第1話 落日の約束、偽りなき孤独
ポワンに乗って、アステリア国へと戻ったわたしとラディ。
まだまだ、何も終わってない。
だけど、わたしは何だかとっても疲れ切ってしまった。
どうしてだろう。何で、こんなに身体が重たいんだろう。
頭もすっきりしないし、まるで初期の風邪のような、倦怠感に包まれてしまっていた。
城に戻って、パパさんに挨拶をする前に、わたしは少し休みたくて、自分の部屋へと入った。
そのわたしの後を、心配そうにラディが着いてきてくれる。
「大丈夫、レーリア? 顔色が悪いけど……」
「ああ、うん、ごめんね。大丈夫よ。少しだけ休みたいの」
「そう……色々急に起きたから、きっと疲れたんだろう」
そうラディは微笑して、わたしの髪をぽんぽんと撫でた。
ベッドに腰掛けたわたしの隣に座ったラディは、それからわたしの言葉を待っているかのように、ただじっと窓の外を眺めていた。
不思議ね。
隣にあなたがいるだけで、それだけで、段々気持ちが落ち着いてくる。
わたしは、これからどうしたいのか。
どこで生きていきたいのか。
それをもう一度。
記憶を取り戻した今、もう一度ゆっくり考えたい。
「ねえ、ラディ……」
「ん?」
ラディは窓から目線をわたしに向け、そして柔らかな微笑を浮かべた。
「あのね、わたし、やっぱり地球へ一度戻りたい。きっと、反対されると思うけれど……」
わたしの成人の儀まで、後半年足らず。
24歳の誕生日を間近に控えたあの日から、今日まで本当に色んなことがあった。
成人の儀を迎える日までは、地球で仕事をしながら、いつもの生活を送りながら。
考える時間が欲しい。
「そう………だね。そのように、皇帝陛下に頼んでみよう。……ああ、司令官達が戻ってきたようだよ」
ラディの目線が、再び窓の外に向けられた。
それを追うように、わたしも晴れ渡った空を見上げると、そこに黒い身体を優雅にしならせた竜が飛んでくる。
ああ、戻ってきた。
一足先に、わたし達の方が、帰ってくるのが早かったのね。
イスラン兄さんと、シェニム兄さんが率いる、ティリシア包囲網のためのアステリア軍が帰ってきた。
皇帝の間にいたパパさんは、わたしの姿を認めると、ああ、老中達が見てるというのに。
わたしをぎゅーっと抱きしめた。
「レーリア、無事だね、怪我はしていないね!?」
「え、ええ、大丈夫。皆のお陰でわたしは全然この通り、大丈夫だから」
「父上?」
苦しくてもがくわたしを見たシェニム兄さんの、低くて冷たい声が流れる。
その声に、パパさんは惜しむようにわたしの頬を撫でて、だけどやっと手を離してくれた。
ここにいるのは、10名の老中。彼らがアステリア国だけでなく、アステリア全土の管理監査、全てを行っている。
そして皇帝パパさん、イスラン兄さんにシェニム兄さん、わたし。
ラディは『蒼の一族』で『蒼の疾風』の隊長だけど、この場に列せる権利を得ていない。
だから、部屋の外で待機していてくれているはず。
今、イスラン兄さんが、パパさんと老中達に報告をしている最中だった。
「……ティリシアの3姉妹は、結果としてこちらの意見を全面的に受け入れました。先にレーリアから届けられた書簡のように、ミネリアとフォーティニアの了承も得られました」
「これで実質、ティリシアはわが国の一部となりましたな。全くあの姉妹には、今まで手を焼かされてましたからな」
老中の一人が、顎鬚をしごきながら言う。
彼らにしてみれば、皇帝の下に4国があるとは言っても、一国のティリシアに無碍に干渉は出来なかったのだろう。
仕事がやりやすくなったのは、喜ぶべきことだ。
「では、ティリシアの国民選挙の方は、シェニムに一任するが、それでいいな?」
パパさんに言われたシェニム兄さんが返事をする前に、イスラン兄さんが立ち上がって自分の首筋に手を当てた。
「いや、その、父上、出来たらオレがティリシア担当になりたいんですけど」
「イスランが?」
「イスラン様が、まさか!」
今までのイスラン兄さんを知っている、その場にいたものが全員驚いたような声を上げる。
きっとイスラン兄さんは、そういう政治的なことからは逃げてシェニム兄さんに任せきりだったのだろう。
何で今、イスラン兄さんがこんなことを言い出すのか。
いいの? イスラン兄さん。
選挙に、私情を挟んじゃ駄目なんじゃないのぉー?
