第1話 断絶の結界、魂の境界線
なあ、彩花?
なあに、吉田くん。
きみがもし、レーリアの記憶を取り戻せなくても、それでも俺は、きみを愛し続けるよ。
どうしたの? 急に。
俺には、彩花としてのきみもレーリアとしてのきみも、どちらも大切で愛おしい存在だから。それを、分かってもらえたらなって思ったんだ。
吉田くん……
愛してる、彩花。きみは、きみらしく。最後の決断の時には、迷わないで。
世界中の誰もが非難しても、俺は彩花の傍にいる。そして、きみの想いも護りたい。
だから、彩花…………
ラディの言葉が、頭をよぎる。
いつでも、いつだって、わたしのことを考えてくれていた。
そんなあなたを、わたしはどれだけ頼りにしてしまっていたか。
そして…………どれほど、あなたを愛しているか……伝わっていた? ラディ。
だから、あなたはわたしが護る。
『祝福の女神』の力を全て注いででも、あなたを護る。
わたしの指先から流れ出た魔力は、ラディの…………いいえ、違う。
ラディの姿をした者の腕を焦がしていく。
「……離せ、『祝福の女神』」
「嫌よ。あなたが本性を現すまでは」
わたしはにこりと笑って、指先に更に力を込めた。
ラディの顔をした者の眉が寄せられ、苦しげに口元が歪んでいく。
離さないわ。
許せないもの。
「レーリア様、そいつは、隊長の身体を奪ったのは、レクサスです!!」
サーシャがハスキーな声で叫ぶ。
やっぱり。レクサス、あなたしかいないと思ってた。
ラディの姿をした者………レクサスは、わたしの首に触れていた指に力を込めた。
そして、くっ、と喉を鳴らして笑う。
「その、証拠は? 俺は、ラナディート・エルハラード。そう言い切れば、誰も否定など出来ない。この身体はラナディートのもの。間違いない。『祝福の女神』、お前も気付かなかっただろう?」
そうね。
魔力も別段強くなった訳ではない。
ただ、人格が変わってしまった……それだけしか、気付かなかった。
悔しい。
ラディの異変に、もっと早くに気付けなかった自分に腹が立つ。
シェニム兄さんが、ふと顔を上げ、指をパチンと鳴らした。
すると、空間からティロンが現れた。
「主、『魔女の館』の長達から、証言が取れました由。名前までは分からないようですが、確かに魂だけの存在にして欲しいとの依頼があったようです」
「やはり、『魔女の館』が絡んでいたか」
苦々しげに言うイスラン兄さんをちらりと見、ティロンは跪いたまま報告を続けた。
「黒い短髪で、真紅の瞳の男だったそうでござる。怪我をしていたが、それを厭わず森深くまで単身赴き、自らの身体を差し出し、魔女達に依頼を申し出たそうで候」
「…………レクサス、ですね。間違いない」
シェニム兄さんはそれを受け、ラディの姿で薄笑いを浮かべている者に目を向けた。
誰よりも深い海の色の眼差しは、今や流氷を思わせるほど冷たい。
「正体がばれては、この先あなたが望む未来は成就しませんよ。諦めて、ラナディートを解放なさい」
「くっくっ、諦める? 誰が。居心地いいなあ、この身体は。鍛えていて身軽だし、それに何より、『祝福の女神』をこの手に抱ける」
「何を……!!」
目を見開くイスラン兄さんに、レクサスはわたしの頬をつう、と撫でて目を細めた。
「なあ、『祝福の女神』。取引をしよう。お前の前にいる間は、ラナディートのように振舞うことを約束する。優しく、大切にお前に接しよう。今までと、なんら変わらない生活になるよう、努めることを誓う」
何を……言い出すの。
わたしが呆然としていると、レクサスはクスクスと笑ってわたしに顔を寄せた。
間近で見るラディの顔は、悪意に彩られて……嫌だ。見たくない。
「そして、そうだな。私とお前の子供が出来たら、この身体をラナディートに返そう。そしてその子供に私の魂を宿せれば、何も言うことはない。『祝福の女神』の子供が、次々代の皇帝になっても、何の不思議もないからな」
なんて…………吐き気をもよおすようなことを言うんだろう。
わたしは、殴りつけたい感情を、必死で堪えてレクサスを睨み付けた。
「わたしが、その条件を飲むと思っているの? あなたになんて、わたしを自由にさせないわ」
「へえ、そうか。ならば、この身体がどうなってもいいと?」
レクサスは、ふいに手を伸ばし、サーシャが手にしていた剣を奪い取った。
一瞬の、出来事だった。
その剣を自分の胸に向け、邪悪に顔を歪めて笑う。
「『祝福の女神』、ラナディートが大事なのでは? このままこの身体を殺しても、私は別に構わない。別の器に移動すればいいだけのこと」
「どこまで卑怯なんだ、お前は!!」
イスラン兄さんは叫ぶけれど、でも手出し出来ずに歯噛みした。
シェニム兄さんは、ちらりと背後を見やり、そして身体をずらして道を開ける。
「レクサス、そうも言っていられんのじゃないか?」
その声、……聞いたことある。
だけど、まさか。
はっとして、振り返ると、そこにソルトに抱きかかえられたミネリア王が、真っ青な顔で立っていた。
うそ……生きていた?
