第5話 魂の対話、孤独な幕引き
ラディの剣に、わたしの力が吸い込まれ始めた瞬間、イスラン兄さんが目を見開いてわたし達の間に飛び込もうとした。
「やめろ、馬鹿なことはよせ! レーリア、お前何を考えてる!!」
悲痛めいた叫びを止めたのは、ソルトだった。
イスラン兄さんを背中から羽交い絞めにして、その顔をぎゅっと背中にくっつけて。
小さな声で呟いた。
「アヤカっちは……レーリアは、アステリアを愛してるんです。そして……『蒼の疾風』の隊長を……だから、彼の住むこの世界を護りたいから、だから……」
「うるせえ! そんなことは、言われないでも分かってる!! しかしそれで、レーリアが自身の命を危険に晒していいことにはならねえ!!」
ありがとう、イスラン兄さん。
こんなにも心配してくれて。わたし、幸せ者ね。
シェニム兄さん、口を閉ざしてくれていて、ありがとう。
強い眼差しが、わたしを見守っていてくれる。それだけで、充分よ。
ソルト、わたしの気持ち、分かってくれてありがとう。
あなたに出会えてよかった。
サーシャ、もう泣かないで。
わたしね、今幸せなの。本当に、幸せ。
愛する人たちを、この手で護れるんだもの。
『やめろ、よせ!! なぜだ、私に力を貸せば、この世界は私とお前のものになる。自由になるのだ。なぜそれを否定する!』
あなたの心のように、闇に包まれた世界にしたくないからよ。
この美しいアステリアの地を。
ラディ、あなたが生きる、この世界を。
わたしの祝福の力で、護ってみせるわ。
レーリアの手から、強い光が俺に向かって放たれた。
その強さは、いまだかつて俺が経験をしたことのないほどの魔力。
強く、重く、剣を通して流れる力は……暖かいよ、レーリア。
きみの気持ちが、俺に伝わってくる。
耐え切れるだろうか。
この魔力を、俺が支えて受け止められるだろうか。
暖かいのに、俺を押しつぶすまでのその力に、耐え切れなくなった時。
…………ラディ、受け入れて。わたしを、受け入れて……
レーリアの声だ。
ユリシーダと戦った時にも聞こえた、あの囁き。
そうだね、レーリア。
きみを受け入れよう。
きみの全てを、俺に。
ふと息を吐き、俺の全神経をレーリアにだけ向けた。
地球で初めて出会ったときの、緊張したような彩花の顔。
ユリシーダが送り込んだ使い魔に、怯えたあの時。
きみの本当の姿を話して、驚いたきみの表情。
初めて、きみを抱きしめたぬくもり。
初めて、キスをした感触。
まだ、レーリアとしての記憶が戻らないきみに、俺は言った。
「俺の心では、きみを『彩花』といつも呼んでいるよ」
そうしたら、安心したように、嬉しそうにきみは笑った。
不思議だな。
レーリアとして、アステリアにいるきみの名を呼ぶとき、心では『彩花』と。
そして地球で彩花として生きるきみには、心では『レーリア』と、そう呼んでいた。
どうしてだろう。
どちらも、きみなのに。
そうか。
どっちのきみも、愛しているから。
見守ってきた長い年月で、『彩花』として大人になっていくきみに俺は、心を奪われ続けていたんだ。
そして、心の底では、今でも地球へ戻りたいと思っているきみを、愛してる。
きみの全てを、俺は受け入れて…………そしてきみは最後の力を振り絞り、崩れそうな上半身を何とか片手で支え、俺に微笑んでくれた。
「愛してるわ、ラディ」
俺も。
だから、俺の想いも、受け入れて。
俺は、剣に蓄えられたレーリアの力に、俺の持てる全ての魔力を注ぎ込んだ。
『やめろ!! そんなことをしたら、『祝福の女神』の命が……!!』
レーリアの口元から、レクサスの叫び声が漏れた。
強く、恐怖に満ちた声。
俺は力を注入し終え、静かに剣を振り上げた。
あれほど重く感じた力も、今は俺の一部となっているような気すらした。
レーリア………
「やあああああーーーーーーーーーー!」
気合の声と共に、俺は剣を勢いよく振り落とした。
途端に剣から、膨張した淡く光る力の束が、レーリア目掛けて吹き迸る。
その力は、レーリアにぶつかり、彼女は大きく身体をのけぞらせた。
「ぎゃあああああああ!!」
耳を塞ぎたくなるほどの、苦痛に満ちた悲鳴。
それは、レクサスの声だった。
「レーリア!」
「レーリア、レーリア!!」
イスランとシェニムがレーリアに駆け寄った。
身体を痙攣させたレーリアは、口を大きく開けた。
その先にある闇。
そこに、レクサスがいる。
俺はイスラン達を押しのけ、レーリアを手でかき抱いた。
そして、長い輝く髪に、顔を埋めた。
「レーリア、俺はここにいる。ずっと、きみの傍にいる」
「ぐうううああああああ……」
苦しむ声が、段々小さくか細くなっていく。
レクサスが、消えていく。
レーリアの魂に融合出来なかったレクサスが、『祝福の女神』の力に対抗できる術などはない。
『なぜだ。上手くいっていたのに。なぜ、『祝福の女神』は私を受け入れない…………』
苦しみを超えたのか、わたしの中のレクサスが、ひどく沈痛した声で呟いた。
分からないのね。なら、教えてあげる。
それはね、レクサス。
わたしには、大切な人がいるからよ。
あなた、言ったわね。
「『蒼の疾風』の隊長のように振舞ってやろう」って。
どうして魂があなたのラディを、わたしが愛せるの? 受け入れられるの?
