第3話 追憶の筆跡、独りきりのオフィス
焦げ茶色の髪に、茶色味こもった瞳。
今のわたしの姿だ。
髪も最後に地球にいた時のように、肩より少し下くらいの長さにして。
シェニム兄さんは、アステリアからの空間を、わたしの部屋へと繋げてくれた。
お父さん達に、気付かれないように。
「レーリア、自分で、あの方達に魔法を掛けたくないのでしょう?」
うん、出来る限りは。
わたしが小さく頷くと、シェニム兄さんは僅かに目を細めた。
その瞬間、パチンと静電気のような音がする。
ごめんね、シェニム兄さん。
わたしの我がままで、魔力をまた使わせてしまった。
シェニム兄さんは、お父さん達の記憶を変えてくれた。
わたしとラディ……吉田くんは、有給を使って、二人で彼の実家に遊びに行っていた。
そうしたら、実家で少しばかり面倒なことが起きて、吉田くんはしばらくこちらへは戻って来れなくなってしまった。
「まあ、こんなものですかね。あまり細かい設定をしないほうが、粗が目立たないものです」
「うん……ありがとう。充分よ。じゃあ、わたしの力、封印するね」
足元には、ポメラニアンの姿になったポワンがいる。
その背中をそっと撫でて、わたしは背を伸ばして目を閉じた。
ざわり、と全身鳥肌が立つような感触。
わたしの意識全てを、わたしの眉間に集中させた。
髪が逆立っていく。
無の、境地に入る。
わたし自身の魔力を封印したり、解放したりする瞬間、わたしは完全無防備になる。
だから、この瞬間まで、シェニム兄さんは傍にいてくれた。
「……うまく、封印できたようですね」
目を開けると、シェニム兄さんは小さく頷いて、両手をわたしに伸ばした。
その腕に、素直に抱かれる。
ぎゅっとわたしを抱きしめた、シェニム兄さんの優しさが伝わってくる。
「レーリア、アステリアのことは、心配しないように。私がいるのですから、大丈夫ですよ」
ふふ、頼もしい言葉。
「それに、兄上とラナディートが張り切ってますしね。あなたは安心して、自分の未来のことだけをお考えなさい」
ありがとう、ありがとう。
わたしは心で何度も呟いて、空間のひずみへ消えていくシェニム兄さんを見送った。
そして、歪みが消え、空間が完全に閉ざされた。
アステリアへの道が、消えた。
今度アステリアへ戻るのは、半年後。
わたしの誕生日を迎える日。
この日に、アステリアで行われるわたしの『成人の儀』で、わたしは自分の未来を決める。
そうすることで、アステリア内で、わたしを巡る争いは消えてなくなる。
決断を、間違えないようにしなくてはならない。
そしてわたしは封印を自分で解き、アステリアへの道を再び開くことになる。
ラディが言った通り、半年なんて、きっとあっという間。
みんなが、わたしのために作ってくれた、貴重な時間。
その日まで、わたしはわたしらしく、前を向いて歩いていきたい。
久し振りに眠ったベットは、思いのほか気持ちよくて。
わたしはぐっすりと眠ってしまった。
「……かー、彩花ー?」
「彩花様、母上様がお呼びですわよ?」
ポワンがこっそりとわたしに囁いて、わたしの頬をそっと舐めた。
くすぐったい!!
でも、ばっちりと目が覚めたわたしの耳に、再びお母さんの声が。
「彩花ー? 起きなさい、朝よー!」
わたしはベットから飛び降りて、部屋の扉を開いて階下へと叫んだ。
「はーい、起きた、今起きたよ!!」
そして慌しくスーツに着替えて。
地球での日常が、始まった。
朝ごはんは、いつもと同じ。
ロールパンだけ。
台所でコーヒーを淹れてくれたお母さんの隣に、わたしは無意識に人影を探してしまった。
いるわけないのに。
『彩花、お待たせ。ミルクたっぷりのコーヒーだよ』
聞こえるわけなんて、ないのに。
幻聴まで聞こえるなんて、わたし重症だ。
一つ首を振ると、目の前のお父さんに声を掛ける。
「ねえ、お父さん、食べながら新聞読むのやめたら?」
「ああ……」
全く、空返事なんだから。
新聞から目を離さない。
わたしに続いて、お母さんも注意してるけど、聞きゃあしない。
でも、これがいつもの光景。
お父さんがまともに朝から話す相手なんて、吉田くんしかいなかったもの。
ああ、また思い出しちゃった。いけない。
わたしは口に含んでたパンをコーヒーで流し込んで、麻のジャケットとバッグを掴んで立ち上がった。
そしてバタバタとローヒールのパンプスをつっかけて。
わたしを見上げるポワンを撫でて微笑んだ。
大丈夫だよ。思ったより、わたし、大丈夫。
「行って来まーす!!」
やばいやばい、遅刻しちゃう。
思いのほか、寝坊しちゃったみたい。
慌てて飛び乗った電車で、腕時計を見て、ちょっとほっとした。
これなら、何とか間に合いそう。
会社に着いて、門のところで守衛さんに社員証を見せていると、何だか背中に衝撃が走るような気がする。
『おはよ、彩花! 今日も寝坊? 髪の毛跳ねてるよ! 女の子として、駄目じゃないのー!!』
由利ちゃんの、朝から元気な声が聞こえてくるような気がする。
由利ちゃんが、地球から姿を消してから、どれくらいになるんだろう。
わたしね、由利ちゃん。
すごく痛かったけど、でもあの背中を叩いてもらうことで、一日のパワーを貰ってたような気がするよ。
でも、由利ちゃんは今、ティリシアで頑張ってる。
自分のためだけじゃない。
ティリシアのみんなの為に、頑張ってるんだ。
わたしも、元気を出していかなくちゃ。
エレベーターに乗り、営業一課に向かった。
ここも久し振りのような感じ。
挨拶をしながら、自分の席に着くと、ふいに隣の席に目が行ってしまう。
立ち下げたままのパソコン。
机の上に、走り書きのメモがある。
手にしてみると、ああ、吉田くんの字だ。
S商事 14日 13時 電話 藤森さん
何? これ。
14日? 今日だ。うーん……?
