第6話 女神の帰還、白く染まる意識
夜明けを迎えたさっきまでは、いい天気だったのに。
シェニムさんが放つ砲弾の音と共に、天からも地響きのような音が聞こえる。
時折、薄暗く曇った空から、眩い雷光も漏れてくる。
やがて、雨になるだろう。
「……彩花、どうしても、私を受け入れてもらうことは出来ない?」
由利ちゃんは、わたしを正面から見据え、静かに呟いた。
怖い。
由利ちゃんが怒り出して、どう動くのか分からない。
でも、この城はすでにアステリア軍に包囲されている。
今、イスランさん達は、わたしとラディを信じて、由利ちゃんの説得するまでの時間をくれているけれど。
でも、由利ちゃんがもし、わたしに危害を及ぼそうとしたら、ためらうことなくこの城へ総攻撃を仕掛けてくるだろう。
もちろん、由利ちゃんはそんなこと、しないはず。
そう、わたしは今も信じてる。
そんなことを、させてはいけない。
そんな事態になったら、わたしと由利ちゃんは、永遠に以前には戻れない。
まだ、間に合う。
わたしは未だに、由利ちゃんを以前の由利ちゃんへ取り戻せると信じていた。
だから。
「由利ちゃん、ティリシアとか、アステリアとか。そんなこと、どうでもいいじゃない。地球へ、戻ろう? また二人で、仕事頑張っていこうよ」
わたしの言葉に、由利ちゃんは薄く細めていた眼差しを和らげて、くすりと笑った。
「地球へ、ね。でもね、あなたの隣には、もう吉田くんがいる。私の居場所は、地球には無いわ」
「そんなこと……!」
どうして、そんなことを思うのか分からなかった。
由利ちゃんの抱える、心の闇が、わたしにはまだ伝わりきっていなかった。
「彩花、私がティリシアの王になる。これはもう、決まったことなの。ティリシアの貴族の大半の支持を得ることが出来たわ。私の姉が、今までティリシアの王だったけれど、簡単に私に囚われてしまった。ティリシアは、そんな軟弱な王を求めていないの。力あるものに支配されることを、望んでいるわ」
由利ちゃん、あなたが力をいくら欲しても。
周囲に理解を求めようとしても。
その方法は、間違っている。
永遠の支持なんて、それじゃ手には入らない。
わたしが力なく首を振っても、由利ちゃんには届かなかった。
華やかな美貌に、笑みを浮かべて、白いすんなりとした腕を組んで。
その姿は、さながら女王の風格に満ちてはいたけれど。
でもね、由利ちゃん。
今のあなたの足元が、おぼつかなく危険に満ちているのが、わたしには手にとるように見えた。
「そして、ティリシアの王として、祝福の女神、レーリア様に力を貸してもらいたい。あなたがアステリア次期皇帝となるのなら、それもいいわね。私は徹底して、あなたの補佐をしていく。その選択肢でも、私は構わないわ」
「わたしは、そんなこと、望まない」
吐くように強く言うと、由利ちゃんは大きく頷いて笑みを深めた。
「そうね、そうよね。彩花なら、きっとそう言うと思ってた。それならば、あなたの力を貸して? きっとアステリアを今よりも幸福に満ちた、素晴らしい世界にする。約束するわ」
「力で、支配した、幸せ?」
わたしの声が、段々震えてくるのが分かる。
由利ちゃん、あなたの求めることは、間違っている。
「由利ちゃん、その先には、一体何があるの? 例えティリシア国、そしてアステリアを支配したからといって、由利ちゃん自身が手に入れられるものって、一体何?」
「私?」
「そうだよ。由利ちゃん自身が、本当に欲しいものって、一体何なの?」
権力?
そうは思わない。
由利ちゃんだったら、立派な女王様になれるだろう。
こんなクーデターなんて起こさなくても、きっと望めば由利ちゃんの支持をしてくれる人たちだって、たくさんいたはず。
そうしたら、ティリシアは由利ちゃんのものになったのに。
でも、由利ちゃんは武力を選んだ。
どうしてなの?
