第4話 残照の家族、記憶なき微笑
色づく秋が過ぎ去り、冬が始まる。
去年の今頃は、もうあなたはアステリアから地球へと来てくれていた。
男の人を怖がるわたしに、押し付けない愛情を注いでくれて。
ゆっくりと、わたしの気持ちを待ってくれた。
記憶が無かったわたしの心に、あなたの存在は確かに根付いた。
深く、強く。
あなたのいない地球は、とても寂しいけど、でもわたし、頑張ってるよ。
そして、決めた。
決めたよ、ラディ。
パパさん、兄さんたち、アステリアのみんな。
わたしに、時間をくれてありがとう。
後悔しない。……しないように出来る時間をくれて、ありがとう。
「彩花、今日は早く帰ってこれるの?」
家を出る間際に、お母さんがわたしに声を掛けた。
パンプスを履いて振り返ったわたしに、お母さんはエプロンを外しながら微笑んだ。
穏やかな笑顔。
「うん、なるべく早く、帰ってくる」
「そうね、そうして。あなたの好きな料理を作っておくから」
「お母さん、仕事は?」
わたしが残業にならない日は、うちで一番早く帰宅するのはわたしだもの。
首を傾げると、お母さんはおかしそうに笑みを深めた。
「大事な娘の誕生日くらいは、早く帰ってくるわよ。ほら、遅刻しちゃうんじゃないの?」
お母さん……。
何だか胸が熱くなる。
わたしが5歳の時、この地にやってきて、子供がいなかったお父さんとお母さんの記憶を操った。
とてもわたしを可愛がってくれた二人は、毎年わたしの誕生日には、ご馳走を作ってくれて、プレゼントを用意してくれて。
お父さんも、お母さんも、普段仕事で忙しくって、毎日帰りが遅いのに、この日だけは3人で夕食を食べる。
それが、藤森家のお約束みたいになってた。
ううん、誕生日だけじゃない。
入学式や卒業式、それに成人式。
わたしの節目には、いつも揃ってお祝いをしてくれた。
家族っていいな。あったかいな……いつも、そう思ってたのよ。
アステリアでは、経験出来なかったことを、たくさん教えてくれた。
お陰でわたし、憧れてた普通の女の子になれて、毎日楽しかった。
お父さんの休みの日には、公園に連れて行ってくれたり、野球観戦に連れて行ってくれたり。
両手をお父さんとお母さんに繋がれて、歩く道のりはとても幸せだった。
ずっと続くと思ってた、幸せな日々。
だけど……ごめんね。
ごめんなさい。
会社に、わたしは一通の届出を出した。ううん、一通じゃない。
わたしと、吉田くんの分。
課長は突然のことに驚き、引き止めてくれたけど。
でも、けじめはちゃんとつけておきたい。
わたしは深く頭を下げて、たった3年間だけど……
でも、わたしにとって、大切なことをたくさん教えてくれた、この会社を後にした。
大きなデコレーションケーキ。
そこに、太いロウソクが2本と、細いロウソクが5本。
ふーっ、と吹き消すと、お父さんとお母さんが拍手をしてくれた。
ふふ、恥ずかしい。
でも、嬉しい。
「彩花、お誕生日、おめでとう」
「おめでとう。ほら、お前、欲しがっていただろう」
お父さんがくれた包みを開くと、本当だ!
ずっと欲しかった、黒のホルターネックのシックなフォーマルワンピース。ちゃんとパシュミナのショールまでついてて。
「営業だと、結婚式とかにも呼ばれるものねえ。そういうものも必要だし、面倒ねえ」
そう笑うお母さん。
……会社のことは、言うのはやめておこう。
言う必要、ない。余計な心配、掛けたくない。
わたしが着替えて、「どお?」と一回転すると、お母さんはさらに笑った。
「胸元に、もうすこしボリュームがあればねえ」
ひどーい!
