第8話 断末魔の饗宴、軍師の描く魔方陣
空虚な目元から、眩い光が迸り、俺に向かって放たれようとしている。
どうする。
俺は、愛剣を握りなおしてヤツの……骨だけの異形の首元を狙い定めた。
頸骨のあたりを叩き潰せば、きっと動けなくなるだろうと目算して。
目の端で、シェニムが空中に魔方陣を描き、そしてそれに、勢いよく手を押し付けた。
ゴォー!! と凄まじいばかりの炎が、異形を襲う。そして炎が、異形を包み込んだ。
『小癪な………』
笑いを含んだ声が、脳裏に響いた。耳からじゃない。脳に、ダイレクトに。
まさか、こいつか。
羽ばたきをして、シェニムの魔法を一閃で消し去った異形は急に動きを止めた。
俺も目の前で対峙して、一瞬戸惑う。
「何をしている、ルククルスフィリアノス!! 早く『蒼の疾風』の隊長を殺せ! でないと俺が……!」
シーガルの悲痛な声が聞こえる。もう、限界なようだ。それはそうだろう。『蒼の疾風』は、精鋭ばかりが揃っている。
お前ごときに時間を掛ける奴らじゃない。
例え魔力がなかろうと、今ある怒りでさらに攻撃力を増して、お前を限りなく傷つけずに捉えるのは時間の問題だ。
そして目の前の異形は、驚いたことに俺からシーガルにその空虚な目を向けなおした。
『我を召還してくれた礼に、まずお前から食してやろう』
理解出来なかった。その言葉の意味が。
だけど、シェニムが次の瞬間、
「やはり……!! シーガルは、真の方法で魔物召還の魔術を使った訳ではなかった。やつは、シーガルに服従していません!」
魔物召還の魔術とやらは、禁断ならしく。
シーガルは、それに失敗してしまったということか。
魔物は召還したシーガルを目指し飛んでいった。そんなことはどうでもいい。シーガルが食われても構わない。だが。
「逃げろ! 巻き添えを食う。『蒼の疾風』、退避!!」
声の限り叫ぶと、隊員はシーガルの周りから波を引くように退いていった。
そして一人残されたシーガルは、端正な顔を真っ青にさせて、魔物と俺たちを見比べていた。
「ま、待て、嘘だ、どうして! ルククルスフィリアノス、俺はお前の主人だろう……!」
その悲痛な叫びに、魔物は冷たく一言言い放った。
『力不足、という言葉を知らぬか』
そして大きな口を広げ、目を全開まで開けて悲鳴を上げ続けたシーガルを一口で飲み込んだ。
ガリ、ガリ、グチャ。
クチャ、クチャ、ゴキ、ゴキュ。
耳を塞ぎたくなるような音と、シーガルの断末魔……。
隊員達はそれぞれ、顔を背けてその場を逃れようとしていた。あまりに凄惨すぎる光景だった。
だけど俺は、見なくてはいけないと思った。これが、俺が斃さねばならない相手の本性……
そして心から思った。
レーリアに見せずにいて、よかった。そして、その恐怖をきみに味あわせずにいてよかった。
なのに。
シーガルを食いつくし……肉片を、骨の隙間からボタボタと垂らしながら、魔物はこちらに振り返った。
『やはり、魔力が少ない。つまらぬ……しかし、ここには強い魔力を持つ者がいるようだ。美味そうだな』
魔物が目にしたのは、シェニム、一心不乱に呪文を唱え続ける『魔女の館』の長……そして、アステリア最大の魔力の持ち主。
レーリアは、今、自分を仮死状態にしていると言った。だから、零れる魔力は限りなく少ないだろう。
だが、それが回復してくれば、この魔物はレーリアを狙う。
そんなことは、絶対、許さない。
俺はレーリアの元へと走り出した。彼女をこの手で護るために。俺の命なんて、どうなってもいい。
ただ、レーリアは……やっと歩き出したアステリアでの道を、真っ直ぐに進んでもらいたい。
あの優しい、暖かい笑顔を、これからも浮かべていて欲しい。
そのためならば、俺はいかなることでもやる覚悟は出来ていた。
砂煙を履きながら、走った勢いを止めて。
俺はシェニムの隣に再び並んだ。
「シェニム、あいつの弱点は?」
シェニムは、口元で呪文を唱えて小さな玉を飛ばした。そして、首を振る。
「私には分かりません。文献にも載っていないような、恐らく古代から潜んでいた魔物でしょう。今、アステリア城にやつの姿を映した『言玉』を送りました。老中達なら何か知っているかも知れません」
僅かながらシェニムを見ると、彼は真っ青な顔色になっていた。それに、脂汗までかいている。
魔力を、相当消費してしまったようだった。今もなお、先ほどの強さとは比較にならないが、うっすらとこのフォーティニアには結界が張られている。