あなたは、間違っている。
人が、人としてあるべきは、魂が全てなのよ。
わたしの答えに、レクサスは納得しなかったようだった。
静かな声が、続いた。
『だが……人は、見た目で惑わされる。事実、何の権力もない私を、ティリシアの市井の者たちは受け入れなどしなかった。『紅の一族』だというだけで、恐怖に満ちた目で私を見た。あの国王姉妹のせいで、私はずっと孤独だった。ティリシアでも、『紅の一族』でも……』
だけど、由利ちゃんは違うわ。
彼女は、立ち上がった。
自分の力と、周囲の協力を得たじゃない。
そして彼女は、あなたにも助けを求めてた。なのに、あなたは彼女を裏切った。
『違う。裏切ったのは、ユリシーダ王女の方だ。違う、違う……私は…………』
「レクサス!?」
扉の向こうから、聞きなれた声がした。
由利ちゃんの声だ。
『ユリシーダ王女……』
レクサスの口調が、僅かに変わった。
少しだけ、怯えが混ざったような声になる。
由利ちゃんは、わたしの姿を見て、真紅の瞳から大粒の涙をぽろぽろと零した。
「レクサス、ごめんね、ごめんなさい。私がもっとしっかりしていたら、こんなことには……」
どうして、由利ちゃん。
あなたが、泣くことなんてないのに。
レクサスも、動揺している。
『どうしてだ、分からない。なぜ、ユリシーダ王女は私に謝罪を……』
肩を震わせる由利ちゃんに、手を掛けたイスラン兄さん。
だけど由利ちゃんは、彼を見上げて小さく首を振り、わたしの傍で跪いた。
「私があなたを止めなくちゃいけなかった。なのに、全部彩花に押し付けてしまった。ずるいの、私。あなたに裏切られた現実を、受け入れられなかった」
由利ちゃん……そんなこと、ないのよ。
あなたは、精一杯頑張った。それを、皆知ってるよ。
「レクサス、私、途中であなたとの考え方の違いに気付いてた。私が彩花を大切に想ってしまっていることに、あなたが気付いて、私を何とか前の状態に戻そうとしていたのも分かってたの。でも、それでも私は……裏切ったのは、私の方。私は、それを認められなかった……」
『……そうだ。裏切ったのは、ユリシーダ王女、あなただ……』
レクサスのその消え入りそうな呟きは、きっとわたしにしか聞こえない。
不思議と、憎しみは感じなかった。
ただ、淡々と現実を受け止めている。
そんな口調だった。
「孤独だった私に、声を掛けてくれたあの日のこと、忘れられないの。嬉しかったのよ、レクサス。私は一人じゃないって。そう思えた。でも、私はあなたを再び一人にしてしまった。本当に、ごめんなさい…………」
由利ちゃんは、耐え切れなくなってしまったように両手で顔を覆った。
由利ちゃん、泣かないで。
『泣かないで、ユリシーダ王女……』
ふいに、わたしの唇からレクサスの声が零れだす。
ああ、もう、わたし限界かな。
でも、レクサスは離さない。
このまま……ラディに抱かれたままなら、いい。
少しだけ、レクサスに身体を譲ってもいいわ。
疲れちゃった。少し、寝たいな…………。
「レクサス……?」
『もう、いい。私が弱かったんです。あなたを支えきることが出来なかった。それを『祝福の女神』は、いとも簡単にあなたの心を掴んだ。それが、悔しかった……きっと、私は彼女に嫉妬していたんです』
「そんなこと……何で……レクサス……」
『この世界を手にし、あなたに皇帝の王冠を被らせてあげたかった。今思えば、きっと今の私も変わらぬ望みを抱いていたのかも知れません。あなたはそれを望んではいないかもしれないけれど』
「レ…………クサス………」
『幸せに、ユリシーダ王女……いや、もうユリシーダ領主か。ティリシアを……』
『起きなさい、『祝福の女神』。起きて』
思考の底の闇で眠っていたわたしを、静かな声が目覚めさせた。
まだ、眠い。
このまま、眠りたい。
『ありがとう、身体を貸してくれて。思いを伝えられた。もう、充分です』
……何を言っているの?
レクサス、言葉の意味が分からない。
『このままでは、あなたも私と共に消滅してしまう……ユリシーダ様には、あなたは必要な人だから』
そうくすりと笑って、わたしの中から突然レクサスの気配が消えた。
嘘。
どうして。
わたし、しっかりとレクサスを掴んでいた。
魔力を放出したけれど、この力だけは残していたんだもの。
わたしと共に、果てるように。
なのに…………
レクサスは、わたしの中から一人静かに、消え去った。




