第4話 逆鱗の抜刀、狂王の禁忌
ティリシア城が落ちてすぐ後、一つの影がティリシアからアステリア国へと密かに入っていった。
向かうはうっそうと茂った森。
その森の奥深くに、ある民族が住んでいる。
女性ばかりのその民族は、類まれな魔力を持ち、そして依頼を受ければ報償と引き換えに魔力でもって望みを叶える。
一番、大切なものと、引き換えに。
原色の髪を持つ、魔女の長に会ったティリシアからの訪問者は、薄く笑みを作って唇を開いた。
「私の、一番大切なものを捧げよう。そして、私の望みは…………」
望みは、破滅と再生。
ラナディート率いる『蒼の疾風』が、その地にたどり着いた時、すでに日が傾きかけていた。
「思ったよりも時間をくってしまったな」
茂みに潜んだラナディートは、隣にいるサーシャに小声で囁いた。
サーシャは軽く肩を竦めて頷いた。
「うーん、ミネリアは起伏が激しいですからね。いくつの山を越えたんだか。もう疲れちゃった」
「おい、副隊長自らそんなことを言ってるなよ」
「動きっぱなしなんて、美容に悪いしぃー」
そうおどけて言ったサーシャの眼差しは、テントを張った陣営に向かっている。
相当数の軍人が、この草原を行き来している。
武器を持たずに、淡い緑の軍服姿は、ミネリア国のものだった。
この場で野営を張り、明朝にでもアステリア国へ攻め込むつもりなのだろう。
それを、阻止せねばならない。
出来るだけ、被害を出さずに。
イスランが率いるアステリア軍が、この地に到着するまでの間に、どうにか戦局をアステリア優位に持っていきたい。
たった8人の、『蒼の疾風』で。
出来るだろうか?
やらねば、ならない。
ラナディートは、まず隊員の一人を、密かに迂回させてティリシア軍へと向かわせた。
ティリシアが、アステリア軍が到着する前にミネリアと接触をするのを避けるためだった。
ミネリア軍が停泊しているこの地よりも数十キロ先で、何とかティリシアの進軍を止める事が出来た。
ティリシア軍から戻ってきた隊員は、
「いましたよ、領主自ら。レーリア様の行方を心配しておいででした」
「そうか……イスランが来るまで、大人しく待機していてくれることを祈ろう。ポワン、本軍はどの辺りにまで来ている?」
ラナディートの問いに、ポワンは空を見上げ、小さく何かを呟いた。
そして何度か頷くと、ラナディートに銀色の瞳を向ける。
「あと、大体30分くらいでここに到着するそうよ。途中で軍を半分に分けていたみたい。片方は、迂回させてティリシア軍に向かっているようよ」
「ユリシーダを援護するつもりか。戦力を分配するとは、あまりいい作戦じゃないな」
「仕方ないっしょ。司令官はティリシア領主様に首ったけみたいだし」
ラナディートが眉を潜めると、サーシャは軽く肩を竦めた。
そのサーシャを見下ろし、ラナディートは小さく溜息をついた。
「まあ、ここで言っていても仕方ない。我らは出来る仕事をするだけだ。今、気が抜けているミネリアを叩くチャンスだしな。突入して混乱させて、その隙に王を狙うぞ」
少人数だからこそ、出来る奇襲。
そう決断したら、『蒼の疾風』の行動は早い。
ラナディートは短く隊員に指示を送り、長い銀髪を結い上げているポワンに目を向けた。
「ポワン、お前の魔力を借りれるか?」
「もちろんよ。そのために、アタシはレーリア様から離れて、ここにいるんだもの」
「頼もしい言葉だな。援護射撃をしてくれ。俺とサーシャで、一気に突っ込み、真っ直ぐ王のテントへと向かう。他の者は、先に指示したとおり。出来るだけ暴れてくれ。それが時間稼ぎになる」
「了解!」
隊員達とポワンが頷き、ラナディートとサーシャは目を見合わせて屈んでいた腰を僅かに持ち上げた。
「いい? ラディ。いくわよ」
ポワンはすと立ち上がり、両手を天に掲げた。
彼女の手のひらから、小さな火花が散り始める。
銀色の、その美しい輝きは雷。
それが段々膨張し、大きくなっていく。