ああ、思い出した。
そうだそうだ。
わたし、S商事に電話することになってた。担当の人が、今日じゃないと駄目だからって。
随分先のことだから、スケジュール帳に、わたし、ちゃんとメモしたのに。
吉田くんは、笑ってさらさらとメモして、言ったんだ。
『俺も、メモしておく。二人で覚えておこう?』
いつも、気配りしてくれてた。
わたしがミスしそうになった時も、先回りしてフォローしてくれたりして。
でも、ちゃんと後で教えてくれて。
本当に、わたしのことを考えてくれてた。
まずい。
吉田くんの字が、滲んで見えてきた。
わたしはブンブンと頭を振って、パソコンを立ち上げた。
休んでた分を、取り返さなくちゃ。
今日から、吉田くんはいない。
わたし一人で、出来る限り頑張ろう。
長期休暇を取るという形にした吉田くんの代わりに、わたしの新しいパートナーになったのは、同僚の女の子だった。
あの、吉田くんの取り巻きだった子。
しばらく、二人で営業回りをする日々が続いた。
上手くやっていけるか、ちょっと自信がなかったけれど、でも彼女も吉田くんがいなければ、真面目な営業社員。
意外にわたし達は、気が合うような気がした。
ある日、二人でファミレスでランチを取った。
彼女は、日替わりランチ。
わたしはメニューを眺めて、そして店員さんに一つを指差した。
「これ、お願いします」
「あ、それも美味しそうねー!」
そう笑った彼女に、わたしも微笑して応えた。
わたしの前に運ばれたのは、美味しそうなオムライス。
そして飲むドリンクは、オレンジジュース。
なんだか、あなたが傍にいるような気がした。
「藤森さん、今まで吉田くんとか宮下さんの影に隠れてただけなんだね」
ふいに、彼女が言った。わたしはケチャップのついたスプーンを握り締めて、首を傾げる。
彼女は、フォークで鳥の唐揚げを突きながら、少し困ったように笑った。
「だって、思ったよりも営業上手だし。すでに、お客様、藤森さんご指名の方多いし」
「そんなこと、ないよ」
「ううん。前に、吉田くんに、私言われたもの。藤森さんは、努力してるって。それなのに、私、あなたに酷いことを言った。覚えてる……?」
酷いこと?
言われたっけ。
わたしが首を更に傾げると、彼女はフォークを置いて、ぺこりと頭を下げた。
え……ええー!?
「何? どうしたの、やめてよ!」
「ううん。謝らせて。ごめんね、藤森さん。わたしね、一人の力じゃ、何も出来ないくせにって、そう言ったの。本当に、ごめんね」
ああ、そんなこと、あったような気がする。
何となく、記憶の片隅にあったような気がするけど……でも。
「もう、気にしてない。あなたも、気にしないで?」
「でも……」
わたしの言葉に、彼女はまだ眉を寄せたまま。
わたしは、出来るだけ穏やかになるように、笑みを浮かべた。
あなたの心に、わたしの気持ちが届きますように。
「あのね、一人の力じゃ、何も出来ないって、当たってるよ? わたし、今まで確かに、吉田くんにしても、由利ちゃんにしても。頼り切って、おんぶに抱っこ状態だったもの」
「ううん、そんなこと……」
「でもね、わたし、彼らのお陰で営業の仕方とか、お客様に対する気配りの仕方とかを学んだの。みんな、一人じゃないんだと思うんだ。支えあって、思いやって、そして成長していくんだと思うな」
わたしの言葉を、じっと聞いていてくれた彼女は、ふと晴れやかな顔で笑顔を浮かべた。
そして、テーブルの上に置いてあったわたしの手を、ぽんぽんと叩いた。
「ありがとう。私、分かった。どうして、吉田くんが藤森さんを選んだのか」
「え……?」
びっくりして、目を見開いたわたしに、彼女は今度は悪戯っぽい笑顔を向けた。
「理由は、教えてあげない。私の最後の意地悪よ。さ、食べちゃお、冷めちゃう」
そしてパクパクと、日替わりランチを食べる彼女を呆然と見つめ、わたしは何だか嬉しくて。
吉田くん、あなたのお陰で、わたし、大事な仲間がまた出来たよ。
心の中で、呟いた。




