第2話 騎士の鼓舞、親友の誓い
「おいしかったねえ」
「久しぶりのご馳走だったねえ」
「ああ、大満足だねえ」
ド派手原色の髪を持つ、『魔女の館』の長三人は、すっかりと由利ちゃんの魔力をお気に召したようだ。
ご機嫌で、さっさと『魔女の館』へと帰っていってしまった。
その時には、ラディのことなんて忘れてしまったようで。
見向きもされなかったラディは、ほっとしたのか気が抜けたのか、微妙な表情だった。
そして魔力を根こそぎ奪われてしまった由利ちゃんは、ぺたりと座り込んで、ぼーっと宙を見つめていた。
由利ちゃんの傍で、ベレスとアーネストが心配気に腰を下ろしていて。
「ユリシーダ様、お気をしっかりと!」
「私が、分かりますかユリシーダ様!!」
ショック状態なのだろう、由利ちゃんは。
しばらく休んでいれば、大丈夫なはず。
普通の人間になってしまったけれど、でも由利ちゃんは今、魔力を失った代わりに、かけがえの無いものを手に入れたんだ。
ベレスとアーネストの目を見れば、分かるよ、由利ちゃん。
そこに、あなたが求めていたものがある。
自分の力で、手に入れたんだね。
「由利ちゃん……」
わたしは、ゆっくりと由利ちゃんに近づいた。
由利ちゃんの目線が、ぼんやりとわたしに向けられて。
そして、焦点が合うまで、随分と時間が掛かったけれど、それをわたしは由利ちゃんの前に跪いて待っていた。
蒼白だった由利ちゃんの美貌に、ほんのりと赤みが刺してきた。
わななくように動く唇が、「彩花」と動いた。
もう、大丈夫だ。
内心、ほっとしながら、わたしは由利ちゃんの冷たくなった手に、わたしの手を添えた。
少しでも、温まりますように。
由利ちゃんの、身体も心も。
「由利ちゃん、遠回りしたけど、でも、由利ちゃんの求める場所、ちゃんとここにあるよ」
「彩花……?」
「由利ちゃんは、今までもこれからも、一人じゃないよ。ベレスもアーネストも、こんなに心配してくれている。それにね、わたしも。由利ちゃんは、この先もわたしの大切な先輩だし、わたしの親友だよ」
心からの言葉を伝えるのって、難しい。
わたしの気持ち、伝わったかな。
由利ちゃんは、やっと生気が見えた真紅の燃えるような色の瞳を潤ませ、瞬きを何度も繰り返した。
そのたびに、綺麗な涙が頬を伝う。
ありとあらゆる負の感情が、その涙と共に由利ちゃんの身体がら抜けていくように見えた。
由利ちゃんを蝕んでいた、悲しみしか残すことの無い、孤独感から生み出された負の感情。
それが、由利ちゃんから段々と消えていく。
嬉しかった……本当に、わたし、由利ちゃんのことが大好きなんだ。
だから、絶対由利ちゃんには幸せになってもらいたい。
「彩花、彩花、ごめんね、本当にごめん……」
由利ちゃんは、わたしに手を伸ばし、わたしを両手で抱きしめて、首筋に顔を埋めて。
声を上げて泣いた。
「由利ちゃん……」
わたしが、もういいのって言おうと思った瞬間。
背後から、冷静極まる声が流れた。
「ユリシーダ王女、ちょっといいか」
その声は、シェニム兄さんじゃない。
イスラン兄さんだった。
「お前に、言っておかなきゃならねえことがある。ちょっと厳しい言葉になるが、大丈夫か?」
由利ちゃんは、わたしに抱きついた身体を離し、心配そうに見つめるベレス達に小さく頷いて、佇まいを直した。
ぐいと袖で涙を拭い、真っ直ぐにイスラン兄さんを見上げた。
その眼差しは、あの黒い感情がもう一つも見受けられない。
大丈夫だ。きっと、大丈夫。
イスラン兄さんは、由利ちゃんの呼吸が整うのを待ち、静かに唇を開いた。
「お前、領主選抜に参加しないつもりだろ」
「…………」
由利ちゃんは、イスラン兄さんを見つめたまま答えなかった。
あれだけ、王の地位を欲しがっていたのに。王じゃなくて、領主という立場になってしまうけれど。
由利ちゃんが、ティリシアでどれほど人々に慕われて求められているか、明らかにさせるチャンスなのに。
でもきっと、今回の責任を取って、由利ちゃんは戦う前に退くつもりだとイスラン兄さんは言っているんだろう。
「勘違いすんなよ、ユリシーダ王女」