分からない。
「由利ちゃん、わたしは地球で今まで通り、『藤森彩花』として生きて行きたい。まだ、わたしに未来を決めることは出来ないけど、でも、レーリアの記憶を封じている今のわたしの望みは、地球で平和にのんびりと生きていくことなの」
「そう。でもね、彩花。あなたの封印が解かれたら、きっと私の思いも分かってくれるわ」
由利ちゃんの瞳の赤が、深い色に変わったような気がした。
その瞳を見つめて、わたしは気付いた。
そうか。
由利ちゃんは、レーリアとしてのわたしと自身を被らせているんだ。
『蒼の一族』としか触れ合えず、祝福の女神としての運命を決められていたレーリア。
『紅の一族』王族として生まれながら、王位に辿り着くことが出来ない運命だったユリシーダ。
全く違う二人だけれど、その底にあるものは、きっと同じ思いだったのかもしれない。
「由利ちゃん、…………!!」
由利ちゃんの名前を呼んだ瞬間、今までで一番強く足元が揺らいだ。
もう、立っていることもままならない。
城が、墜ちる……!?
「ラディ! ポワン!!」
わたしは咄嗟に叫び、床に這いつくばって、巧みに身体を立て直しながら戦い続けるラディ達の下へと歩み寄った。
天井から、バラバラと色々なものが落ちて来る。
床にも、たくさんのヒビが入ってきた。
もう、持たない?
このままここにいたら、皆死んでしまうかも……!!
「ラディ、ポワン、逃げて、早く!」
「彩花様!! 何を仰います、あなたさまこそ、お早く……」
ポワンがわたしのところへ駆け寄り、必死な眼差しでわたしを見上げる。
だけど、わたしは……
一瞬、わたしと同じように床に膝をつく由利ちゃんに振り返り、再びラディに目を向けた。
ラディの剣が、襲い掛かる灰色の長髪の男の人の剣を払いのけ、勢いよく鈍く光る鋼を突き出した。
その剣の先が、ティリシア貴族の胸に突き刺さる。
「アーネスト!」
由利ちゃんの悲鳴のような声が聞こえる。
もう一度、由利ちゃんに振り返ると、彼女は顔を真っ青にして、口に手を当てて。
赤い瞳を見開いていた。
その瞳と同じ、真紅の液体が、アーネストと呼ばれた男の人の口から吐き出される。
由利ちゃんは、揺れる床の上を、必死で這いつくばって、ラディ達の下へと辿り着いた。
「アーネスト、アーネスト!!」
由利ちゃんの膝に、頭を載せられて。
アーネストはゆっくりと閉じていた瞳を開いた。
「ユリシーダ様……ご意思を、全うされよ…………」
その言葉を最後に、アーネストはそれから口を開くことは無かった。
由利ちゃん。
由利ちゃん、嘘つき。
味方についた、貴族達を、まるで捨て駒のような言い方をしてたくせに。
こんなに必死になって、心配して。
そして、今自分を責めてる。
「由利ちゃん、もう、やめよう。終わりにしよう。とにかく、一度城から出よう?」
わたしが由利ちゃんに声を上げると、由利ちゃんはずっと俯いていたけれど、顔をわたしに向けた。
その美貌には、涙は無かった。
「いえ。もう、私は引き返せない。レクサス!」
「はっ!」
由利ちゃんの号令で、再びレクサスと呼ばれた、黒い短髪の男性がラディに襲い掛かった。
アーネストが力を失ったことで、キューちゃんが火を噴いていたゾンビもどきの数が格段に減った。
あのアーネストが、ここの下級使い魔を生み出していたようだった。
「キュー、もうそっちはいい。ラディの加勢をするのよ!」
ポワンの命令を受け、キューちゃんはパタパタとレクサスの頭上に飛び、口を大きく開いた。
由利ちゃんが咄嗟に手を翳し、レクサスのその頭上に光を放つ。
キューちゃんの吹いた火が、彼に届く前にかき消された。
「小ざかしい真似を!」
レクサスの剣が、ラディではなく真上に突き上げられた。
「キューーーーーー!!」
耳を塞ぎたくなるような、キューちゃんの悲鳴。
キューちゃんの身体は、レクサスの剣によって串刺しにされていた。
嘘…………嘘!