ラナディートは膝に力を入れ、手を振り上げ、ミネリア軍向かって振り下ろした。
それが合図となり、ポワンは両手で発生させた閃光を、真っ直ぐミネリア軍の陣営へ向ける。
「はーーーーーーー!!」
ドゥン、と大きな音を立てて、ポワンから放たれた光が炸裂する。
ミネリア軍が、突然のこの攻撃にざわめき立つ。
「行くぞ!!」
ラナディートは剣を抜き、走り出した。
彼の後に、『蒼の疾風』隊員達とポワンが続く。
「とっとと始末つけちゃいましょ」
サーシャはそう軽く言い、剣で迫り来るミネリア軍人をなぎ払っていった。
だがその瞳は、口にしている言葉ほど明るくは無い。
サーシャは、ミネリアの王子と知り合ってしまった。
そして共にした時が、少し長すぎた。
情がというものが、剣を鈍らせることを彼は知っている。
そしてそれが、仲間の危機に繋がってしまうことも。
だが、それを切り離して考えることも、サーシャには出来た。
だからこそ、彼は『蒼の疾風』の副隊長になれたのだ。
アステリア国のために。
そして命を捧げると誓った、祝福の女神のために。
彼女を護る、隊長を護るために。
友ですら、切捨てる覚悟をいつでも胸に秘めているサーシャは、走るスピードを速めた。
なぎ払っても討ち捨てても、次から次へと湧いてくるミネリア兵士。
まともに向き合っては、彼らのほうが危ない。
だから、道を切り開くためだけに、剣を振るっていた。
段々、軍人達の数が多くなってくる。
それだけ、重要たる場所が近いということだ。
走り抜ける、サーシャとラナディート。
背後では、派手な音を立てて閃光が放たれ続けている。
そして、真っ赤な火柱が立ち上がっている。
ポワンと、彼女が召還した下級使い魔が、彼らの後押しをしてくれているのが分かった。
目指すは、ミネリア王。
「やぁーーーーーーー!!」
ラナディートの剣が、幾多ものミネリア兵を切り捨てていた。
そして、見える一際豪奢なテント。
あそこか。
「隊長!」
サーシャも気付いたようで、剣を振り回しながら振り返った。
ラナディートは頷いて、横から迫るミネリア軍人を柄で殴りつけた。そしてその胸に、剣を突き立てる。
その軍人の腹部を蹴り、剣を抜くと、自分のものではない血で染まった顔を、ぐいと腕で拭った。
生臭い香りが漂う。
「行け、隊長! ここは俺が引き受ける……っ!?」
サーシャは急に暗くなった空を見上げた。
彼の頭上に、真っ黒い天井が出来上がっている。
「あれは……!?」
「黒竜…………シェニムの使い魔だ!」
ラナディートは、その瞬間イスラン達、アステリア本軍の到着を知った。
これで、アステリア国にミネリア軍を侵入させるのを防げる。
そして、彼らの向いている方向から、大きな咆哮がどよめき始めた。
ティリシア軍が、アステリア軍と共に一斉攻撃を始めた。
圧倒的な、兵力の差。
前後方から攻められたミネリアに、もはや勝機はない。
「ミネリア王!!」
ラナディートは、テントの入り口に手を掛けた。
ばっと布扉をめくると、そこに口元に髭を蓄えたミネリア王、そして隣にソヴァーディガルド王子がいた。
ラナディートの眼差しが、沈んだソヴァーディガルド王子に向けられ、そして不遜な表情を浮かべるミネリア王に戻った。
「ミネリア王、聞こえるか。最早、あなた達に勝機はない。あなたに出来ることは、一秒でも早く、敗北を認め、無駄死にをこれ以上量産しないことだ」
「くっ…………くっくっくっ…………」
ミネリア王は、俯くや、低く地を這うような声を上げた。
鳥肌が立つような、その笑い声に、ソヴァーディガルド王子は父の肩を掴んで揺さぶった。
「父上、投降しましょう。このままでは、ミネリアがミネリアとして存在することすら危ぶまれます!」
「何を言う、ソヴァーディガルドよ。目の前のこの男さえ消せば、『祝福の女神』を容易に手に入れることが出来るのだぞ?」
「父上……?」
「知っておるのだろう、この男と『祝福の女神』の関係を」
