第4話 邂逅の交差点、永遠の誓い
俺も随分と、単純に出来ている。
あれほど嫌だった、魔力の鍛錬を毎日欠かすことなく続け、数ヵ月後にはもう、体内の色素変換の術をマスターした。
そして更に、何かあったときのために覚えていた方がいいと思い、攻撃魔法よりも先に、結界を作る術を学んだ。
結界を作る規模は術者の力量だが、これはシールドと違って魔力が高い者へも張ることが出来る。
つまり、俺がレーリア…………彩花を護る術として、有効だということだ。何が何でも覚えておきたかった。
もっとも、地球へ赴いても、まだ彩花との接触を避けなくてはならない。結界を張るなどという事態にはなりえないだろう。
それでも、この魔法を覚えたことは、俺の大きな自信に繋がり、そしていつでも彩花を護れるという保障になったようで、俺はとても嬉しかった。
ある程度の魔力もついたし、そして剣の腕前もそこそこ上がってきた。
何より先だって、アステリア国随一の精鋭部隊、『蒼の疾風』への入隊も決まった。
そろそろ、いいだろうか?
一目。たった一目でいい。それだけでいいんだ。
地球へと、逢いに行きたい。彩花に、逢いたい。
俺はこの日、いつものように執務室で仕事をしているシェニムの元を訪れた。
彼は、机に目を向けたまま、俺の顔をちらりとも見ずに言った。
「ティロンを、脅しに来ましたか?」
どうして分かったんだ。まだ俺は、何も言ってはいないのに。
驚く俺の顔をようやく見たシェニムは、無表情に僅かな苦笑を浮かべているように見えた。
「ここのところのあなたの頑張りには、皇帝陛下も驚いておいででしたよ。もっともその裏には、レーリアの存在があるということをご存知ではありませんが」
「それはそうだ。まさか言ってはいないだろうな、俺の地球行きの話」
「言うわけないでしょう。罪の巻き添えはごめんですからね。いいですか、ラナディート。慎重に行動するのですよ。万が一にも、失態してしまったら…………」
「分かっている。大丈夫だ」
シェニムの心配は、もっともだ。だけど、決意した俺ははやる心を抑えるのに必死だった。
そんな俺を眺め、シェニムは小さくため息をつき、胸元からあの小さな笛を取り出し、『ヒュッ』と短く鳴らした。
歪む空間。そしてそこから現れたのは、黒衣黒髪の男…………黒竜のティロンだった。
「主、お呼びでござるか」
それにシェニムが答えるより早く、俺は腰に佩いていた剣を抜き払い、跪くティロンの首筋に切っ先を向けた。
「ティロン、地球まで空間を繋げろ」
短くそう命ずると、ティロンは俺とシェニムを見比べ、主が小さく頷いたのを確認し、ゆっくりと立ち上がる。無論、俺も彼を傷つけないように、巧みに剣を動かした。
「致し方ない。それでは」
ティロンが手を翳すと、その先の空間が奇妙な歪み方をした。
これが…………この先に、彩花の生活する地球が。
感動して、身動き出来ない俺に、シェニムは顎の下で手を組み、至極冷静な声を掛けてきた。
「早くお行きなさい。あまり時間を掛けると、誰かに怪しまれるかもしれません」
「あ、ああ。それじゃあ…………」
「お待ちなさい、それを持っていくつもりですか? レーリアの住む所では、剣など不必要です」
そういえば、彩花の周囲は平和そうで、武器の類など見たことが無い。俺は剣を鞘に戻し、そして鞘ごとシェニムに手渡した。
受け取ったシェニムは、ふと考え込み、そして俺に深い蒼い瞳を向けたかと思うと、手のひらを俺の身体に向けて何やらブツブツ呟いた。
すると、俺の着ていた服が、見たことも無い生地の、見たことも無い作りのものになっていた。
「多分、こんな感じでいいかと思います。一度しか、地球の男性を見たことはありませんが…………」
「一度? シェニム、お前地球に行ったことがあるのか」
聞きとがめた俺が眉を寄せると、シェニムは僅かに目を見開き、「しまった」という顔をして。
そして俺に手を振り、早く行けと促した。
珍しいシェニムの慌てた姿。俺は笑いを堪えながら、彼に礼を言いつつ空間の歪みに足を踏み入れた。
そうだよな、地球へと行ける魔力を持つシェニム。その力を有しながら、じっと耐えることなど無理な話だろう。
彼もまた、一目だけでいい、会いたいと思ったのだろうか。唯一の妹に。
俺は浮かぶ笑みを抑えきれずに、暗い道を歩いていった。シェニムのことで可笑しかったのは事実だが、今心に占めるのは、彩花のことだけ。
ずっと鏡越しで見守っていた彼女に、やっと逢える。それが嬉しくて、頬が緩んで仕方が無かった。
やがてすぐに、道は終わりを告げる。
少し高いところから飛び降りると、あまりにも光が眩しくて、俺は目を細めて手を翳して光を遮った。
ここは、どこなんだろう。彩花の住む家の近くだろうか?