イスラン兄さんは、近くのテーブルから椅子を引っ張り出して、勢いよくそこに腰掛けた。
そして足を組み、間近で由利ちゃんを見据えた。
「お前、どれほどの連中を死なせた。どれほどの連中に怪我をさせた? その責任は、どう取るつもりだ」
「だから、今度の国民投票では……」
「それは、違う」
由利ちゃんが言い切らないうちに、イスラン兄さんは強く否定した。
その語気の強さに、由利ちゃんの身体が一瞬震える。
「死んだやつらも、怪我したやつらも、お前を信じてこのクーデターに参加したんだ。それは、確かに失敗に終わったかも知れねえ。発端も、あのレクサスとかいうやつに踊らされた結果起きた、クーデターだったかも知れねえ。だけど、今度は真っ向から現王と戦えるチャンスじゃねえか。お前が、腐ったティリシアを何とかしたいと思ってたことを、現実に出来るチャンスじゃねえのかよ。レーリアの力を借りずにさ、レクサスの入れ知恵にも頼らずにさ」
こんな……こんなイスラン兄さん、初めてみた。
いつも、語るのはシェニム兄さんに任せて。
本人は、陽気で元気いっぱいで。
こんなの、柄じゃないイスラン兄さんが真面目に必死になって。
由利ちゃんを説得しようとしている。
国民投票に、立ち上がれと。
「魔力を無くした今の状態で、どんだけ国民の支持を得られるか、そんなことはオレは知らねえ。だけどな、お前の魔力の強さだけで、ティリシアの貴族の大半がお前に賛同した訳じゃねえと思うぜ。お前がそいつらに責任を取れるとしたら、お前のために死んだやつらのためにも、ティリシアを今よりもずっといい国にしていくことなんじゃねえ?」
「もう、国ではなく、ティリシア地方になりますがね」
静かに口を挟んだシェニム兄さんは、俯いた由利ちゃんを一瞥し、そして踵を返した。
「城まで送る馬車と、護衛を用意します。フォーティニアの承認を得次第、国民投票の期日を決定し、連絡しますので、それまでせいぜい英気を養っておいでなさい」
「でも……」
はっと顔を上げた由利ちゃんの前に座っていたイスラン兄さんも立ち上がり、そして由利ちゃんを見下ろしていたかと思うと。
手を伸ばし、彼女の頭に触れた。
優しく、労わるかのように。
「ユリシーダ、お前はこんなとこでへこたれる奴じゃねえだろ。領主になったら、アステリア城に挨拶に来い。待ってっから。秘蔵のワインを空けて乾杯してやるよ」
イスラン兄さんの眼差しは、わたしに向けるものでもなく、大切なアステリア軍兵士達に向けるものとも異なり、何だか暖かく、柔らかく……
そっか。
そうなんだ。
イスラン兄さん……そうなんだ。
心の奥が、凄くくすぐったくて、でも嬉しくて。
わたしは頬が緩んでしまっていた。
イスラン兄さんは、そんなわたしの横を通り過ぎる時、わたしの笑みに気付いて、こちんとわたしの頭を叩いた。
「いたっ!」
「レーリア、お前、人を見る目あるな。安心した」
「ええ? どういうこと?」
「何でもねえよ。さて、オレ達も帰城の準備だ。行くぞ、ラディ!」
呼ばれたラディは、笑みを含んだ眼差しで。
「司令官、いいんですか? ティリシア城に寄ってからでなくて」
「うるさい、何だお前! やめろ、その含み笑い! 生意気だぞこのやろう!!」
ギャイギャイ喚きながら、テントを出て行ってしまった。
あーあ。皆に気付かれちゃったね、イスラン兄さんの想い。
応援してるんだよ、皆。
この想いも。
これから大変になるだろう、由利ちゃんの今後も。
「由利ちゃん」
わたしはにこりと笑って、由利ちゃんに手を差し伸べた。
その手を取った、白い美しい手。
もう、迷わないで。
あなたの思う道を進んで行って欲しい。
きっと、両隣に立つ、ベレスとアーネストがいる限り、間違った方向に進むことはないだろう。
そのための、ティリシアのアステリア属領化に違いないから。
「頑張って、由利ちゃん。街頭演説をするなら、応援に駆けつけるけど」
そう悪戯っぽく言ったわたしに、由利ちゃんはやっと前のような笑顔を浮かべてくれた。
そして、わたしの背中をばーんと叩き、痛い、痛いから!
