」


という、地球での彼女の母上の声が。そしてそれに重なるように、ガチャリとこの部屋の扉が開いた。


びくりとして、鏡の魔法を消そうと手を翳した俺に、至極冷静な声が掛かった。


「おや、ラナディート。あなたも来ていたんですか。驚かせてしまったようで、失礼しました」


そう声を俺に掛けながら、隣に立つのは、長いハニーブロンドを持つ男。


彩花の兄の、シェニムだった。


彼は、俺から鏡に目を移した。そして、珍しいこともあるものだ。彼は、くすりと笑った。


「おやおや、今日も寝坊ですね。全くレーリアは、朝に弱いようで、困ったものです」


「シェニム……お前も、見に来ていたのか」


何だか、意外なような気がした。


レーリアにとても甘かった皇帝陛下やイスランが、毎日のようにここに来て彩花の様子を見るのは分かるが、妹をも冷静に分析していたシェニムが……。


俺の目線に気づき、シェニムは少しばかり眉を寄せて俺を見下ろした。


「何です、私が妹を心配しては、おかしいですか?」


図星を突かれてしまった。


「い、いや、そういう訳でもないが……今まで、鉢合わせたことが無かったから」


「ああ、そうですね。私は今までずっと毎日、この時間に来ていましたが。きっと私の後に、あなたが来ていたんでしょうね」


何事も無かったかのように、シェニムは言うが……毎日、来ているのか!


もう、アステリア国の重責の地位にあるシェニムが時間を作れるとしたら、確かにこういった朝早くか、深夜になってしまうだろう。それも、僅かな時間しか作れないはず。


それなのに、毎日……俺は、シェニムの家族に対する思いを、見くびっていたのかもしれない。


俺は何となく立ち上がり、彼に席を譲った。シェニムは僅かに目を見開いていたが、「それでは、遠慮なく」と、スツールに腰掛け、腕を組んで口元に淡い笑みを浮かべていた。


「さて、今日はどれくらいで起きれるのでしょうかね?」


「そんなに寝起きが悪いのか、彩花は」


「ええ。それはもう、見事な寝起きの悪さです。見ててご覧なさい」


笑いをこらえるようなシェニムの言葉に、俺も彩花の寝起きを見守ることにする。


それから、一分、二分……五分立っても、起きる素振りが無い。途中で、ジリジリとうるさい音が聞こえるが、布団からにょっきりと白い腕を伸ばし、音を出す箱を叩き、そしてまた布団に手を戻してしまう。


シェニムはくすくす笑い始め、指を鏡の向こうにある扉に向けた。


「さて、そろそろ……」


そう言うや、その扉が勢いよく開き、彩花の母上が、身体にピッタリとした服をまとい、怖い形相で入ってきた。


そしてベッドに歩み寄り、布団をバッとめくってしまう。


「彩花っ! いつまで寝ているの!! 学校に遅刻してもいいの!?」


「う、うーん……やだぁ、眠い……休む……」


「馬鹿言ってるんじゃないのっ! 早く起きなさい! とっとと支度して、下に降りてくるのよ、いいわね!?」


彩花の母上は、なかなか厳しいお人のようだ。その声の勢いに、俺とシェニムも思わず首を竦めてしまう。


そして彩花は、のろのろと起き上がり、寝癖のついた長い髪を掻き揚げて、大きく伸びをした。


「ふぁあああ……あー、朝なんて、永遠に来なければいいのに……」


なんてとんでもないことを呟き、ベッドから降りて寝間着のボタンに手を掛けた。


と、そこでシェニムが鏡に手を翳す。


「今日は、ここまでです。無事に起きられて良かった。まあ、起こされたって方が合ってますけど」


そう苦笑して、鏡を元の状態に戻した彼が、そのまま部屋を出ようとしたのを俺は思わず止めていた。


「待て、待ってくれ、シェニム。少し、話がある。時間をもらいたい」


「……なんです、珍しい」


立ち上がったシェニムが、俺を凝視しながらもスツールに腰を落とした。


彼は、忙しい身だ。だから、あまり時間を掛けられない。そんな状態で、俺の気持ちを伝えることが出来るだろうか。


「実は……地球への行き方を、教えて欲しい」


ああ、言ってしまった。


今までずっと、悩んでいたこと。


彩花に、逢いたい。だけど、逢えるわけもない。


それは分かっている。


だけど、接触さえしなければ。遠くから、こっそりと見るだけならば……それでも、良かった。鏡越しじゃなく、生きている……元気で生活をしている彩花を、この目で見たかった。


だが、地球への行き方が分からない。


地球への道を作る方法は、やはり魔力なのだろうか?