そして顔を上げたミネリア王の口元は、高く吊り上げられていて、目元は暗い闇に包まれている。
「父上、どうしても『祝福の女神』を諦めないおつもりか」
「なぜ、諦めなくてはならない」
くっ、と喉の奥で笑った父王を見、ソヴァーディガルド王子は全てを諦めたように溜息をついた。
父は、裏切れない。
ならば。
身体を落とし、ラナディートに向かったソヴァーディガルドのエメラルド色の瞳から、翳りが通り過ぎていった。
父は、狂ってしまった。
支配力という、甘美な果実を目の前にして。
ミネリアが、ミネリアであるだけで、ただそれだけで人民は幸福に暮らしていけていたのに。
『祝福の女神』の力など借りずとも、ミネリアは平穏であることが出来たのに。
だが、一度嗅いでしまった果実の芳醇な香りから、逃れることは不可能なようだった。
ソヴァーディガルド王子は、半瞬、目を閉じ、小さく息を吐いた。
「悪いな、ヨシダくん。あんたとは戦いたくなかったが、父を護るためだ」
ソヴァーディガルド王子の膝が、ぐっと低く力を込められた。
来る。
ラナディートもまた、剣を構えて腰を落とした。
出来ることなら、ミネリア王の首一つで済ませたかった。
だが、こうなった以上は仕方が無い。
許してくれ、レーリア。
きみの大切な友人を、消そうとしている俺を。
ラナディートは一瞬だけ目を閉じ、再び蒼い瞳を開いた時には、全ての感情から決別していた。
ソヴァーディガルド王子が、今まさに、ラナディートへ走り出そうとした瞬間。
彼の肩が、掴まれた。
ソヴァーディガルドが振り返った瞬間、そこにいたのは剣を手にした父の姿だった。
「女一人、口説き落とすことの出来ぬお前に任せておくわけには行かぬ。こやつは、私が倒す」
「ち……父上…………」
「『祝福の女神』は、私が頂く。后として、迎えてやろう。ミネリア王の后としてな」
その言葉を耳にしたラナディートは、愕然とした。
まさか、ミネリア王自身が、レーリアを欲しているとは思ってもいなかった。
親子ほども違うのに。
レーリアへの愛情など、この男が抱くはずもない。
それなのに…………
ただ、力が欲しい。それだけの理由で。
狂っている。
剣を手にしたまま、ゆっくりとミネリア王がラナディートに近づいてきた。
喉の奥で、笑いを零しながら。
「お待ちください、父上……!!」
縋るソヴァーディガルドに、振り向きざまミネリア王は剣の柄で殴りつけた。
ソヴァーディガルドは、まともにその攻撃を頭部に受け、瞳を反転させて倒れこんだ。
「役立たずめ。そこで全てが終わるまで、寝ているがいい。さあ、『蒼の疾風』の隊長よ。お前の大切なものを、頂こう。安心しろ、可愛がってやる。この手で愛で、教えてやろう。『祝福の女神』の名に相応しい快楽をな」
「貴様…………それ以上、口を開くな」
ラナディートの眼差しが、鋭く光る。
許せない。誰であろうと、レーリアを汚す者は、決して許すことなど出来ない。
「くっくっ……お前のことなど、すぐに忘れるほどの絶頂を与えよう。どんな声で啼くのだろうな、『祝福の女神』は。今から楽しみだ」
「黙れと、言っている!!」
ラナディートは剣を振り上げ、ミネリア王に襲い掛かった。
生きて捕らえるつもりだった。
だが、もう生かしておく理由などない。
ミネリア王は、禁断を犯した。
ラナディートの聖地に、土足で踏み込んだのだ。
ラナディートの鋭い一撃を、剣の平で受け止めたミネリア王の口元が、不自然に歪んだ。
ぎり、と音を立ててラナディートの剣が押される。
信じられないほどの力。
ミネリア王は、髭を蓄えた口元を、剣越しにラナディートに近づけた。
それを避けるかのように、ラナディートの手に力が更に込められる。
その瞬間。
ミネリア王が、大きく口を開いた。
その奥にあったものに、ラナディートの目が見開かれた。
「まさか…………貴様…………」
「『祝福の女神』、頂くぞ」
ミネリア王の声が、低く地を這うようにテントに流れた。