だけど、その痛みが嬉しい。
「馬鹿ね、彩花! 『祝福の女神』の応援なんて貰ったら、フェアじゃないじゃないの!」
「あはは、そうだね。じゃあ、気持ちだけ。心の中で、由利ちゃんに100票投票するよ」
「100票!? 『祝福の女神』のくせに、ケチくさいわね。もっと寄越しなさいよ」
わたしと由利ちゃんは、ひとしきりそんな馬鹿な会話をして。
それが、出来る今が嬉しくて。
笑いながら、誤魔化したけど、ちょこっと涙が浮かんでしまった。
「レーリア、シェニムが呼んでる」
テントの外から、ラディがわたしを呼んだ。
時間だ。
また、しばらく由利ちゃんとお別れ……でも、今回は大丈夫。
次に会った時にも、きっと笑っていられるよね……?
由利ちゃんは、わたしをふわりと抱きしめて、そして耳元で囁いた。
「彩花、私は、あんたのことが好きだから。祝福の女神なんて関係ないから。分かってるよね?」
うん、うん。
分かってる、由利ちゃん。
だから、こんな金髪に戻ったわたしにも、ずっと彩花って呼び続けてくれた。
返事したい。
でも、きっと言葉を発したら、泣いちゃう。
僅かに身体を離した由利ちゃんは、わたしを覗き込んで、そしてくすりと笑った。
「不細工よ、彩花。吉田くんに振られちゃうわよ」
「そっ……そんなこと、ないもん、大丈夫だもん……」
やっとの思いで言葉にすると、由利ちゃんは目を細めてわたしの頬を撫でた。
「私、頑張るから。ティリシアの人達を、アステリアの人達を……そして何より、あなたを傷つけた罪を償うために」
うん。
応援、してる。
言わなくても、分かってるでしょ、由利ちゃん。
ずっと応援してるからね。
だから、その言葉の代わりに、わたしはベレスとアーネストに頭を下げて、逃げるようにテントを飛び出した。
テントを飛び出したわたしは、何かにぶつかって、そして抱きとめられた。
「……っ!! レーリア!?」
わたしの肩を掴んで、そしてわたしを覗き込むのは、汚れない海の色の瞳。
ラディだ。
わたしの顔を見つめていたかと思うと、人目を気にせずにわたしをぎゅっと抱きしめてくれた。
暖かい、胸の中。
だめ。我慢出来ると思ってたのに……。
『蒼の疾風』のカッコいい制服が、濡れちゃう。
なのに、わたしはその胸に取り縋り、わんわんと泣いてしまった。
わたしの中で、色んな感情が渦巻いて、そして色んな人の感情がわたしの中に入ってきて。
敏感に人の気持ちを察知してしまうから……それをまだ、わたしには受け止めきれない。
だから、きっとこれだけわたし、動揺してしまっている。
だけど、こうしてわたし自身を受け止めてくれる人がいる。
それだけで、どれだけ救いになるだろう。
しばらく、ラディの腕の中で泣いてしまっていたら、段々気分も落ち着いてきた。
おずおずと顔を上げると、ラディは端正な顔に心配そうな色を浮かべて、わたしを見下ろしていた。
「大丈夫? 少し、色々なことがありすぎたな。一度地球に戻ったほうがいいと思うんだけど……」
うん、本当はすぐにでも、戻りたい。
地球に一回帰って、頭の中を整理したいよ。
だけど。
「フォーティニアに、俺とレーリアで行くことになった」
…………はい?
二人だけで? 嘘でしょ?
国を渡るのに、二人だけ? それも重要な使命があるのに。
目を見開くわたしに、ラディは言いずらそうに眉を寄せ、そして小さく溜息をついた。
「さっき、シェニムがフォーティニアに連絡をしたら、レーリアが来てるのなら、ぜひきみを使者にと言ったそうだ」
「ど、どうしてわたしが……」
わたしの記憶に、フォーティニアの名前はあるけれど、それ以上は何も無い。
もっとも、5歳児の記憶など、高が知れているけれど。あの頃のわたしには、アステリア城が全てだったから。
不思議に思うわたしに、ラディは決心したようにとんでもないことを告げた。
「フォーティニア国王は、娘に再会するのを楽しみにしているそうだ」
「むすめ…………」
馬鹿の一つ覚えみたいに、わたしはラディの言葉を繰り返した。
え? なに? 理解出来ない。
「レーリア、フォーティニア国王は、きみの母上なんだよ」
…………。
どうしよう。
レーリアの記憶が戻って、やっと本来のわたしになれたと思ったのに。
それでもまだ、混乱してるから、もう少し落ち着いて物事を考えたいと思っていたのに。
どうしてこう、次から次へと新事実が発覚するのーーーーー!?
「もう、やだーーーーーーー!!」
思わず叫んだわたしに、ラディは至極困ったような顔をしている。
ごめん、ラディ。少しだけ、発散させて。
もう、もう!!
どうなるのぉーーーーーー!?