まあ、イスラン兄さんのことだから、そんなことないとは思うけど。
ただ、由利ちゃんの近くにいられるように図りたいだけなんだろうけど。
そんなに想いを強めてるの、イスラン兄さんったら。
わたしは思わずニマニマと笑ってしまい、それに気付いたイスラン兄さんに睨まれちゃった。
だけど、怖くないもんね。相手は、わたしの大切な友達だもん。
むしろ、嬉しいんだよ。幸せになってもらいたいから。皆に。
きっとイスラン兄さんの思惑を知ってるのは、わたし達兄妹だけ。
パパさんや老中達は、むしろ感極まったような表情を浮かべてる。
「イスラン様が、政治に目覚められたのは、大変喜ばしいことですな!!」
「そうですな、皇帝におなりになる前に、そういう国を動かす仕事に関わるというのは素晴らしいことです!」
「うーん、イスランがなあ。人は変われば変わるものだ。どこでスイッチが入ったのやら……」
パパさんは嬉しそうだけど、どこか不思議そうにイスラン兄さんを見てるし。
そしてわたしはニヤニヤと、シェニム兄さんは小さく溜息をついて、呆れたような眼差しを兄さんに向けてる。
イスラン兄さんは、その視線に耐え切れなくなったようで、ガーッと頭を掻き毟り、バンバンとテーブルを叩いた。
大きな音が、部屋中に響き渡った。
「うるせえ!! オレだってなあ、やるときゃやるんだよ! いいな、これでもうこの話は終わりだ!」
「落ち着きなさい。分かりました、異論もないようですから、ティリシアは兄上に任せるとして。さて、父上、それに老中方にもう一つ問題提起があります」
静かにイスラン兄さんを収めたシェニム兄さんは、立ち上がり長いハニーブロンドの髪を揺らした。
「ティリシアのユリシーダ王女を影で操っていたのは、レクサスという男だと先に報告をしたかと思いますが」
「ああ、聞いている。レクサス……『紅の一族』だったな。私の記憶にはないのだが」
「なるべく、表舞台に出ないようにしていたのでしょうね。この日の為に。レーリア?」
来た。
シェニム兄さんに促され、わたしはゆっくりと立ち上がった。
アステリア国に戻る前に、シェニム兄さんには知らせておいた。
フォーティニアにも、レクサスの影があったことを。
「わたしの伴侶候補として挙げられていた『虹の一族』の者に、レクサスの息が掛かっていました。彼は、ティリシア城が落とされた後か先か分かりませんが、他国にも接触していたようです」
ざわめく老中達。
わたしも、胸が痛い。
たった一人が、動かす力ってこんなに大きいなんて。国を揺るがす事態になるなんて。
だけど、それは人の心に闇があるから。
レクサスの甘い囁きに、耳を傾けてしまうほど、弱くて暗い場所があるからなんだ。
「では、まさかとは思いますが。まさかこのアステリア国にも潜入している可能性が?」
「無いとは言い切れませんね。彼は、危険です。勢力を味方につけたら、どんでもない脅威になる。彼が狙っているのは、一国の王ではない。皇帝の地位なのですから」
「なっ……!!」
「何ですと!?」
老中達のざわめきが大きくなる。
パパさんは、腕を組んで目を眇めて、シェニム兄さんの言葉を聞いていた。
その眼差しを受けて、シェニム兄さんが続ける。
「一刻も早く、捕らえなくてはなりません。まずは、レクサスの捜査網を敷きます。それをこれから、各国に要望を出すつもりです。アステリア国からは、捜索隊として『蒼の疾風』を出します」
え?
蒼の、疾風って。
「ラナディート、そこにいますね。お入りなさい」
「は……」
静かに入ってきたラディ。
その表情は、先ほどまでの穏やかさはなくって。
きっとこの会議の内容を聞いていたんだろう。
少し、表情が強張っているようにも見えた。
「いいですか。アステリア国の面子を賭けて、必ずレクサスを探し出すのです。彼は、皇帝陛下ばかりではない。レーリアの『祝福の女神』としての力を狙っているのです。見つけ出し、捕らえねばレーリアの身が危ない」
シェニム兄さんの言葉は、いつも冷静だけど。
冷静さが、際立ったような気がした。
その分、怒りを抑えているようにも見えた。
ラディはわたしを一瞬見つめ、きゅっと唇をかみ締めた。
そして、小さくその唇を動かした。
大丈夫。
確かに、そう動いた。
でも、わたしの心は確実に凍っていく。
あなたがいない、地球へ戻ることになるなんて。
「では、わが国のレクサス捜索隊を指揮するのは、ラナディート・エルハラードとする。よいな」
パパさんの言葉に、老中が一斉に頷いた。
「では、レーリア」
「は、はい」
呆然としていたわたしに、パパさんは重々しく告げた。
「レクサスは、お前がアステリアにいるのを知っている。まだこの世界に留まり、お前を狙っているだろう。だから……分かるな?」
分かる。
パパさんは、わたしに地球へ戻れと。
そう言ってる。
わたしも戻りたい。だって、そう望んでた。
だけど、それは、わたし一人じゃない。
ラディと一緒に。そう思ってたのに。
「魔力を解放したお前の力は、地球では安易にアステリアの者から見つかるだろう。自分で自分の力を封印しなさい。記憶を取り戻した今なら、出来るな?」
「はい……出来ます……」
「では、お前の護衛は使い魔のポワン。それだけで大丈夫かね?」
「大丈夫……です……」
ああ、全然頭が働かない。
ちゃんとわたし、返事出来ているのかな?
「お前を地球へと送った後、お前の成人の儀の時まで、再びアステリアと地球の空間を塞ぐ…………」
成人の儀まで。
ラディに会えない。
嫌だよ。どうして。
ずっと傍にいてくれるって言ったのに。
わたしを傍で、護ってくれるって言ったのに。
わたし、こんなに弱かったのかな。
ラディに会えなくなると思うだけで、全てが絶望に満ちてくる。
わたしのためだって、分かってる。
だからこそ。
わたしの知らないところで、レクサスと戦うラディを頭で思い描くだけで、気を失いそうになるくらい、心配で仕方ない。
嫌だ。
嫌だ。
目の前が、真っ暗になるような気がした。