「ミネリア王……そんな馬鹿な。確かに、この手で…………!!」
「首級を取られんで良かったわ。全くこの馬鹿息子は使えんしな。親が操られているのにも気付かず」
ミネリア王は、そう言うと、ソルトの頭をゴチンと叩いた。
「いってえなあ! 分かる訳ねえだろ! こちとら魔力なんてねーんだし!! てか、アヤカっちですら、ほら! 分からなかったじゃねえか!」
「それでも理解し合うのが親子だろうが! サーシャ殿には、心から感謝する。よく機転を利かせてくれた」
ミネリア王が頭を下げると、サーシャは慌てて首を振った。
そして戸惑うように、ミネリア王、ソルト、そしてレクサスを見比べている。
そのレクサスは、何やら動揺したような仕草をしていた。
ミネリア王は、痛々しい包帯を胸に巻いたまま、ソルトから離れて一人で立った。
そして尊大な態度で、レクサスに指を突きつける。
「お前がこの身体を乗っ取った間も、俺の意識ははっきりとあったぞ、レクサス。だからこそ、お前の心中も手に取るように分かった。お前は、自分よりも魔力が強い者には憑依出来ない。魔法と同じだな。自分よりも魔力が強い者には、魔法は掛けられない」
そう……そういうことだったの。
レクサスの目的が、アステリア制覇だとすれば、一番いいのはわたしの身体を乗っ取ることだもの。
それをしないで、回りくどくミネリア王からラディへと移り、わたしへと近づいたのは……わたしにはその力が使えないから。
「なるほど、では」
シェニム兄さんは、手のひらを天井へ向けようとした。
だけどその瞬間、わたしの方がいち早く手のひらを上に掲げていた。
キイイイィィン、と、耳鳴りのような音がする。
結界を張った。
初めて。わたしが結界を張ったのは。
いつも、ラディ、あなたがこうしてわたしを護ってくれていた。
「彩花、俺の傍にいて」
そう、言いながら。
鼻の奥が、ツンとなりはじめる。
駄目。泣いている場合じゃない。
「レーリア、危険です………!!」
シェニム兄さんの声が僅かにするけれど、わたしは止めるつもりはなかった。
わたしの張った結界には、二人きり。
わたしと、レクサスと。
レクサスの魔力のほどは分からないけれど、ラディよりは上。わたしより下なのだろう。
ならば、あの場にいた人全てが犠牲になる可能性があったから。
もう、誰も苦しめたくないの。
ごめんね、ごめんなさい。
わたしは、わたしの全ての力を賭けて、ラディを救いたいの。
「さあ、レクサス。ラディを返して貰うわよ」
「くっくっ…………どうやって。もはやラナディートは、私の魂と結びついている。どうやって切り離す?」
挑発的に笑うレクサスに、わたしは呼吸を整えて唇を開いた。
決戦は、始まったばかりだった。