可愛らしい、アライグマの縫いぐるみのようなキューちゃんの身体から、血が迸る。
わたしはその様を、ただ呆然と見つめていた。
嘘だ。
キューちゃんの身体が、段々もやが掛かったかのように、色あせていく。
消えて……いく……
ポワンは二本足で、揺れる床の上に立ち、両手をキューちゃんに翳した。
「戻れ、我の使いの者よ!!」
そのポワンの両手の先に生み出された、空間の歪み。
そこに、力を失ったキューちゃんの身体が吸い込まれていく。
ポワンはその空間を閉ざし、わたしに振り返った。
「消え去る前に、戻しましたから。キューは、取り合えず大丈夫です……危ない!!」
え?
何?
呆然としていたわたしを、何者かが羽交い絞めにしている。
目の前には、揺れる視界の中で、ポワンと、由利ちゃんと、それからいつの間に来たのか、すぐ傍でラディがいる。
そのラディの表情は、今まで見たことがないくらい怒りに満ちている。
「その手を離せ。貴様……!」
「ユリシーダ様、交渉は、決裂したのですな?」
わたしのすぐ背後から聞こえる、低い声。
あの、レクサスだ。
由利ちゃんは、目を見開いたまま動けない。
わたしの首筋に、冷たいものが当たる。
少し、それを見下ろそうと顔を動かしたら、
「おっと、祝福の女神様。動かれたら、その可愛いお顔と身体が二つに分かれてしまいますぞ」
「彩花から、手を離せ!」
「レクサス、離しなさい。彩花には傷一つつけてはならないと言ったはずよ」
ラディと由利ちゃんがそう言ってくれるけれど、背後の男は、くすくすと笑って、
「くくく……祝福の女神の力が手に入らないのであれば、ユリシーダ様にとって、この小娘など邪魔な存在。消えて無くなればよいのです。アステリアなど、ユリシーダ様のお力を持ってすれば、全土攻略不可能ではありませんよ」
「待って! 違う、由利ちゃんが求めてるのは……」
「うるさい!!」
わたしが言いかけた瞬間。
痛っ……!!
灼熱の痛みが、わたしの首筋を走る。
剣………剣で、切られた。
「彩花!!」
「彩花様!?」
ラディとポワンの声が聞こえる。
段々、恐怖で頭が朦朧としてきた。
だめ。
しっかりと意識を保ってなくちゃ。
そう思うのに。
解放、しようか…………?
待って。待って…………。
大丈夫。もう、今のわたし達なら、きっと大丈夫。
私の脳内が、白く……染まっていく。
「レクサス、あなた………!」
「ユリシーダ様、わたくしは最後まで、あなたのお力になる。ティリシア国がアステリアの中心になる、その日まで」
「そして、その後はユリシーダを亡き者にし、自らが皇帝と成るおつもりなのかしら。小賢しいのは、あなたの方ね」
誰の声?
「いえ、浅ましいと言った方がいいかしらね。アステリアは、あなたのような薄汚い手に墜ちるほど、軟弱な世界ではない」
凛とした、強い口調。
聞いたことのある声。
そしてその言葉は、確かにわたしの意識で紡いでいる。
自覚ある中で、わたしは話している。
ラディが、怒りの表情を和らげて、わたしに小さく囁いた。
「レーリア……」
「ただいま、ラディ」
もう、戻れない。
それは、わたしの方よ、由利ちゃん。
戻れないなら、せめて。
全力で、あなたを救う。
わたしは、祝福の女神だから。
かつての親友、最愛の先輩。
地球で共に笑い、競い合った日々は、決して嘘ではなかった。
けれど、異世界の赤い月が照らし出したのは、愛ゆえに歪み、孤独に溺れたユリシーダの悲鳴だった。
「由利ちゃん、地球へ戻ろう?」
差し出した救いの手は、無残な裏切りと、大切な仲間の叫びによって打ち砕かれる。
流れた鮮血。灼熱の痛み。
意識が白く染まり、止まっていた時計の針が再び動き出す。
「ただいま、ラディ」
封印されていた「祝福の女神」の覚醒。
それは、友を救うための決別か、それとも運命を受け入れた絶望の始まりか。
「再会の夜想曲」編、完結。
次回、新章「決戦の協奏曲」開幕。
響き渡るは、愛と憎しみの二重奏。
女神の瞳が見据える先に、真実の夜明けを。