ぷう、と膨れたわたしに、お父さんは眼鏡の奥で、目を細めてわたしを見つめた。
「彩花が、こんなのを着るようになるとはなあ……」
「お父さん……?」
「小さい頃から、お前はいつかお嫁に行くんだと思うと寂しくてなあ。だけど、嫁にいかなくても、お前は突然、おれ達の前から消えてしまうんじゃないかと、そんな不安があった。どうしてだろうな?」
お父さん、何で、どうして……
立ったまま、身動きが出来なくなったわたしに、お父さんはふと微笑んで言った。
「だがな、どこへ行こうと、何をしようと。お前はおれ達の大事な娘だ。たった一人の、大切な娘だ」
どうしよう。
泣きたい。
笑って行こうと思っていたのに。
「おっ……お父さん……、おか……さん……」
お父さんとお母さんは、突然泣き出し、しゃくり上げるわたしの言葉を、黙って待っていてくれた。
「わ………たし、お父さんと…………お母さんの娘になれて……よかった……」
その先は、言葉にならなかった。
ただただ、身体を震わせて顔を両手で覆うわたしの肩に、暖かいものが触れた。
顔を上げると、お母さんが微笑してわたしの両肩に手をかけている。
「彩花、あなたは私達の、自慢の娘よ。今までも、これからも」
お母さん達が、わたしの正体を知っている訳が無い。
それなのに。
どうしてこんなに、心に沁みていくの。
決断を、鈍らせてしまいそうになる。
だけど。
わたしはぐいと涙を拭って、笑顔を浮かべた。
「今まで、本当にありがとう。わたし、幸せだった。この思い出があれば、どんなに辛いことでも、乗り越えていけるよ」
そして、目を閉じて、気持ちを集中させた。
わたしの、眉間に。
封印していた全ての力の、解放を。
ふわ、と髪が逆立っていく。
漲っていく、わたしの魔力。
薄く開けたわたしの目に、金糸が舞う。
驚いている、お父さんとお母さん。
これが、わたしの本当の姿なの。
今まで、騙していてごめんね。
手を、右に翳した。
空間が、歪んでいく。
「彩花様、いいのですか、これで、本当に……」
足元のポワンが囁いた。
いいの。いいのよ。
これで、いいの。
アステリアへの道が、繋がった。
わたしはお父さんとお母さんへと意識を向けた。
大切な二人から、わたしの記憶を消す………辛いよ。悲しいよ。
だけど、そうしないと。
お父さんとお母さんが、前に進めないから。
だから。
パチン、と静電気の弾ける様な音。
目をぱちくりとさせている、お父さんとお母さん。
もう二人からは、わたしの記憶が消えてなくなっているはず。
そして、この家から、わたしの思い出が全て消え去っている。
わたしの部屋も、わたしのお茶碗も、わたしの………全てが。
「ありがとう……ございました」
深く一礼をして、空間へと足を踏み入れたわたしに、信じられない言葉が掛けられた。
「また、いつでも遊びにいらっしゃい」
驚いて、振り返るわたしに、変わらない笑顔を向けているお母さん。
お父さんも立ち上がり、お母さんの隣に立って微笑を浮かべている。
魔法で、記憶を操作することはできる。
だけど、感情を操ることはできない。
それは、神の領域だから。
記憶を超えて。
わたしは、お父さんとお母さんの感情のどこかに存在しているのだろうか。
わたしは、幼い日から、何度も向けたように。
家族だけに見せる笑顔を浮かべて、踵を返した。
振り返らないよ。また、泣いてしまうから。
笑顔のわたしを、覚えていてもらいたいから。
ポワンがわたしの後に続くのを確認し、わたしは空間を突き抜けていった。
最初は歩いていたのに、気付いたら走り出していた。
アステリアへと到着し、深く深呼吸して、空間を閉ざした。
固く、わたし以外のものが、この道を開けないように。
俯いたまま、動かないわたしを、人形に戻ったポワンが抱きしめてくれた。
何も言わずに、ただ、ぎゅっと。
ありがとう、ポワン。
わたしは、わたしの決断を後悔したくない。
わたしの力を、必要としているのは、アステリア。
この地に、わたしの全てを捧げたい。
ポワン、あなたとラディと一緒に。
アステリアを、護っていこう。
顔を上げたわたしの目の前に、広がる空。
雲ひとつない、晴れ渡ったその空は、今のわたしの心を映しているかのようで。
「行こう、ポワン」
「はい、レーリア様」
レーリア・チュニス・エルハラード・アステリアとして。
『祝福の女神』として、生きていく。
そのための、一歩を踏み出した。