きょろきょろと辺りを見渡していると、向こうから賑やかな女の子の声が聞こえた。
聞いたことのある、華やかな笑い声。
間違いない。俺が、間違えるはずが無い。彩花だ。
心臓が、バクバクしてくる。それを必死で押さえ、俺はどこか身を潜める場所を探した。だけど…………
今の俺の姿は、ちゃんと彼女の住む町の者らしくなっているだろうか。
どこか、おかしなところはないだろうか。
大丈夫、大丈夫なはずだ。
だから…………
遠くから、一目見れればそれでいいと思っていたのに。
彩花の屈託の無い笑顔を見たら、それだけで済ませるのはとても無理だった。
せめて、平然とした顔で、彼女の横を通り過ぎよう。
そして俺と、楽しそうに友達と話をして歩く彩花は通り過ぎあう一瞬、視線を絡ませ、そしてそのまま二人、立ち止まってしまった。
そのまま、立ち去ってしまえばいいのに。俺は、俺を見上げる彩花の、強く、だが柔らかく美しい瞳に釘付けになってしまった。
どのくらい、そうしていただろう。
あれだけ想いを募らせ、逢いたくて堪らなかった女性が、今目の前にいる。
手を伸ばせば、触れられる距離にいる。
だが、それは許されない。彼女の記憶に、俺はいない。
分かっていても、辛かった…………。
「彩花…………? どうしたの?」
彩花の友達の声に、俺ははっと我に帰り、そのまま逃げるように走り出した。走りながら、彩花の友人の記憶を操作する。
俺は、その場にいなかった。誰も、通り過ぎやしなかった。そう、記憶を変えさせてもらった。
路地裏に入った俺は、荒く息をつきながらも、頬が火照るのを感じていた。そして胸の鼓動が収まらない。
俺が存在しない、今の彼女。それでも、逢ってしまえば愛おしさは更に募り、ますます『その日』が来るのが待ち遠しくなった。
堂々と、彼女の前に姿を現せる『その日』まで、俺はもう地球へ来るのはやめようと心に誓った。
逢って、分かった。一目逢えればそれでいいだなんて、甘い考えだった。
逢えば、触れたい。そっと触れれば、きっと抱きしめたくなる。
そして彼女を、俺で満たしたくなる。
まだ、俺は心を鍛えきれていないことを実感した。
だから、約束のその日まで。
俺は心身ともに鍛錬を続け、そして地球のことを学び、いつでも彼女を護りに行けるように準備を続けた。
そして、運命の日がやってくる。
俺はつい先日、成人の儀を迎えた。その日、俺は俺の言葉で、俺の望みを宣言することが出来た。
俺の一生を、俺の全てをレーリアに捧げると。
そして彩花は、二十三歳になった。
鏡越しで逢うのは、今日が最後だ。
鏡の前に腰掛け、肩までの髪を梳いている。その色は、漆黒ではなく茶色味を帯びていた。魔力が漏れ出している証拠だ。
でも、大丈夫。今日からは、俺がきみの傍にいるから。俺が、きみを護るから。
そっと鏡を撫で、俺は小さく囁いた。
「ゆっくり。ゆっくりでいい。俺のこと、受け入れて。そうなってくれるまで、ずっと待つから…………」
記憶の無い彩花を、怯えさせたくない。だから…………。
「おはよう、藤森さん」
にこりと笑って、彩花を出迎えた俺に、驚いたように目を見開く彼女。
『チキュウへ、わたしを護りに来てね?』
約束、守ったよ、レーリア。これからは、ずっと一緒だ。
俺と彼女の新しい一歩が、この日始まった。
「ん…………? ラディ、起きたの…………?」
ああ、起こしてしまった。
俺は、愛しいレーリアの髪を撫で梳きながら、あの日のことを思い出していた。
辛く、切なく、だけど幸せだった日々。
俺にとっての、『始まり』だったあの日。
「レーリア…………?」
「なあに、ラディ」
レーリアは、眠たそうにとろんとしている目を、必死で開けようと頑張っている。それがとても可愛くて、俺は思わず彼女の頬に唇を落とした。
「レーリア、今、幸せ?」
どうしてこんなことを聞くんだろう。俺自身でも、よく分からない。
だけどレーリアは、やっと開いた目でゆっくりと瞬きし、そして空色の美しい瞳を俺に向けて。
花開くように微笑んだ。
「幸せよ。だって、願いが叶ったんだもの」
「願い?」
「そうよ。幼い頃からの願い。地球で普通の女の子の暮らしをして、あなたに地球に迎えに来てもらって、そしてわたしはあなたのお嫁さんになるの。全部、叶ったわ」
嬉しそうに笑うレーリアを、俺は堪らなくなり、強く抱きしめた。
愛してる。今までも、これからも、ずっと。
僅かに身体を離し、間近で彼女を見下ろす俺に、レーリアは優しく微笑んで、そっと瞳を閉じた。
艶やかな頬を撫でながら、顔を下ろしていく。
きみがいたから、頑張ってこれた。きみがいるから、頑張っていける。
俺のただ一つの願い。それは、きみの傍で、きみをこの手で護ること。
それが叶った俺もまた、とても幸せだ。
それは、この先もずっと、永遠に続いていく。
「愛してるよ、レーリア」
そう囁くと、僅かに頬を染めて、幸せそうに笑うきみがいるから。
END