その答えを知るものは、きっと皇帝陛下と、自力で地球へ行ったレーリア、そして彼女に次ぐ魔力の持ち主のシェニムだけのような気がした。


禁断だというのは、分かっている。


アステリアにおいても、地球という異世界が存在しているのを知っているのはごく僅かだ。だからこそ、レーリアは『成人の儀』まで、地球で身を潜めることを決意したんだ。


地球の存在を知るものの中では、無闇に地球へ行くことは禁じられていることは、暗黙の了承になっている。


二つの世界が繋がれば、レーリアのことだけではない。何か、世界の均衡が崩れるような気がしてならないのだろう。


だから、皇帝陛下には聞くことは出来ない。無論、現在地球にいる彩花にも。


残りの頼みの綱は、俺と同年のシェニムだけなのだが……普通だったら、彼にこんなことを尋ねはしないだろう。


「教えることなど出来ません」と、突っぱねられることが目に見えている。だけど、そんな彼にもすがりたいほど、俺は彩花に逢いたくて、一目だけでもこの目で見たくて仕方が無かった。


俺の人生で、ここまで切羽詰ったことなど無かったように思う。


シェニムは、ひとしきり俺の顔を眺め、小さく溜息をついた。


「……地球に行くのには、あなたの魔力では無理です」


「やはり、無理か……」


「ええ。レーリアや私ほどの魔力が無いと、まず無理です。そして私は、禁断を破ってあなたを地球へと送り出すことなど、不可能な地位にあります」


そうだよな……それは、分かっている。


シェニムは皇帝陛下の次男であり、要職に就いている。もし、万が一俺を地球に密かに送り出し、それが露見した時は……アステリアは、様々な意味で混迷を招くだろう。


シェニムのことだけじゃない。最悪、レーリアの居場所まで他国に漏れてしまう。


「……すまない、余計なことを言った。忘れてくれ」


俺は、前髪を掻き揚げながらそう言った。


そうだ。これは、俺の我侭でしかない。


レーリアは、言ってくれた。俺に、護りに来てくれと。


その時まで、我慢するしか……自分の気持ちを何とかなだめつつ、時を過ごし、自分を鍛えていくしかない。


唇をかみ締めて、何とか感情を殺そうとしている俺を見上げていたシェニムは、胸元から小さな笛を取り出し、ヒュッと短い音を出した。


すると、空間が歪み、そこから黒い衣服を纏った男が現れた。


衣服だけではない。髪も、瞳も。まるで、彩花の住む町の者たちのように、真っ黒だ。


「お呼びでござるか、主。なんなりと、ご命令を」


跪く彼は、シェニムの使い魔、黒竜のティロンだ。


わが国アステリアの使い魔は、彼らが主を選ぶ。無論、魔力の高い者たちばかりだ。そして基本的な魔力がさほど高くない俺は、もちろん使い魔に選ばれることなどない。


シェニムはティロンに小さく頷き、俺の肩に手を掛けた。


「ティロン、気の毒ですが、しばしラナディートに脅されなさい」


「……は?」


俺とティロンは、同時に声を上げていた。


何を言い出すんだ、シェニムは。


「ラナディート、竜族は空間を繋げる力を有します。ただし、私の使い魔を利用するなら、脅すのですね。でなければ、ことが露見した時に、ティロンの罪になってしまいます」


……なるほど。


俺がティロンを脅し、強引に地球への道を繋いでもらったとすれば。


もし、万が一誰かにこのことがバレたとしても、ティロンは叱責だけで済むということか。


無論、俺には重大な処罰が下るだろうけど。でも、そんなもの、怖くは無い。


そしてそんな心配など、いらない。バレないようにやるさ。俺の望みが、叶うなら。


「シェニム、ありがとう……!」


嬉しさのあまり、他に言葉が思い浮かばなかった俺がそう言うと、シェニムは唇の端だけ上げて軽く手を振り、部屋を出て行った。


まさか、こんな展開になるなんて。


彩花……逢える。もうすぐ、きみに逢える。


そう思うだけで、俺は心臓の鼓動が早くなるのを抑えることが出来なかった。


接触は、しない。ただ、遠くから見守るだけ。


それが、どんなに楽しみで、心躍ることなのか。


それが分かったからこそ、シェニムはティロンを貸してくれたんだろう。


心からシェニムに感謝しつつ、俺は早速、跪いたままのティロンに手を差し伸べた。


首を傾げる彼の手を、強引に握り、俺は頬が緩んで仕方が無いことに気づいた。


……どれくらい振りだろう、笑みを浮かべたのは。


「よろしくな、ティロン」


「は……主のご命令でございますれば。それではラナディート様、ご命令を」


「命令じゃなく、脅しだ。だけどまだ、やるべきことがある」


このままの姿では、彩花の世界では目立ってしまうだろう。俺は身体の色素を変換する魔法を覚えていない。


まだまだ、やらなくてはいけないことがある。


だけど、地球にいつでもいける。


その保障が得られただけでも、俺は心が満たされ、どんな大変な修行も受ける覚悟が出来ていた。




一日でも、早く。




きみに逢えますように。

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