あのウサギのような姿の、下級使い魔が外に漏れ出さないように、シェニムがレーリアから繋いで張ったんだろう。
魔力は、限りがある。
シェニムはもう、限界に近い。
恐らく、レーリアに次いで強い魔力を持つシェニムにこんな状況が訪れるなんて。
それに、この先どうなるんだ。俺は思わず息を飲んだ。
『蒼の疾風』隊で、魔力の強いものは残念ながらいない。シェニムにその力を提供出来る者がいない。
……死を覚悟で、肉弾戦に持ち込むか。だが、どうやって。
『さて、どいつから食おうか……』
空中に浮かぶ魔物が、そうほくそ笑むように呟いたその時。
豪雨のような勢いで、突然炎が降り注いだ。いや、違う。
炎を鏃に迸らせた矢が、魔物に向かって一斉に放たれた。
「司令官!!」
「司令官が、軍を引き連れておいでになった!!」
その声に、俺ははっとして海辺に目を向けた。
そこに、何十艘もの船が沿岸に停泊し、そして弓兵が代わる代わる矢を放っていた。
イスランだ。
その彼は、自身先頭に立ち、真っ先に俺たちの元へと駆け寄った。
「レーリア!? 何で……何があった!」
「その説明は後です。レーリアは大丈夫。それよりも兄上、魔力のある兵をこちらへ寄越しなさい」
シェニムは真っ青な顔のまま地面に片膝をついてイスランへ言うと、空中から蒼い玉が降り注いできた。
二つ、激しく光を放ちながら。
小さな声がその玉から聞こえるけど、俺にはよく分からない。だが、シェニムはそれを聞きながら、何度も頷き、そして。
イスランが連れてきた、魔力の強い者の手を握り、強引にその力を自分へと補充したシェニムは口元の端を上げた。耳元に、蒼い玉を付けながら。
「そうですか、なるほど、いいでしょう。……兄上、まだ足りません。魔力ある者を、全てこちらに差し出して下さい」
「いや、しかし……」
「大丈夫です。私に、お任せを。ラナディート」
シェニムの眼差しが俺に向けられ、思わず背筋を伸ばしてしまう。こういう時のシェニムは、やはりアステリアの参謀だった。
「はっ!」
「ラナディートは私とレーリアの警護を。『蒼の疾風』は、ティロンとポワンと共に、魔物を少しでも弱らせてください。そして司令官閣下と諸領地の兵は、あの下級使い魔討伐に。私の結界を消しますので、出来るだけ早くお願いします。今から私は、瞑想に入ります。あの魔物を、私の配下にすべく」
シェニムの言葉の意味が分からないまま、俺たちはそれぞれ言われた分担で別れた。
イスランは、兵を従えて、増殖して数えることなど不可能な下級使い魔を追い回し。
そして俺の隊の者は、ティロン、ポワンの力を借りながら、薄笑いの声すら上げる魔物に攻撃を仕掛ける。
十数人の魔力ある者が残され、シェニムに向かって手を翳していた。
彼に、自身の魔力を提供するために。
シェニムはそれを受けながら、地面に指先で細かい魔方陣を描いていた。
ぶつぶつと、俺には分からない言葉を発しながら。恐らく、それは呪文なのだろう。
俺は剣をぎゅっと握り、俺の部下の奮闘を見守りながら、ちらりと背後を見やった。
そこに、魔女に囲まれたレーリアがいる。
僅かに見える足元は、先ほどまでの死人のような蒼白さじゃなくなっていた。だから、思わず声を上げてしまった。
「レーリアは、あとどれくらいで回復する!?」
すると、いかにもかったるそうな返事が帰ってきた。
「うるさいねえ、この心配性が」
「私たちが何とかしようとしているんだから、待てないのかねえ、ヘタレ」
「後もう少しだよ、このバカチンが」
そこまで言わなくても! という返事が返ってきたが、だがいい。もうすぐ。レーリアが回復する。
それまでに、何とか……あの魔物を何とかしなくてはならない。
大量の魔力を消費しながら、シェニムはただ魔方陣を刻み続ける。
イスランは、逃げる下級使い魔を掃討すべく奮闘し。
そして俺の隊員と、ポワンとティロンがあの骨だけの姿の魔物を攻撃している。
『生意気な。我を倒せると思うてか』
そう脳裏に響く声に、俺はびくりとしてしまった。あまりに深く、暗い声。これが、魔物なのか。
だが、シェニムは顔色一つ変えずにただ、魔方陣を細かく書き続けていた。
魔物は、隙あらばこちらへと向かってこようとする。
狙うは、回復の兆しを見せたレーリア。
絶対、それはさせない。
俺は、改めて剣を握りなおし、魔物を見上げた。すでに、数本の骨は折れている。
だが、その空虚な眼差しに灯る、眩い光は増すばかりだった。




